2020年1月15日水曜日

台湾の選挙から日本を考える


台湾では在外選挙の仕組みがないため、今回の選挙のために、多くの人が世界各地から移動しました。また住民票という概念も日本と異なり、日本の住民票に相応する戸籍を故郷に置いたままにしている人も多いため、故郷へ帰る人々の国内の移動も大変なものでした (特に授業が終わってすぐに帰省する大学生に感心!)。


日本は多くの若者が無気力に見受けられますし、在留邦人は日本の政治について文句は言うけれども、在外投票すらしない人が少なくないように見えます。台湾の人たちがこうして頑張っているのを見て対比すると、残念に感じます。少なくとも投票はして欲しい……。


また、年末にこんなニュースがありました。


『台湾の総統選 沼田前駐台代表、蔡氏と韓氏の差「5ポイント以内」と予測』


……各世論調査の結果で蔡氏の支持率が現時点で韓氏を大きく上回っていることに触れつつ、両氏の個性を加味すれば、「(支持率の)大きな開きはもしかすると無いかもしれない。5ポイントかその範囲内なのかもしれない」と分析した。


……さらに、立法委員選の行方も予測。民進党は「(議席を)確実に減らす」と断言し、「過半数の57(議席)を取れる保障はどこにもない。国民党が第1党になるかもしれない」との見通しを示した。


出典: http://japan.cna.com.tw/news/apol/201912230003.aspx 


結果論とは言え、現実には蔡英文が20ポイント近く離し、民進党が全開より議席を減らしたとはいえ60議席以上獲得したわけで、このことは日本の情報収集能力が著しく低下している現れだとも思えます。これまたなんとも残念な気持ちになります。


更に今回の結果について、香港で一国二制度がワークしないということが証明され、台湾が一国二制度にノーと言いったと解釈するのはよいのですが、更には多くの台湾人が「政経分離」が不可能であるということを悟ったということを認識した方がよいと思います。


これまでは統一は嫌だからとりあえず現状維持としておいて、そしてチャイナへ行ってお金だけは稼ごう、中国にへつらっておけば、たくさんの観光客が来てくれてたくさんお金を落としてくれるからそうしておけばいい。これまでは多くの台湾の人がこのように考えていたわけですが、今回はこれはどうやら考えが甘い、幻想に過ぎない、中国からお金で釣られたらエライことになってしまう、このように考える人が台湾の多数派となったわけです。

(無論、チャイナから撤退できずにいる企業や人もいますが。)

うちの日本老闆(りーべんらおばん;日本人ボスの意味)が

「ここ数年やっとこさ欧米は中国にはもう騙されないという姿勢をとっている。特にトランプ政権は中国と喧嘩している。欧米各国は中国のWTO加盟から約20年経って、WTO加盟後に中国は普通の国になるというのが幻想だったとようやく分かった。」
という話をしていらしたのですが、これと非常に似た話が台湾でも起きているということであると思います。

一方で日本といえば、日本を代表するような大企業は中国に将来の命運をかけるような戦略をとり、一部マスコミは中国ビジネスを煽り、政府は習近平を国賓招待するという。


どのようなプロセスを辿って、このような意思決定に至ったのか不思議な気がいたします。


日本がかなり危ない方向に向かっていると思うのは私だけでしょうか。


○●◎●○


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陽明山ウルトラマラソン


111日(土)、無事台湾の総統選が終わったので、翌12日(日)には陽明山ウルトラマラソンという大会に参加した。ウルトラマラソンの大会だが、僕が参加したのはフルマラソンの部42.195キロ。



陽明山というのは台北郊外の山地のことで、「陽明」という名前は明代の儒学者である王陽明にちなんでいる。複数の火山からなっていて、煙の出る噴火口があったり、温泉がところどころにあったりする。うちの弟は台湾留学時代に同級生とよくバイクで陽明山に行ったらしく、煙がモクモクでているところをバックにした、自分とバイクの写真を大切にしていた。

マラソンの方は、スタート地点は至善中学というところで標高約45メートル。最も高いところは台北市と新北市の市境辺りにある『風櫃嘴』(ふぉんぐいづい)と呼ばれる場所で標高約600メートル。ここはサイクリストの聖地で、台湾の自転車乗りの人たちはこの峠越えをよく行う。マラソンのコースに戻ると『風櫃嘴』を超えて、新北市の万里区の大坪という辺りで折り返す。

標高550メートル差ぐらいだったら普通のフルマラソンより少しきついだけで何とかなると思ったが、この考えは甘かった!スタートから『風櫃嘴』までは距離にして10キロぐらいあるのだが、情けないことにその途中の7キロ地点ぐらいで足が止まり歩き始めることになった。勾配が想像以上に急でかつ上りが長いのである。

話が違うじゃないかと思った。無論、大会の栞にはきちんとコースの説明や地図や高低図が記載されており、全く話は違わない。話が違うと思うのは、コースの厳しさを過小見積したお門違いなカブの我儘に他ならない。

『風櫃嘴』を超えるとしばらく下りが続くのでここはまた走り始めたのだが、急に天候が変わり激しい風雨に見舞われた。風雨が強くなり、気温が下がり、そしてまたコースの起伏が激しくなる。しかも雨は冷たく、霙か霰が混じっているのかとも思うほどだった。給水所のとあるお姉さんが「今年は特に天候に恵まれず、もう10度以下になってるよ」と仰られていた。

話が違うじゃないかと思った。天気予報をチェックした時、台北は「曇り時々小雨」だったじゃないか。しかしながら、台北の天気予報ではなく陽明山の天気予報をチェックするべきであって、その証拠に周りの参加者はみんな、ウインドブレーカーやカッパを着ているではないか。話が違うと思うのは、台北市内も陽明山も天気は同じだと思って、きちんと天気予報をチェックしなかったカブの怠慢に他ならない。

下はタイツを履いていたのは不幸中の幸いだが、上はTシャツのみで風雨に打たれるとかなり冷えた。しかも舗装路とはいえ、そこは山道。雨が大きいと、結構路面に水がたまり、シューズがずぶ濡れになる。何が好きで亜熱帯の台北でこんなに寒い思いをしなければならないのやら。

ただ陽明山の山道はこころなしか故郷金沢と南砺福光の境にある医王山の山道に似ているような気がした。子供の頃に吹雪の中、登下校した医王山山麓の道を思えば、寒さもそれに比べれば大したことがないと無理やり自分に言い聞かせた。




途中、18キロ地点で台湾大学のEMBAの同級生に会った。とはいえ、彼は21キロの折返し地点を過ぎて既に復路である。彼との差6キロ。恥ずかしい。彼のスマホで一緒に写真を撮って別れた。



更に20キロ時点くらいで、映画出演の時に演技指導でお世話になった俳優さんに出会った。セデック・バレという映画の花岡二郎役の役者さんといえば分かる人もいるかもしれない。演技指導の先生は久しぶりの再会を喜んでくれたが、彼は50キロの部に出場していたので、彼との差は10キロ。僕はこれまた恥ずかしい思いで一杯だった。

恥ずかしい一方で、ランニング仲間というべき人に出会うと励ましになるのも事実だ。自分も頑張ろうと思う。知り合いでない台湾のランナーの人たちも、途中すれ違う時に結構「加油!」(北京語:じあよー、台湾語:がーゆー)と言ってくれる。途中、毛布でぐるぐる巻になって大会スタッフにスクータの後ろで運ばれる人、家を作る時の床や壁に入れる保温材にくるまってガタガタしながら給水所にいる人など、寒さにリタイヤする人を見かけた。それでも自分は、友人より遅くても、少なくともリタイヤせずにきちんと完走しようと思った。

それはそうと給水所では、日本のマラソン大会とは異なり、余り大したものが準備されていない。バナナや茂谷柑(マーコット)、そしてチョコレートやクラッカーが並べられている程度である。それでも暖かい薑母茶(ジャンムーチャー)と呼ばれる台湾のジンジャーティーがあり、この上なく美味しく感じる。1つの給水所だけだが、コーンポタージュが用意されている場所もあった。体が暖まり本当に有難かった。

そうこうしつつ、なんとか復路で『風櫃嘴』まで辿り着いたが、練習不足と冷えのダブルパンチのためか、ここからゴールまで下りの10キロさえ走れなくなっていた。まさに膝が笑う状態で、下りですら歩くのもやっとの状態だった。

それでも道を下っていくにつれて、雨風が穏やかになり、気温が少しずつ上っていることを感じた。膝の痛みも和らいできた。

ゴールに着いた時、タイムは目も当てられないものだったが、それでも喜びはひとしきりだった。



反省点のまとめ(○は今回OKだった点、✕は改善ポイント)


○ スタートは午前6時だったが、午前3時前にスパゲッティを二皿食べた。エナジーゼルも多めに持った。給水所でも必ずちょこちょこ食べた。これで寒さになんとか耐えられたのかも。
○ タイツを履いていたこと。短パンのみの参加者は距離に関わらず少数(エリートランナーは除く)。
○ 大会では紙コップは使用しないため、スタート時点で携帯用の蓋付きコップを渡されるが、蓋のつけ外しがやや面倒。もう一つ持っていった自分の折りたたみ式コップの方が使いやすかった。

✕ 天気予報は「台北」ではなく「陽明山」をチェック。山の反対側では天気が変わるので、陽明山周辺の複数の場所のお天気を確認しておくべき。
✕ 台北郊外の陽明山と雖も、天気は変わりやすくかつ結構冷える。ウインドブレーカーとレインコートは持っていくべき(少なくともレインコートは必須)。
✕ シューズはずぶ濡れになることも大いにある。場合によっては防水のあるトレイルラン用のシューズの方がよいかもしれない。少なくとも防水スプレーをかけておくのがよいと思う。
✕ 大袈裟と思われるかもしれないが、カイロをもっていくのがベター。
✕ 10キロの連続上り坂攻略が必要。勾配も結構急なので、相応の覚悟・準備が必要。

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2020年1月11日土曜日

2020台湾総統選



台湾の選挙が無事ほぼ開票を終えました。

ご周知の通り蔡英文さんの圧勝でしたが、何よりも素晴らしかったのは台湾の若者のパワーです。

投票率は7割超えと思われますが、多くの台湾の若者たちが、国外の留学先から、あるいは台湾島内を東西南北に駆け巡り、戸籍地の故郷に戻り、貴重な一票一票を大切に投じたことは、世界に誇れる実績であり、感動の一大事でした。

 台灣e少人家真正讚!!!


台湾にまた新たな希望が芽生えたと思います。


○●◎●○


まとめ(ほぼ確定)

・ 蔡英文さん圧勝。
 - 約817万票を獲得し、史上最高得票を記録。
  (これまでの最高は2018年の馬英九で約765万票。)
・ 投票率75%以上の見込み。
  (これまでの最高は2000年の82.69%。)
 - 得票率57.1%。
 - 多くの若者が国外・国内から故郷へ戻り、投票。
   選挙期間中は若者の移動で、大変なことに。
 - 選挙直前の集会、SNSでも若者の力が全開の様子。
・ 小選挙区73議席 
 - 与党民進党46。
   濁水渓以南で民進党が全議席を獲得。
   国民党22、基進党1(与党寄り)、
   無党派4(うち与党寄り3)。
 - 注目されていた若い民進党、独立系の候補者は、
   台中2区、台北5区等で勝利。
   一方で台中3区等では残念ながら敗退。
・ 比例区34議席
 - 接戦。
   民進党14、国民党13、
   (台北市長率いる)台湾民衆党4、時代力量3。
 - 総統選では完敗だが、
   国民党の力は単純に衰えているとは言えない。
・ 原住民枠6議席
 - 民進党2、国民党3、国民党寄り無党派1。
 - 山地原住民枠で民進党が初めて1議席を獲得。
・ ⇒ 合計で与党民進党が62議席獲得、
    全議席113議席の54%を獲得。
  ⇒ 緑陣営(与党寄り独立派)は、
    民進党+基進党+時代力量+無党派一部
    =69議席、61%。


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日本から台湾にもっとお酒を持って来たい!


皆さん御存知の通り、日本から台湾へお酒を持ち込む際、免税の上限は本数に関わらず1リットルとなっています。

この規定に従うと、日本酒であれば四合瓶720ml1瓶、ワインであればワンボトル750ml実質の免税範囲内での持ち込みになってしまうのではないでしょうか。

一方で台湾では日本酒もワインも高いため、もっとたくさん持って帰りたいと考えるのは私だけではないでしょう。

昨年11月に東京へ出張した際、お酒が大好きな台湾人クライアントが、ついついお酒を買い過ぎてしまいました。しかも彼のフライトは成田-台中。台中空港の国際線なんて乗客が非常に少ないため、スーツケースの中を調べられる確率はかなり高い、きちんと申告した方がよさそうだね、なんて話をしていました。

万が一台湾の税関で捕まった場合は、1リットル当たり2,000元、約7000円の罰金です!

出張後クライアントとお喋りしていたところ、

「お酒の持ち込みの申告手続きは、少々お金はかかったけど意外に簡単だったよ。」

と言っていたので、私も12月の出張時にちょっと試してみようと思いました。

まず台湾の税関のウェブサイトを調べると、「お酒は5リットル(本数に制限はない)まで持込可能。ただし大陸のお酒は1リットルのみ。」との記述があります。そして、免税範囲の数量に対しては、税金は控除されるとあります。

では申告すると税金は一体どれだけ払わなければならないのでしょうか。

台湾の税関のウェブサイトを更に細かく見ていくと、

  • 納税金額=関税+酒税+営業税

とあります。それぞれの税金の計算は、

  • 関税は、ワインは10%、日本酒は20%のようです。
  • 酒税は、ビール以外の醸造酒は1リットル・アルコール度1%につき7元です。
  • 営業税は、(価格+関税+酒税)に対し5%です。

例えばアルコール度12%のワインボトル(750ml)が2本でこの合計金額が1,000元であるとすれば、

  • 関税=1,000[TWD]×10%100 TWD
  • 酒税=12×1.5[l]×7[TWD]126 TWD
  • 営業税=(1000+100+126)×10%61.3 TWD61 TWD
  • 納税金額=100+126+61=287 TWD

となります。

感覚として500元、大体1,750円のワインを一本持ち込んでも、通関のための納税金額150元弱、500円ほどですね。

台湾でワインを買うことに比べれば安いように感じるので、実際にやってみることにしました。

東京出張の最終日にカルディやコンビニで、750mlのワインを6本、500mlのワインを1本、合計ピッタリ5リットル分のワインを買いました。初めての試みですので、安くて美味しそうなものを選び、合計金額は5000円ぐらいでした。

機内で『海關申報單』(税関申告書)をもらい、それを記入します(下図)。ワインたちは当然預かり荷物の中に入れておきますので、予めワインの名前や価格、アルコール濃度をどこかに控えておけばいいでしょう。



台湾で入国の際には、荷物を受け取ってから『』と書いてある赤のレーンへ行きます。私は松山空港ですが、税関のお姉さんが親切でテキパキやってくれました。税関申告書にアルコール濃度を記入するのを忘れたのですが、12%から13.5%まで色々あると補足すると、すべて12%で計算してくれました。

計算結果、税金の合計金額は524元で、空港のゲート横の銀行窓口で支払ってめでたく通関手続き完了!



1リットル当たり100元ちょいですので、安いものかなと思います。

ちなみにその後、台湾人の友人と飲み会があって、早速一本ワインを持っていきました。
「これうまいね、いくらだったの?」
と聞かれました。
「こいつは日本円で800円ぐらいだから台湾ドルだと230元ぐらいかな。通関時に払った税金を加えても300元ぐらいだろうね。」
と言うとみんな目を真ん丸にしていました。これぐらいのワインだと、台湾では700800元しそうだねと言っていました。

後日談ですが、この月は統一発票の抽選で600元当たり、通関時に納税したお金はきちんと取り戻しました。(笑) 


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2020年1月6日月曜日

台湾映画『返校』



以下は2019年9月30日に書いたものです。

○●◎●○

僕が日本に出張に行っていた920日(金)、台湾映画の『返校』の上映が開始された。そして924日(火)に、公開3日(2022日)の興行収入が6770万台湾元(約23500万円)に達したとの報道があった。
台湾映画の興行収入を調べると、歴代第1位は『海角七号 君想う、国境の南』で5.3億元である。また甲子園の話で、僕にとっては映画出演のきっかけになった『KANO』は歴代第6位で、3.4億元とのこと。『返校』は興行開始の3日間で、『海角七号』の12.8%、『KANO』の19.9%の興行収入を達成したことになる。
台北にいる親友に即連絡し、26日(木)の夜には台北に戻るから、この映画を一緒に見に行こうと言った。27日(金)に親友から連絡があり、28日(土)に、彼の恋人やその友人の四人で一緒に見に行くようアレンジしてくれた。

『返校』は白色テロの台湾を舞台にしている。上記記事には1962年の台湾を舞台にしているとあるが、なぜ1962年という特定の年なのかは分からない。映画をもう一度見てみたい気がする。ただ、台湾の戒厳令は1947年から1987年まで40年間続いた。言い方を変えれば、戒厳令が解除されてから30年ちょっとしか経っていない。40代以上の台湾の人たちは、大体戒厳令下の記憶がある。
地理的には『返校』は、郊外で山際にあると思われる「翠華中學」を舞台としている。台湾では「中學」は日本の高校に相当する。「翠華中學」には秘密の読書会なるものがある。放課後に地下にある貯蔵室で、教師が少数の学生と禁書を読むのだ。
第二次世界大戦後の戒厳令における禁書というと、共産主義のものかと思われることが多いが、それだけではない。事実、映画の中で映し出された禁書は3冊あったが、すべて共産主義とは関係がない。『返校』での禁書は、ラビンドラナート・タゴールの『迷い鳥たち』、厨川白村の『苦悶の象徴』、ツルゲーネフの『父と子』である。
ご存じの方も多いかもしれないが、戒厳令下の台湾では日本の書籍、漫画、テレビ番組(ビデオを含む)はすべて禁止されていた。僕の台湾語の先生が言うには、当時近所に駄菓子屋兼雑貨屋さんがあった(このようなお店のことを台湾語では一般に「柑仔店」(がまでゃむ)と書く。本来は「𥴊仔店」(kám-á-tiàm)と書き、「𥴊仔」はザルの意味。「柑仔」(kam-á)は柑橘の意味だが類似音である)。そこに秘密の部屋があり、窓は黒い紙、壁には布が貼られていて、外に光や音が極力もれないようになっていたという。この外からは分からないようにされた秘密の部屋で、日本から持ち帰られたビデオカセットをこっそり見たという。
ちなみに僕の台湾語の先生(女性)のお気に入りは『暴れん坊将軍』だったらしい。

映画で登場する3冊の禁書のうちの1冊も日本のものである。しかし、厨川白村(くりやがわ はくそん)については、恥ずかしい話だが僕は全く知らなかった。インターネットで調べると、厨川白村は夏目漱石の『虞美人草』の登場人物のモデルであった人らしい。
彼の著作については、amazon.co.jpで検索してもヒットせず、青空文庫でもない。国会図書館デジタルにて読めるくらいである。
一方で、現代の台湾では普通に魯迅訳の厨川白村が売られているようである。

言うに及ばず禁書の読書会は危険である。読書会自体が見つかれば大変なことになることは言うに及ばず、禁書を所持しているだけで非常に危険である。
『返校』では「翠華中學」の登校シーンから始まる。校門から少し入ったところに、生活指導の先生みたいな人がいて、生徒たちはその人の横を通って校舎に入っていく。そのうち挙動不審の生徒の一人が捕まり、かばんを開けて見せるように言われる。一見すると一昔前の日本でもあるようなシーンであるが、意味合いは随分と違う。
この生活指導の先生みたいな人は、台湾では一般に「教官」(jiao4 guan1)と呼ばれている。日本でいう教官は、学校や研究機関で教育に携わる人であったり、より広義には、特殊な技術を教える人たち、例えば自動車学校だったり、昔の日本のドラマであれば、スチュワーデス(今でいうCA)のトレーニングセンターの先生も教官である。
台湾の「教官」の意味合いは大きく異る。一般に台湾での「教官」は「軍訓教官」の略称である。すなわち、台湾の教官は軍人である。台湾の高校、大学には軍人である教官がいる。(更に高校生や大学生をインターンや研修生として受け入れる企業の一部にも、教官を設置している場合がある。)教官の役割は、校内の安全と秩序を守り、学生さんたちに秩序正しい生活を送るよう指導することである。ここまでは生活指導の先生と同じである。ただし台湾の高校、中学では簡単ながらも一部軍事訓練や活動を行っているようで、それを主催するのもこの教官の役割である。
戒厳令下の白色テロ時代においては、軍=国民党政府で、教官はかなりの権力をもっていた。そんな教官に禁書の所持がバレてしまえば、本人どころか一族郎党国民党から酷い目に合わせられるのは明らかである。

そんなオープニングシーンの後は、主人公である女子高校生の悪夢の内容に入る。普通に見ていると、いわゆる学園ホラー映画と余り相違が無い。ただ出てくるモンスターは反共のスローガンを唱えている他、もう一つ白色テロ時代の台湾だと思ったのは、「防空壕」へ人を探しに行くシーンがあることである。戒厳令下にあり、反共反攻大陸を謳った国民党政府の支配の下で、台湾では多くの建築物に防空避難設備の設置が義務付けられたのである。学校や病院や大きなオフィスビルはもちろん、三階建て以上のアパートにも全てである。
これは余談になるが、昔居酒屋をやっていた時、その古いビルには使われていない地下室があり、入り口に「防空避難設備」というステッカーが貼ってあった。最近、その地下室がバーとしてオープンしたのだが、たまたまかもしれないが、なるほど防空壕のような雰囲気であった。台湾では、スイスのように核シェルターをたくさん作ることも可能かもしれないと思った。
ちなみに今もなおその法規は廃止されておらず、台湾で三階以上の大きな建物を建てるときには注意が必要である。

『返校』のクライマックスの画面では、
「事情都過去了,就當一切沒發現過,不好嗎?」
(もう過ぎてしまったことだ。何も起こらなかったこととしよう。それでよいではないか。)
という声が「翠華中學」の講堂で響く。これは言うまでもなく、台湾の人の歴史に対する警告の声に聞こえる。
戦後直後の戒厳令をくぐり抜けてきた台湾人の親の世代は、政治に口を出したら酷い目に遭う、見ざる聞かざる言わざるを花とし、そう子供に教えてきた。現台北市長柯文哲も立候補の際に、彼の母親は政治は危険だからやめてくれと涙を流したと言う。彼の祖父も228事件の被害者である。
これに反して、20代から30代の戒厳令の経験のない若者には恐れはない。白色テロ時代の台湾の歴史をどんどん勉強し、いろいろな場所で堂々と議論するようになったのは勇気ある若者に負うところが大きい。
これからも台湾の人々にはどんどん歴史を大切にして欲しいと思うし、僕自身も勉強していかなければならないと改めて思った。

さて、『返校』のラストシーンでは時代が過ぎて、準主人公の男子高校生は甲谷よりも更に年上のおじさんになっている。「翠華中學」は取り壊され、大きなマンションが建設されることになった。準主人公は「翠華中學」に入り、秘密の場所から隠された禁書を取り出し、そこに挟まれた教師から女子生徒への手紙を開く。その最後の行には「致自由」(自由のために)と書かれていた。
返校』は台湾では920日に上映されたが、香港では元々1017日に上映予定であったものが、本映画のデータが突然消しされるという事件が起き、上映が125日に延期されることになった。今後も色々な妨害があると思うが、香港の「自由のために」奮闘する人たちに、是非この映画を見てもらえることを強く願っている。

この文章を書いている時に、『返校』が1週間の興行収入が1.3億を越えたというニュースがあった。たった一週間で、『海角七号』の約4分の1、『KANO』の4割近くを達成したことになる。親友とそのことを話すと、『返校』は親子で見られる内容であるところが、売上を伸ばしている大きな理由らしい。「子供が普通に見ると、ただの学園ホラー映画と勘違いするかもしれないから、親がきちんと背景にある台湾の歴史を教えるといいよね。」と言うと、「そうね、うちの家庭は割とよく話すんだけどね。」という答えが返ってきた。『返校』によって、歴史の話をする台湾の家庭がもっと増えればよいとも思った。
台北市政府、新北市政府、基隆市政府は、930日(月)は台風休みを宣言した。台湾では台風が直撃すれば、休みになる。通勤通学難民みたいな人は発生しない。台風休みの日には、皆おとなしく家でテレビを見るか、こっそり近所の映画館やカラオケに行くことが台湾人の楽しみのようである。また『返校』の売上が伸びるかもしれない。

2019930日 台北の自宅にて

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2011年2月3日木曜日

証城寺の狸囃子コマーシャルの謎 1

年末に台湾のテレビで放映されていたコマーシャルで、1つどうしても気になってしょうがないものがあった。



それは富邦金控 (Fubon Financial Holdings) という台湾でも大手の金融グループ会社のTVコマーシャルである。

このコマーシャルでは、我々日本人には馴染みの深い『証城寺の狸囃子』の音楽に合わせて、たくさんの老若男女が至る所で踊っているものを撮影しただけのようで、広告の対象となる何らかの商品が出てくるわけでもなく、一般の広告にあるような楽しいキャッチフレーズがあるわけでもない。

しかも時間帯によってはかなり頻繁に放映されるのである。

なぜ富邦ファイナンシャルグループは巨額の広告費をはたいて、「証城寺の狸囃子」のコマーシャルを流しているのだろうか。

とんとん解せぬとはまさにこのことである。

○●○

そんなある日、プロジェクトメンバーたちと昼食に出かけたところ、お店のテレビでまたもこの広告が流れていた。

「あ、またこのコマーシャルだ!」

僕が大声で言うと、プロジェクトの追い込みで疲れているメンバーたちも何だ何だと驚いて、僕の顔をじっと見つめる。(続く)

2011年2月2日水曜日

過年暗

今年は22日が旧暦の大晦日にあたる。

北京語で大晦日は『除夕』(ちゅーしー;Chu2-xi1)と呼ぶのは知っている方も多いと思う。

台湾語ではどうだろうか。一つ目の言い方は、『過年暗』(ごえにーあむ;Koe3-ni5-am3)である。

もう1つの言い方は、『二九暝』(りーがうみー;li7-kau2-mi5)或いは『三十暝』(さーづぁっみー;SaN1-chap4-mi5)という。

何故ここで二九になったり三十になったりするかと云えば、年によって旧暦十二月は29日で終わったり、30日で終わったりするからである。

ちなみに今年の陽暦2月2日は陰暦12月30日なので、『三十暝』と呼ぶべきである。

台湾では元日ではなく、大晦日に一番のご馳走を食べる習慣があるのだが、今年も知り合いに呼ばれて重いお腹で帰宅すると、携帯電話のショートメッセージが届きだし、爆竹の音が響き始めてきた。

一般の人はどうかは分からないが、僕の周りの人たちは日本のように年賀状みたいなものは出さずに、携帯のショートメッセージで新年の挨拶をする。

ところで、この台湾の旧正月名物爆竹には頭が痛いところである。これのせいで大晦日は大抵は寝付けないものである。

この爆竹の由来は何かということを最近知った。

○●○

昔々、「年」という怪獣がいた。

普段は海底の奥深くに住んでいるのだが、毎年大晦日になると海底から人の住むところにはいあがってきては、人を襲うのである。

ある乞食の老人が大晦日にとある老婆に言った。

「もし私を今晩うちに泊めてくれるならば、『年』怪獣から守ってあげよう。」

この老婆は半信半疑ではあるが、この乞食を家に泊めることにした。

乞食はまず門の側に赤い紙を貼った。

そして、家の中を夜通し明々とロウソクを灯した。

夜中になると、ソロリソロリと「年」が老婆の家を襲おうと門を越えて入ってこようとした。

すると、バチバチっと激しい音がなり、「年」は慌てて逃げ出した。

翌日の元日に、乞食は老婆に「年」は赤色のもの、激しい音と明かりを恐れるのだと話した。

○●○

こんな話があるのだと感心しながら、プロジェクトにいる若者に話したところ、「知らない」との素っ気ない返事だった。

民間伝承の物語が廃れつつあるのは、日本でも台湾でも同じようだ。

突然だが、話を「年賀ショートメッセージ」に戻す。

幾人かのオテンバ台湾女性の同級生やその他知り合い達には「新年快楽!うさぎ年の今年は、あなたも兎のように大人しくしましょうね。」との文面で送ったところ、「私は元々兎よりも可愛らしく、羊よりも大人しいわ。今年は更に優しくなるから、どうぞお楽しみに。」との返信があった。

新年早々頭が痛いところである。

✤✤✤✤✤

本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。