2010年7月31日土曜日

遅れてきた端午節 1 ~ 台湾ちまきウンチク講座

端午の節句と言えば、日本では5月5日のこどもの日ですが、台湾では旧暦を用いますので、本年は6月16日が端午節の休日でした。

端午節の日台共通の風俗といえば、勿論「ちまき」。

ただ、このちまきは両国間でかなり差があることは、よくご存知の方も多いはずです。

日本のちまきは、通常、形は葉巻を大きくしたようなもので、餡子が中に入っていたかと思います。

台湾でよく見るチマキはピラミッド型で、外を縛っているタコ糸を解いて中を見れば、まずあるのはもち米のおこわ。

更におこわの中には、通常豚肉の角煮、アヒルの卵の黄身、くり、シイタケ、ゆで落花生などが入っています。

日本はおかしの一品、台湾は食事の一品と言っていいかもしれません。

・・・ところで、この台湾のチマキですが、実はいくつか分類があることをご存知ですか?

その中でも二大グループは、「北部粽」(べいぶーづぉん)と「南部粽」(なんぶーづぉん)です。

両者はともに閩南(福建南部)出身の方々の作り方ですが、台湾の北部と南部によって作り方が大きく異なるために、このようなカテゴリーができました。

両者の一般的な特徴は

1. 北部粽 ・・・ 味付けは胡椒がきいていて、甘さは抑え気味。調理方法は蒸す。

2. 南部粽 ・・・ 味付けはこってり気味で、甘味が強い。調理方法は茹でる。

という違いがあります。(すごく大雑把な説明で恐縮ですが。。。)

もう一つのグループは「外省粽」(わいせんづぉん)。これは戦後大陸から来た人がそれぞれの故郷から持ち帰ったものですが、十把一絡げにして「外省粽」と呼んでいるわけです。

最後に忘れてはならないのは「客家粽」(かーじぃあづぉん)。

名前の通り、客家の人たちが作る粽です。

台北のお店や屋台でみるのは、通常、北部粽、南部粽そして外省粽ばかりで、客家粽は余り見かけません。

さて、「客家粽」とはどのようなチマキでしょうか。(続く)

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2010年7月30日金曜日

台湾大学EMBA実況レポート ~ 中間試験までを振り返って 3

さて、講義や宿題や教授のジョークの話はここまでにして、中間試験の話をしたいと思います。

今学期の中間試験は3科目中1科目、マーケティング理論のみで実施されました。

まずテスト直前の時期になると、TATeaching Assistant)による復習セッションが開催されます。

TAは、今までの授業で学んだ内容をあらかじめ資料をまとめてくれていて、復習セッションにて「ここは重要」、「ここは時間があれば見ておいてください」など言いながら、懇切丁寧に説明してくれます。

このセッションの後、教科書、授業で配布されたパワーポイントの配布資料、TA作成のまとめ資料を再度読み返し復習するのです。

試験は教科書・ノート持ち込み可で、かつすべてが選択肢問題とのことでしたので、試験準備のときプレッシャーはそれほどキツイものではありませんでした。

しかし、試験当日、配布されたテスト用紙を見た瞬間、驚きました。

こ、これは、、、なんと、、、

解答用紙を含めて、1冊10ページぐらいのモノが渡され、各ページは漢字で一杯に埋め尽くされています!

図とか表とかは一切ありません。

選択肢問題といっても5-60問あり、読むだけでも大変です。

助け舟といえば、技術用語にはカッコで英語が併記されていることぐらいです。

このように最初は中文の量に圧倒されていましたが、人間慣れとは便利なもので、読み進めていくと気持ちに落ち着きが自然と出てきました。

そして、なんとか時間内(1時間)で完答することができました。

きちんと準備をしておけばなんとかなるものだとほっとしつつ、漢字の便利さを有難く思うのでした。

とは言え、結果はまだ出ていませんので、ほっとするのはいささか早いかもしれませんが。。。

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2010年7月29日木曜日

台湾大学EMBA実況レポート ~ 中間試験までを振り返って 2

台湾大学EMBAでの最大の苦しみ、それは、先生が仰られるジョークの大体半分が分からないことです!

そんなバカなことを、と仰られるかもしれませんが、周りの皆が笑っているときに、自分だけ首をかしげている時は、時間の流れが急に遅くなり、世界で一人ぼっちになったかのような孤独感に襲われます(やや大袈裟かな)。

ちなみに、台湾大学EMBAの講義は基本的に北京語ですが、先生によっては授業の3分の1ほどは台湾語を話されている方もいらっしゃいます。

とりわけ面白いことやジョークを仰られるときには、北京語ではなく台湾語を使うことが多く、しかも時には教養人らしく、諺や伝統的な言い回しを利用したりするのです。

北京語のジョークでも難しいのに、台湾語ともなれば、私の現在の語学力では全く歯が立ちません。。。

そんな悩みを隣に座っている同級生(僕と同い年で某ホテルの女社長。通称「姉御」)に話したところ、

「勉強のことだったら全然ダメだけど、ジョークぐらいだったら私に任せなさい、心配しないで!」

とのこと。

それではと日本出張から帰ってきたときに好物の『白い恋人』を一箱買ってきて、彼女に贈りよろしくお願いしました。

しかし、実際に先生がジョークを仰られるときが来たところ、

「この先生はオヤジギャグだから、聞いていない、ああ寒い寒い」

「あれ、今の台湾語難しくて私にも分からなかった、フフフ」

「ゴメン、今ぼーっとしてた、ハハハ」

しまいには、

「えー、今先生なんて言ったの?」

と反対に私に聞いてくる始末。

もー姉御しっかりしてよ、と言いながら、最近はソニーのICレコーダーを買って、姉御よりもICレコーダーさんに頼る僕でした。。。

やはり、『求人不如求己』、何事も人を頼りにしていてはいけないのです。

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2010年7月25日日曜日

台湾大学EMBA実況レポート ~ 中間試験までを振り返って 1

本日めでたく第一学期の中間試験を終えたところで、ここまでの台湾大学でのEMBAの生活を振り返ってみたいと思います。

まず最初に大変だったことは、長時間座ったまま授業を受けるということに慣れなければならないということです。

現在の台湾大学のEMBAには毎週木曜日の午後から夜間、または2週間に1度週末に学校へ行くという2つのオプションがあります。

僕は後者の方ですが、さらに詳しく言えば、土曜日は全日、日曜日は半日で、正味200分のクラスを3つ受講します。

各クラスには途中で休憩はあるので、100分間の授業が6コマ繰り返されるとイメージして頂ければよいのですが、その時間に集中しながら聴き続けることは中々大変なものです。

コーヒーは言うに及ばず、眠気覚ましのミントや脳の疲れをとるためのチョコレート類は必須です。(笑)

2つめに大変だと思ったことは、授業の範囲が広くかつスピードも速いことです。

私たちの第一学期は必修科目の3つ(管理会計、マーケティング、金融・投資)を履修するのですが、それぞれ色々なトピックを結構な速さでカバーしていきます。

僕にとって予備知識のない投資の授業では、とある1コマの講義が全く分からず唖然としました。

後で1週間まるごと平日の夜と週末をかけて、教科書を読んで復習したのですが、なんとか少し分かるようになったという感じです。

とにかくスピードがありますので、一旦分からなくなると追い着くのが大変です。

(ちなみに教科書は原則としてすべて英語なのでこれが唯一の救いです。)

3つ目は、宿題です。

台湾大学のEMBAの宿題は、すべてグループワークでかつケーススタディ(事例分析)です。

平均で2週間に2つの事例分析を提出しなければなりません。

学校の授業がなくても、平日の夜にチームのみんなで集まって、事例についてディスカッションを最低1回は行ないます。

勿論事前準備、事後は担当者がレポートにまとめるなどの対応も必要です。

一学期目の苦労は簡単に言えば大体こんな感じですが、実は僕が一番ストレスを感じているのはこの3つのいずれでもありません。

(次回に続く)

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2010年7月21日水曜日

永久居留証申請準備(その5) ~ 健康診断こぼれ話

仕事の休憩中、先週エイズ、結核、梅毒、ハンセン氏病など物騒な病気の検査をしたことを仲間に話し、「そんな物騒なもん、『台灣良民』の僕がもってるわけないやん」と言うと、そのうちの一人が

「いやいや、分からへんで、カブはヤバイかも、少なくとも精神病は間違いない!」

などと言われる始末。

ハハハッ、それはアンタやー、なんて言い返したりしながら、会話を止めました。

そんなくだらない会話を終えてしばら時間が経った時、僕の携帯電話が突然鳴り始めました。

「こちら馬偕医院ですが、カブさんですか?先週当院にて検査を受けられましたよね

予期せぬ病院からの連絡に驚き、3秒ほど沈黙してしまいながらも、はい、と答える僕。

「先週の検査の結果が出ましたので、明日受け取りに来てください。……あの、もう一件よろしいですか?」

僕の心臓音が急激に高まり始めました。ああ、今僕の身に一体何が起きてるんや!

「……前回いらしたときに写真を2枚持ってくるのを忘れましたよね。明日は忘れずに必ずもう一枚の写真を持って来て下さいね~。」

わなわなと震える指で通話を切りつつ、しばらく唖然とし続ける僕でした。

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2010年7月15日木曜日

永久居留証申請準備(その4) ~ 面接予約と健康診断

昨日永久居留証の面接予約をしようと移民局に電話したのですが、残念ながら担当者はお休みでした。

今朝折り返し電話があり、無事予約を終えました。

私が居留証を取得したのは2005年7月29日でした。

永久居留証の取得資格が出来るのは、居留証を保持して5年間経っていることが条件ですので、この日付に基づき、面接は7月30日となりました。(7月29日ではまだ資格がないとみなされるとのことです。)

移民局で面接とはなんだかドキドキします。

ところで、前回まででお話した通りの方法で殆どの申請書類が揃っているのですが、

(ちなみにまだ読まれていらっしゃらない方は、本ブログの右側にある「ラベル」の「31 台湾生活便利手帳」をクリックして、前回までのお話を読んでやって下さいね。)

最近外出等が多く、健康診断の受診がまだでしたので、本日慌てて病院へ行きました。

私が行ったのは近所にある「馬偕記念医院」です。移民局の指定病院が近所にあって助かりました。

1階のインフォメーションセンターで、移民局からダウンロードしたサンプルの健康診断のフォームを見せながら「永久居留証用の健康診断はどこですか」と聞くと、16階へ行くように言われました。

16階に健康診断の受付で同様に尋ねると、「パスポートは持ってきていますか」と聞かれ、はいと答えると受付の列に通されました。

受付をして気付いたのは、パスポートの他に、写真が2枚必要とのことでした。。。

1枚しか持って来ていなかった私は、次回検査結果を受け取るときにもう1枚持って来るように言われました。

検査項目は、エイズ、結核、梅毒、アメーバ赤痢を含む腸内寄生虫、はしか、風疹、ハンセン氏病など物騒な名前のオンパレードですが、検査自体は血液、胸部X線、皮膚のチェックの3つのみで至って簡単でした。(日本人は腸内寄生虫の検査は免除されます。とても有難いお話です。)

検査結果が出るまで1週間かかるとのことです。

なお、気になるお値段の方ですが2、180元でした。台湾の医療費としては、結構高いですね。。。

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2010年7月12日月曜日

台湾映画 『多桑』

ここ半年ほど、事あるごとにずっと昔に見た台湾映画『多桑』のDVDを探していました。

(『多桑』の意味については、こちらhttp://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2010/06/blog-post_19.htmlをご参照下さい。)

どこへ行っても見つからなかったのが、最近偶然インターネット上で得られているのを見つけ、直ぐに買いました。

(私は台湾で買っているのですが、日本でもDVDが発売されているようですね。)

主人公はかつて金鉱で栄えた台北から少し離れた九份に住んでいて、彼の父『多桑』は金鉱の労働者です。

多桑日本が大好きで、人から何歳かと聞かれれば「昭和4年生まれ」と答えるのが常でした。

台湾製のラジオが壊れたときには、「前の日本製のやつは、10年使っても壊れなかった!」と怒りを爆発させます。

多桑が仲間と主人公と一緒に見る映画は『君の名は』。

余談ですが、ここでヒロインの名前が字幕では真知子ではなく道子になっているのをなんだか微笑ましいと思うのは私だけでしょうか。

(ちなみにこの映画館が闇映画館かどうかはここでは残念ながら分かりませんでした。闇日本映画の話については、こちらhttp://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2010/07/blog-post_04.htmlのシリーズをご参照下さい。

妹が中華民国の国旗である青天白日旗を描けば、「白い太陽なんてあるもんか」と言って、赤く塗りつぶして「日本の国旗もみたことがないのか」と怒鳴り、妹が「多桑は『漢奸』だ」と言って泣け叫べば、「北京語なんか知らんわ」と嘯きます。

時代は流れて、金鉱は閉鎖され、多桑は九份から台北に移ると、時代からますますとり残されていき、更には金鉱での長年の生活がかかり肺病になります。

闘病生活の中では、台湾語が出来ない孫を見て、「二人の台湾人が外省人を産んだのか」と悲しみ、肺病で先に逝った金鉱の同僚を懐かしんで、「あいつとは子供たちが結婚して片付いたら、一緒に日本へ行って皇居と富士山を見ようと約束していたのに」と悔しがる。

こうしてどんどん病が重くなっていく中、多桑は一人で日本へ行くことを決意するのですが、出発の4日前に他界してしまいます。

この映画は監督である呉念真が自分自身の若い頃の話を元に製作しています。

ノンフィクションとまでは言えないのですが、敗戦後の台湾の様子に興味があれば、是非お薦めです。

また、この映画は基本的に台湾語ですが、色々な日本語が出てきます。台湾語の中の日本語探しをしてみるのも面白いかも知れません。

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2010年7月11日日曜日

台湾の北京語の中の日本語の話 6~ チャンバラ 3

(前回からの続き)

80年代に入ると、この流れにひとつの変化がおきます。

それはビデオデッキの出現です。

ビデオデッキが出現したことにより、このような『闇日本映画鑑賞所』が一気に増えました。

それはビデオデッキをもつ一般の民家の地下室であったり、『ガマデャム』と呼ばれる日本でいう雑貨屋と駄菓子屋が一緒になったお店の隠れた部屋であったようです。

更には日本への旅行は当時一般の台湾人には禁止されていたのですが、商用等で日本へ行く人がこっそりとビデオテープを持ち帰ってきたため、ソフト面もかなり充実したようです。

こうして時代劇については座頭市や子連れ狼だけでなく、水戸黄門や遠山の金さんに拡大し、孫と「じいちゃんも戦争に行ったんだぞー」と自慢しながら戦争映画を見たり、黒澤や小津の映画も隠れて普及していったようです。

意外なところはプロレスやドリフターズの番組も人気があったようです。

『チャンバラ』、『変なおじさん』という言葉を台湾人が知っているのはこの時代の名残です。

当時の台湾ではチャンネルは3つしかなく、四六時中愛国番組、反共云々ばかりで、これに辟易する台湾人にとって『闇ビデオ鑑賞所』はよい娯楽の場所であったに違いありません。

こうして1945年から国民党政府の統治下の下日本語は禁止されていたにもかかわらず、台湾の地下で日本語は生き続け、1987年に戒厳令が解除させれた後、1993年に日本語放送が解禁を迎えました。

今でも台湾のケーブルテレビでは、4つ日本語のチャンネルがあり、日本語は台湾の人々の中で生き続けています。

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2010年7月10日土曜日

台湾会社設立物語11 ~ 台湾の最低賃金とは?健康保険と労災は加入必須か? 2

台湾における起業や新会社の設立に興味がある方々へのご参考のため、昨年会社設立の際に書いていました日記をご紹介したいと思います。

台湾の最低賃金とは?健康保険と労災は加入必須か? 2 (2009年6月16日)

地下鉄に乗って一駅のところとのことなので、地下鉄の駅に行こうとビルの外に出ると、あれ、向かいの建物は1990年初期に弟が留学の際に住んでいたアパートの建物のようでした。

確信はないのですがこれも何かの縁なので、ついでに携帯で写真をとってから、健康保険局(健保局)へ行きました。

50人待ちのせいで既に時間はお昼になっていましたので、先にご飯を食べてから健保局に入ると、これがまた非常に綺麗で新しい内装でした。

台湾の健保はかなり財政的に苦しいと聞いていたので(製薬メーカーにてプロジェクトをしたときに聞いた)、少々驚きました。

しかもこちらは労保局とは異なり、番号札を取って10分くらいで係の人とお話が出来ました。

「私は日本人で、最近一人公司を設立しました。一つ目の質問ですが、健保加入は必須ですか。」

係の若いお姉さんっぽい女性は

「そうです、必須です。」

「では二つ目の質問ですが、保険料はいくらで、このために最低必要な賃金はいくらですか。」

係の女性は、

「手続きを説明しながら、そのお話をしましょう。会社設立登記表、居留証はお持ちですか。」

というとちょっと厚めの資料を早くも机の上に出し、私が登記表と居留所を渡すと、すぐにコピーを始めた。

コピーが終わると、即

「答えはこの表にあります。ここを見てください。台湾では雇用主の最低賃金は月33,300元(約10万円)、保険料は月1,515元(約5千円)です。」

最低給与は会計士の予想の30,000元を少々超えるが、保険料そのものは思ったより高くなかったのでほっとしました。さらに年間約6万円ですので、日本で海外保険に入るより安いです!

そんな思考をしている私に係の女性は聞きます。

「会社の大小章(会社印と代表者印)は持って来ていますか。」

「すみません、今日は持って来ていないです。」

「没問題!フォームの書き方を説明しますから、記入捺印の上、郵送してもらえば結構です。」

と言うか否や、そのフォームの記入方法を説明し始められました。この女性、お若いのに手際はいいし、説明も的を射ていて素早く、一瞬のうちにほぼ手続きが完了しました。(次回へ続く)

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2010年7月9日金曜日

台湾語名曲シリーズ: 江蕙の『花香』



Hoe-phang
 

Lī-khui hit chi̍t-àm ē-kī-e kò͘-hiong ê hoe-phang bî-bî-á thiⁿ-boē-kng í tio̍h khí-chhn̂g lâi kò͘ hoe-châng

-bat chi̍t-kù òan-thàn iô gún toā-hàn m̄-kam gún chāi ī-hiong hō͘ hong-hō͘ lâm

Lī-thô͘ ê hoe-châng Uī chi̍t-ê bāng lîn bang-bâng hái iā bang-bâng

Í tiām-tiām teh tán gún tǹg-lâi hit-kang hoe-luí chiām-chiām âng í tiām-tiām teh tán

Khoàⁿ bô í ê lâng chhiūⁿ hái-siōng chûn-á chhoē bô phâng kiâⁿ-koè chia choē tang mā khoàⁿ-thàu lîn-chêng ê léng-loán

Kò͘-hiong hit-tiâu sió-hāng lû kim iû-goân m̄-kâng sī gún tǹg-khì í bô teh tán

Bô-lâng sio̍h hoe-châng hoe nā ê phang sè-kan a-bú long kāng-khoán

Í tiām-tiām teh tán gún tǹg-lâi hit-kang hoe-luí chiām-chiām âng í í-keng iâu-oán

Siáⁿ-lâng teh kiò-tio̍h goá kam sī a-bú siaⁿ chin-chhiūⁿ kò͘-hiong put-sî teh kiò goá

Í boē koh tán tī hia M-káⁿ lâi khàu chhut siaⁿ kiò gún pó-poè sim-koaⁿ ū-êng tio̍h kìn tǹg-lâi khoàⁿ guó
等佇彼

Í tiām-tiām teh tán gún tǹg-lâi hit-kang hoe-luí chiām-chiām âng í í-keng iâu-oán

La~ La~ hoe-luí chiām-chiām âng í í-keng iâu-oán
啦~ 啦~

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。