2010年4月30日金曜日

台湾会社設立物語 6 ~ 資本金入金で問題発生!

台湾における起業や新会社の設立に興味がある方々へのご参考のため、昨年会社設立の際に書いていました日記をご紹介したいと思います。

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資本金入金、問題発生 2009428日)

火曜日の朝11時を過ぎても銀行からは入金の連絡がなく、嫌な予感がするので直接銀行に赴きました。

私が担当の陳さんの視界に入るや否や、

「カブ先生、問題発生中です!」

との太い声が飛んできました。こうして悪い予感は見事に的中したのです。

何が問題かと聞くと、

「資本金の振込みは、登記上の資本金額を超過してはいけないのです。」

と陳さんは淡々と仰られました。

「いや、そうではないと思います。」

私は彼女に対して素早く切り返しました。

「私も資本金の振込みが登記金額とぴったりでなければならない、という噂を聞いて会計士さんに事前に確認しました。

彼らの見解は『登記資本金額を少しぐらい超えても大丈夫、でも登記資本金額未満はダメ、為替変動がありますので、少し安全を見て多めに送って下さい』とのことでしたよ。」

そして陳さんに会計士事務所の呉小姐に電話をしてもらいました。

陳さんは同時に銀行内の担当部門にも連絡を取りました。

この議論の結論ですが、

「呉小姐の主張は経済部投資審議会の見解。

しかし銀行の関連規程によると、資本金の振込みは登記資本金額を超過できない。

よって、超過金額は日本へ再送金しなければならない!」

というものでした。

台湾の縦割り行政を恨めしく思いながらも、一刻も早く処理したい気持ちがあったので、しぶしぶ超過金額の174.20米ドルを日本の口座へ送金し直す手続きを処理するのでした。。。

仮にこの結論が正しいとしても、前提となる銀行の規程は非合理的です。

為替は毎日変動するため、登録資本金を超過してしまうことなんて自然にありうることです。

まったくバカばかしいったりゃありゃしない、この心の中で不合理な制度を怒鳴りつけました。

こうして一時間ほど色々な処理を経て、ようやく経済部投資審議委員会発行の外国人投資許認可書の右上に、資本金入金情報の記入と銀行印が捺印されました!

ところで、呉小姐より資本金入金後下記の書類を揃える必要があると言われました。

1.送金通知書の正本(中文名:匯入匯款通知書)

2.資本金の台湾ドル両替証明の正本(中文名:買匯水單正本)

3.(中文名:結售外匯申報書正本)

4.通帳のコピー

5.銀行の資本金情報記入と捺印がある経済部投資審議委員会発行の外国人投資許認可書

6.公司名称の予備調査表の正本(中文名:公司名稱及所營業事業登記預査表)

この時点で下の二点は揃ったのですが、上から4つはまだです。

こうして本日で終わる予定であった手続きは木曜日に持ち越しになりました。

このように予期せぬ遅れもあるため、やはり一泊二日にて大阪へ行ってきたのは正解だったのではないかと自分を慰めるのでした。

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2010年4月29日木曜日

台湾大学院受験奮闘記 6 ~ 政治大学の説明会へ行く

台湾への留学に興味がある方々へのご参考のため、引き続き昨年大学院受験の際に書いていました日記をご紹介したいと思います。

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政治大学の説明会へ行く(20091010日)

いつも土曜日は午前中は台湾語のクラス、午後は北京語のクラスをとっていますが、午後の北京語のクラスをお休みして、政治大学のEMBAの説明会へ行くことにしました。

本日1010日は台湾では「雙十節」「ダブルテン」と呼ばれる国慶節の祝日なのですが、何でこんな日に説明会をと不思議に思いなつつ、台湾語のクラスを終えた後、地下鉄を二回乗り換えて、かつ最後にバスに乗り換えて、台北市の南西の端の文山と呼ばれる地区にある政治大学へ向かいました。台北の東側住む私にとってはにかく遠いですね。。。

政治大学のキャンパスは綺麗で、特にEMBAのプログラムの所轄である商学系のビルはその中でも特に新しく立派なものでした。

この説明会で印象的だったのは、まず大きな会議室で一般的な説明があった後に、各課別に教授や先輩との懇談会があったことです。懇談会の部屋もこれまた綺麗で、かつたくさん食べ物が準備してあり豪勢なものでした。

私自身はGEMBA (Global EMBA)2人の先輩たちとお話したのですが、1人の先輩は中国でゴルフ場を経営しており、在学中にロシアへ行ってロシアでゴルフ場を作れないか研究されたとのこと。

もう1人の先輩はIT関係の会社を台湾と中国でやっておられ、現在月曜日から木曜日までは中国にいて、金曜から日曜日は台湾にいて、かつ博士号取得のために政治大学にいらっしゃるとのことでした。

もう1人お話は出来なかったものの、顔を見せられた先輩がいらして、この方もEMBAを修了後博士課程に進んでいらっしゃるとのことでした。

ロシアまでビジネスの機会を探しに研究に行かれたり、会社経営をしながら博士課程の勉強をされている先輩方には脱帽です。やはり人生「活到老、學到老」ですね。

そんなことを考えながら政治大学の前でバスに乗ったのは6時頃、自宅に着いたのは7時でした。

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2010年4月28日水曜日

桂花巷2



僕のブログを見た台湾人の友人Tが、『桂花巷』の別のバージョンを紹介してくれました。

2010年4月24日土曜日

桂花巷



桂花巷

台湾では『桂花巷』という小説があります。

桂花は金木犀、巷は細めの通りを意味します。

この小説は一人の運命に翻弄される女性を描いたものです。

この小説は後に映画化されたのですが、現在では同名の映画の主題歌が、映画自体よりも、そしてもしかすると小説よりも有名になってしまったの感があります。

切ないメロディーと、台湾語の優しい響きがあいまったところが何とも言えないと思っていますが、如何でしょうか。

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桂花巷 kùi-hoe hāng

想我一生的運命 親像風吹斷線

Siūⁿ goá it-seng ê ūn-miā Chhin-chhiūⁿ hong chhoe phah-tn̄g-soàⁿ

隨風浮沈依偎 這山飄浪過彼山

Sûi-hong phû-tîm bô-i-óa Chit soaⁿ phiau-lōng koè hit soaⁿ

一旦落土低頭看 只存枝骨身已爛

It-tàn lo̍h-thó͘ lê-thâu koàⁿ Chí chhûn ki kut sin í noāⁿ

..... 只存枝骨身已爛

A……Chí chhûn ki kut seng í noāⁿ

[禾黑]嘛開一擺 偏偏春風等袂來

Hoe-lúi khah bái mā khui chit-pái Phian-phian chhun-hong tán boē lâi

只要根頭猶原在 毋驚枝葉受風颱

Chí-iàu kun-thâu iû-ôan chāi M̄ kiaⁿ ki-hio̍h siūⁿ hong-thai

誰知花等人採 已經霜降日落西

Siáng chai hoe tán lâng chhái Í-keng sng-kàng li̍t-lo̍h sai

..... 已經霜降日落西

A…… Í-keng sng-kàng li̍t-lo̍h sai

風吹身驅桂花命 若來想起心

Hong chhoe sin-khu kuì-hoe miā Nā lâi siūⁿ khí sim tio̍h thiàⁿ

恩怨如煙皆當散 禍福當作天註定

Un-òan lû ian kai tòng soàⁿ hē-hok tòng-choè thiⁿ chù-tiāⁿ

往事何必越頭看 把他當作夢一般

Óng-sū hô-pit oa̍t-thâu koàⁿ Kā í tòng-choè bāng chit-poaⁿ

..... 把他當作夢一般

A…… Kā í tòng-choè bāng chit-poaⁿ

2010年4月20日火曜日

『台湾人生』



『台湾人生』というドキュメンタリー映画をご覧になられたことはありますか。

私の方では、日本では3月26日に発売されたDVDを実家の父に入手しておいてもらい、つい最近ようやく見終わったところです。

もし台湾に興味があり、まだご覧になられていないようでしたら、是非強くお薦めしたい映画です。

(そして、日本の総理大臣をはじめとする日本の政治家の方々にも見て頂きたいです。)

この映画は、日本統治時代から現在の台湾に生きる5人の人たちへのインタビューと彼らの生活の描写によって構成されています。

これら5人の方々の話を聞いてまず思ったことは、我々は自虐的歴史観は絶対に捨てるべきだということです。

差別ややや行き過ぎの厳しさというものがあったにせよ、この5人の方々は日本の統治について全体的に高く評価しています。

(詳しい内容については映画を見て下さいね。)

次に感じたことは、敗戦前後での日本の教育や外交における一貫性のなさは、余りに奇異であるということです。

例えば教育について言えば、敗戦後米国から強制されたところは大いにあるにせよ、本当に敗戦前の教育の良かったところ悪かったところをきちんと取捨選択して敗戦後の教育制度をつくったかは大いに疑問があります。

少なくともこの五人の大部分の方々が口を揃えて、日本の教育が後の台湾の発展の基盤をつくったと仰られています。

外交にしても、敗戦までの日本は試行錯誤で悪いこともしたとはいえ、かなりのリソースを投入して台湾を発展させるように努力し、そして人と人との絆を築いてきました。

しかし敗戦後は、台湾の領有権を放棄したとは言え、日本政府は台湾に対して無関心を通しています。

この映画の中での「なぜ日本は我々を捨てたんだ」という声が、今も私の心の中で響いています。

最後に、当時の教育、国家に対する情熱、そして自分自身の人生へ向かう姿勢などについて、かつて日本人だった台湾人の方々が話される言葉と、今の日本人との間に余りに深いギャップがあると感じずにはいられません。

「国のために戦争に行った」、「支那を気にして靖国神社に参拝しないのは情けない」とかつて日本人だった台湾の人々は声を高々に話しをされる場面があります。

この場面を見られた日本人は、それをどのように感じられるのでしょうか。

これら台湾の人たちは「敗戦前の軍国教育の被害者で憐れむべき人」、はたまた日本で言えば「偏向右翼思想の持ち主」なのでしょうか。

私は想像するのです。

もしそんな言葉をこれらのかつて日本人だった人たちに投げるならば、こう答えられるのではないかと。

「グローバルとかという言葉に踊らされて、国という概念もなく、日本人だという自己認識もなく、迷い続ける今の日本人の方がよっぽど憐れで、情けなくて、全く何も考えとらんじゃないか。」

追記: 『台湾人生』の公式サイトはこちらです http://www.taiwan-jinsei.com/work.html

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2010年4月19日月曜日

さくら

先々週金沢の実家へ戻ったときに、『男川』と呼ばれる、室生犀星も愛した犀川べりの桜並木の近くを歩きました。

丁度その日は天気がよく、心地よい春風が吹き、まさに桜吹雪の中をやわりやわりと歩き、10年以上ぶりに故郷の桜を満喫したのでした。

三鷹の隠居さんが彼のブログで、「『武士道』と桜の花」(←ここをクリックすれば、参照できます)について書いていらっしゃいます。

日本人が桜に対して抱く感情は特別なものがあることには、皆さん誰も疑われることはないかと思います。

もしかすると、桜に対してこんなにも特別な思い入れのある民族は、世界中どこを探しても日本人だけである、と仰られる方もいるかもしれません。

しかし、日本人だけではなく台湾人もそうである、と言えば皆さんはどのように感じられるでしょうか。

最近台湾では『艋舺MONGA』という映画がかなりヒットしました。

内容については、やくざ映画で若者に悪い影響を与えるなど台湾では非難もあったもんですが、私自身の捕らえ方は違いました。

この映画の物語は、桜が鍵となって展開されるのです。

映画のはじまりのシーンでは、主人公は生き別れになった父親が日本から送ってくれた桜の花の絵葉書を大事にしていることが描かれます。

この主人公は友人から、将来お金を稼いだら何をしたい、と聞かれてこう答えるのです。

「日本へ行って、桜の花を見たい。」

そして、この『艋舺』の最終シーンは、桜吹雪で終わります。

偶然とは恐ろしいもので、私がこの映画を見て数日後、日本へ留学したいという息子さんをもつ方を前の上司から紹介され時に、また桜が出現しました。

彼は阿里山の出身で、私に阿里山のお茶に、台風の被害で今はもうなくなってしまった阿里山の染井吉野の名木の写真を添えて私にプレゼントしてくれたのです。

あとで知人にこの話をしたところ、実はうちでも庭に日本の桜の木を植えているんだ、実は私も父が日本から送ってくれた桜の絵葉書を大事に持っているんだ、という人が続々あらわれ、私はただただ驚くばかりでした。

戦前の日本の台湾統治は50年間に過ぎません。

しかも戦後は国民党の政策により、日本語はおろか、日本のものはすべて固く禁止されていました。日本文化が台湾で解禁になったのは、ごく最近のことと言ってもよいと思います。

そんな歴史の流れの中で、台湾の人たちが、日本という国の象徴というべく桜を愛し、他の日本のものを今でも愛してくれていることは、まさに驚嘆に値すべきではないでしょうか。

更に一言付け加えるならば、我々が教科書で習った歴史では、どうしてこのようなことが現象が生じたのかは決して理解することができないと思います。(こう思っているのはもしかして私だけ?)

もう日本の大部分の地区では桜の季節は終っているかもしれませんが、桜を思いつつ、日本と台湾の歴史や文化について思いを遣るのも、また一興かもしれません。

追記: 犀川べりを歩いた翌日からは大雨と大風で、桜の花は散ってしまい、兼六園へ行こうと思っていた私の計画も儚く散りました。

金沢で生まれた私にとっては、染井吉野も大切ですが、兼六園彼岸桜や菊桜(1つの花に310枚の花びらがある)に愛着があります。

「故郷は遠きにありて思うもの」、さくらばなもまた然り、ということでしょうか。

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2010年4月14日水曜日

新しいことを始めること

先週日本への出張で、大阪や金沢へ行きました。

東京にいる時とは色々な意味で随分異なる印象を受けたのですが、テレビをつければ、やはり東京でも大阪でも金沢でも同じようなことをやっていますね。

特に私が今回残念に感じたのは、新党「たちあがれ日本」立ち上げのニュースを見た時です。

このニュースの報道の際には、「脅威にはならない」、「自民党の補完政党」、「若い世代がいない」、「立ち枯れ?」等々ありとあらゆる批判の言葉が繰り広げられていました。

批判することは簡単で、行動を起こすことは難しい

政党であれ会社であれ、既存の組織を離れて今までに保持していたさまざまな資産を捨てて、新しい組織を立ち上げることは、極めて多大なる勇気が必要なことであると思います。

更に新しい組織を立ち上げて、運用していく際には、とにかく様々な予期しないことが起きるのが常というものです。

たとえ敵対する立場であっても、そんなリスクを顧みずに新しい政党を立ち上げた人々の志や勇気に拍手を送り、今後お互いに国会で戦っていくことを楽しみにしている、というような度量のあるコメントをする政治家は日本にはいないものでしょうか。

それとも、そんな政治家がいるのだけれども、私がたまたま見たテレビ番組では報道されなかっただけでしょうか。

2010年4月10日土曜日

台湾のスーザン・ボイル

以前に台湾の『星光大道』という歌のコンテスト/オーディションの番組を紹介しましたが、その『星光大道』も第6回を迎え、驚異の新人を生み出しています。

それは林育羣という24歳の青年で、彼についてCNNCBSをはじめとする世界中の437のメディアが報道、「台湾のスーザン・ボイル」と賞賛しています。

実際、YouTubeにあるとある彼の画像の再生回数はすでに250万回を超えています。

彼の歌声にはただただ驚愕です。

皆さん、もしまだお聞きになっていらっしゃらなければ、ぜひ聞いてみて下さい。

2010年4月9日金曜日

簡単台湾語講座 ~ 絶対に覚えておきたいフレーズ

台湾語でまず最初絶対に覚えるべきフレーズは何でしょうか?

こんな質問を台湾人にするならば、恐らく10人中9人の台湾人は言うでしょう。

食飽袂? Chia̍h pá boē?

発音は北部であれば「じぁばーぶえ」、南部であれば「じぁばーべ」のように聞こえます。

直接日本語に訳せば「お腹が一杯?」なのですが、実際の意味は「元気?」ということです。

台湾では北京語でも、同じ意味に相応する

吃飽了没? Chī băo le méi?

という挨拶は良く交わされます。記憶が正しければ、僕の北京出身の友人は

吃飯了嗎?

という言い方をしていたかと思います。ここでも台湾の北京語は大陸のものと微妙に違います。

話がそれましたが、返事の仕方は、

食飽啊! Chia̍h pá a!

発音は「じぁばーあ」、直接訳せば「お腹いっぱいだ」、意味は「元気です!」ということです。

更に会話を続けていくためには、

你咧? Lí le?

発音は「りーれ」、意味は「あなたはどうですか?」、英語の「How about you?」ということです。

なおこの台湾語の影響を受けて、大陸の北京語では「你呢?」というところを、台湾の北京語では「你咧?」(にーれ?)ということの方が多いですね。

(注: 台湾語の漢字表記については主に東方台湾語辞典、教育部の推奨の記述方法に基づいています。台湾語のローマ字表記については教会ローマ字を使っています。)

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起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。