2020年1月20日月曜日

蔡英文 心の父の意志を継承し更なる遠みへ



台湾で発表された文章『蔡英文完全繼承「精神父親」李登輝的意志 而且走得更遠』
の拙訳です。

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明日は李登輝の97歳の誕生日である。



(本写真は上の記事原文から取得)

蔡英文と陳菊はその誕生日より一日早く李登輝を訪問し、30分ほど足を留めた。李登輝も蔡英文に続投が決まったことに対して祝福した。

様々な蔡英文の写真が公開されているが、そのうち2枚が脳裏から永遠に離れることはないと思われる。そのうちの1枚がこの写真である。いつも冷静な蔡英文が李登輝に寄りかかり、珍しく感情を顕にしている。この笑顔、この喜び、まさに父娘そのものである。ある意味、李登輝と蔡英文は心でつながっている父娘と言っても相違がない。

2018年春、私達は永和区にある総統官邸に蔡英文を訪問した。彼女は小さなリビングに座っていてこう言った。彼女の父蔡潔生と李登輝は古くからの知り合いであり、とある年に父親と一緒に李登輝を訪問した。その時もこのリビングで、この旧友たちは多岐に渡る色々なことをおしゃべりした。彼女は側で静かに話を聞き唯一話した言葉は「お父さん、もう11時よ、そろそろおいとまいたしましょう」だった。

蔡英文は李登輝の時代に育てられた。1984年、蔡英文は28歳。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業し、父の言うことを聞いて帰台した。国立政治大学で教鞭をとり、法律学者として経済部の顧問を10数年の長きにわたって務め、官僚としての経験を積むとともに、父親の世代の人々との交流をもった。

李登輝は蔭で陳水扁が総統の道へと登っていくのを支え、西暦2000年という時代の区切りに、蔡英文は大陸委員会の主任委員として招かれた。陳水扁は外交業務を敢えて前政権の人材に託したのである。一般的には李登輝がこのように依頼したと考えられている。あるいはこのような言い方が出来るかもしれない――蔡英文は李登輝が民進党へ養女に出したのである、と。

蔡英文が民進党に入党したのは2004年になってからである。大陸委員会の主任から比例区の国会議員へと転身し、政界に足を踏み入れたのは実は非常に非常に遅いタイミングであった。事実、2008年馬英九は彼女を総統選のパートナーとして選びたかったと言っていたと言われるほど、彼女の政治色は目立たないものであった!(John F. Copper 2016年,188頁)

世の流れはまるで変わってしまい、2008年に蔡英文は民進党の主席候補に立候補した。実際のところは民進党のお家事情はかなり落ちぶれていて、どの派閥でもどのグループでも、この状態を切り盛りしたいという人間がいなかったのである。そこでこの腐りかかった家を誰かが連れてきた養女に丸投げしたのである。結果は周知の通り、彼女はこの家業を持ち直すことに成功したのだが、しかしそこは養女の身である。家業を繁栄させたとは言え、大一族の各世帯は彼女のことを軽んじた態度のままであった。2018年に呂秀蓮を訪ねた時、美麗島事件に話が及んだ。呂秀蓮は自分たちが美麗島事件で抗争している時、蔡英文がどこにいたか知らないと少々侮蔑にも似た口調で話した。時折新潮流派の長老たちに教えを請うと、蔡英文は弱い、そして木を見て森を見ずだと言った具合で、これまた蔡英文を軽く見ていた。

民進党のお家事情は、実のところ民視(注:台湾のテレビ局)の郷土劇場ドラマのようなもので、嫡流本家の長男の長男は地位が高く尊大で、本当に高貴なのはどこからか連れて来られた養子あるいは養女の方である。民進党が重用したのは、貧乏な家から苦学して這い上がり医者となった頼清徳(別名「台湾独立派のプリンス」)であった。蔡英文の心の父も、彼女が決断力と勇敢さに欠けるという苦言を口にすることが少なくなく、頼という大切な孫を誉めた。誰もが彼女が失敗することを待ち望み、昨年の党内での予備選では悲惨ないじめに遭ったと言っていい。

あるいは我々はこのように大胆な推測をしてもいいかもしれない。蔡英文は後妻の子供であり、家には10人の兄弟たちがいた。一番の末っ子として可愛がられたとは言え、このような環境で育っていくということは、他人の顔色を伺わなければならないし、品行方正でいなければならない、だからこそ、末っ子の甘えのようなものは全く無く、民進党郷土劇場ドラマで養女の役を演じることも余り難しいことではなかったのかもしれない。

環境が個性をつくり、個性が彼女の運命をつくる。彼女の全てが彼女の個性の中の確固たる忍耐とは、全く無関係ではない。18年に中央社が彼女にインタビューで訪れた時、即問即答集を考え、一番好きな映画の登場人物は誰かを聞いた。彼女は二人選んでもいいかしらと言いながら、「一人は日の名残りのアンソニー・ホプキンス、もう一人はアイス・エイジのシド。」と答えた。アンソニー・ホプキンス!!!人が忍耐出来ないすべてを忍耐しつくし、苦々しい感情をすべて押し殺す執事、かつ優雅でかつ自分自身を堅持している。このことが全てを説明しているではないか。

明確な主張があり、忍耐力がある。このような人物は失敗を恐れない。自嘲気味な韓国瑜を例外として、馬英九、頼清徳、柯文哲、呂秀蓮等のように台湾の政治家たちは大部分がナルシストである。政治家の政治ゲームはパラ拳(注:台湾のお酒を飲んだ時などに行う遊び)やじゃんけんぽんに似ている。彼女だけが碁を打つ。高みから遠くまで見渡し、遠い将来を見据えた厚い碁を打つ。

このような人物は失敗を恐れないものだ。2010年に新北市市長に立候補し朱立倫に敗北を喫し、2012年に総統選にて馬英九に敗北を喫し、そして2018年の民進党の大敗北と屈辱的な失敗を経験している。厚い碁のような長期的な戦略と戦術をもつ人間は一時の失敗を全く恐れない。2012年の敗北に際して彼女が行ったスピーチは、多くの人の共感と感動を呼び、大きな器を感じさせる風格があった。最後に勝利を手にする人物はどうやって負けるかを全く知らないものである。

昨年6月にTVBSの独占インタビューの際に、彼女はこう言っている。
「政治は禍福糾(あざな)えること縄の如し、失敗してから、盲点が浮かび上がってくる、そして却って自信がついてくるものです。もし何もしないで補助金のみを支払う政府であれば、私もそれは出来るし、みなさんが私のことをもっと気に入ってくれます。私は自分が十二分に剛毅果断であるとは言えず、また十二分に勇敢とも言えないことは分かっています。ただ本音を申し上げれば、剛毅果断でなく勇敢でもない総統が、敢えて年金改革に着手するでしょうか。敢えて三年間もの時間を費やして年金改革を実行するでしょうか。そして再度三年の月日を費やして国民はその効果をやっと感じるのです。私はなんのリスクもとっていないといえるでしょうか。総統は勇敢かつ剛毅果断でいなければいけないことに加えて、時には忍辱負重(にんじょくふじゅう)でいなければならないのです。」

彼女は強固な意志力でもって劣勢をひっくり返した。選挙前の最後の金曜日、私は蔡英文の選挙総本部にいた。午後4時頃になり宣伝カー部隊が出征より戻ると、欧米と香港からの視察団がまず本部ビル前に第一列目を詰め込みながら陣取っていた。小さな旗を振るガイドについてウロウロしていたのは、日本人のグループだった。彼らは本部で蔡英文グッズのカップ麺や帽子を買って、スケジュールに従って集合し、バスに乗った。蔡英文が巡幸を終えご帰還になると、優雅な日本人マダムたちは旗を振り、小さな声でキャアキャアと叫び、あたかもタカラジェンヌの降臨を見るかのような様子である。他にも一人のベトナム人留学生がいて、台湾がアジアで初めて同性婚を合法化したことから、彼にとって台湾は羨望の対象であり、わざわざ二週間の時間を費やして見に来たとのことである。声援が行き交う夜、自由広場と国立図書館の間の通りは閉鎖され、多くの香港人たちが何もなくただ時代革命、光復香港(Revolution Now, Free Hong Kong)と叫びつつ、横にいる警察たちを見て、警察がいるけど催涙スプレーはないねとニッコリと笑っていた。

選挙本部のメインカラーは桑の葉と桃をイメージした薄緑色とピンクであり、国旗や国章はない。かといって民進党党旗もなく、数年前に新潮流派の長老が文学青年や芸術青年が国を治めるのかと皮肉を込めて笑った。しかしながら彼女は既に一つの美学を形成し、一つの風格をも形成し、投票前夜には悲壮感もなければ、誰に跪く必要もなく、公明正大に畏れるものなく叫んだ。「平均給与の引き上げ、達成した。減税、やった。長期介護改善、やった。幼児託児所幼稚園の改善、やった。年金改革、やった。国防改革、やった。エネルギー改革、やった。台湾企業の台湾回流投資、やった。社会住宅、やった。同性婚の合法化もやった。経済の構造改革もやった。社会のセーフネット強化、これもやった。民主主義の防衛機制の構築、これもやった。」そして最後に叫んだ。「一国二制度の拒否、2300万の国民のため、これもやった!」

台湾の選挙は国内の一大事でもあり、世界の一大事でもある。小さな島の選挙結果が太平洋地域の情勢を動かし、島内の選挙がホワイトハウスと中南海の国際的な争いになり、両雄相争い、彼女の深謀遠慮と沈着冷静さが結果として、台湾がアメリカ側より史上最大の外交利益を勝ち取ることになったのである。

心の父の意志を完全に継承するばかりか、更なる遠みに達し、養女か嫡孫かあるいは直系か庶子かには構わず、自分が主体となり自分が責任をもち自分自身が答えを得た。(本来ここは紅楼夢第四十回から遡る探春の話であると書こうと思ったが、よく考えると民進党はそんなに優雅でもなければ、曹雪芹の高みに至っているわけもない。せいぜいで汪笨湖(注:台湾の作家、政治評論家)版台湾紅楼夢になるのがオチである。)

台湾の選挙には毎回必ず立志激励の物語がある。陳水扁には貧しい家庭から上流へと這い上がっていく物語があった。韓国瑜には中年で失業した負け犬が逆襲する物語があった。蔡英文の物語は、逆境に面しても、決してぶれないことは大切で、かつ努力することは大切であると語っている。

2020年の総統選挙で817万票は「反浸透法案」は間違ってはいない、同性婚の合法化は間違っていない、年金改革は間違っていない、そして台湾は一独立主権国家であると言っている。国民と蔡英文はそれぞれの一票によって民主を守り、改革に後戻りはなく、民主はまた前へと進めたのである。

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2020年1月17日金曜日

蔡英文 父への謝罪 


20160118日に台湾にて発表された『跟父親說抱歉 蔡英文』という記事の和訳です。


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蔡英文 父への謝罪 


20160118


(本写真は上の記事原文から取得)

最後の1マイルの歩みを終えた蔡英文。彼女は台湾の歴史上初めての女性総統となったことは言うまでもなく、更には民進党を初めて国会で過半数越えの勝利に導いたリーダーとなった。

この栄光の瞬間、彼女は言った。「だからといって亡くなった父は決して喜ばないでしょうね。」父親は彼女が政治の世界に身をおくことに反対し、大陸委員会の主任委員を務めていた時期には、電話をしてきて不平をこぼしたこともあった。「英文、何でもかんでもお前がやっていることを、テレビで知らせるのは勘弁してくれよ。」父親が2007年にこの世を去っていなければ、蔡英文は2008年に党主席の座には就かなかったであろう。父の目には、いつも靴を揃えずに脱ぎ捨て、静かに父親のドライブに付き添っていたこの少女は、16日に権力の頂点に登り詰めた。そんな彼女がこれまでに来た道を振り返り、父親に最も言いたかったのは「ごめんなさい」という一言だった。選挙に出馬することにより、父親の婚姻関係が絶え間なくマスコミでの議論の的となり、彼女は内心罪の意識を感じていた。2300万人の生活がその双肩にかかるこのリーダーにしても、心の深い奥底では今もなおこの父親の小さな娘である。

選挙前の最後の一晩の最後の時、既に98才まで齢を重ね、何度となく病魔との戦いをくぐってきた史明(注:台湾の歴史家・台湾独立運動家)は、突然集会の舞台の前に姿を現し、ぽかっと口を開け、手を胸に当てながらステージの上の蔡英文に会釈した。あたかも自分が一生涯追い求めていた理想を彼女に託したかのようであった。彼女はすぐに目を赤くし、そして周りに構わず頭をあげた。数秒間の間、激しい気持ちが流れ溢れていた。

勝利を迎えてから見せた笑顔


二日目は恐らく蔡英文の表情が最も豊かであった時ではないか。勝利の夜、彼女は声を詰まらせながら群衆に向かって台湾語で言った。「みんな嬉しい?みんな嬉しい?」傍らの陳菊がお茶を渡し、蔡英文はそのお茶を少し飲んでやっと笑顔を見せ、ステージの下ではシャッターが切り続けられた。この夜、華人世界で最も高い権力の地位に就いた女性となった蔡は、民進党を設立以来初めて立法院で過半数超えに導いたのである。

蔡は2008年の民進党が一番悪い状態の時に党主席を引き継いだが、これといった後ろ盾もない彼女に対して、誰もが二年ももたないと考えていた。ところがこんな想像に全く反して、彼女は民進党を苦境から脱出させることに成功し、2014年の総合選挙において大勝利を収めたのである。暗く波が荒れる道を歩み続けようやく大勝利に辿り着いた翌朝、本誌の電話インタビューに対して彼女は、「如何に強くて如何に頭の良い人でも、選挙のようなプロセスを進んでいく中、弱気にならないことなんて有り得ません。でも私にはそんなことはありませんでした。それは決して私が強いからではなく、私の後ろに良いチームの存在があったからです。

彼女はこの時の勝因の一つについて次のように結んでいる。「少額募金は人民により近づくための方法なのです。…人民に対して頭を下げることは大切なことなのです。」彼女は勝利の後、民進党に出した一番目の指示は「謙虚であれ、謙虚であれ、そして更に謙虚であれ。」という一言だった。蔡英文は2000年に大陸委員に任命された時にようやくその人柄が広く知られるようになり、2016年には既に権力の頂点に登っている。政治界のスターの養成は、彼女の言うところの「苦難が人を育てる」、これ以外の何者でもないのであろう。

民進党も彼女によって変わった。蔡英文のオフィスのデスク上には中華民国の国旗が置かれ、これは昔からの支持者の意図に反しているように思われる。民進党の党中央委員会も主席の習慣に従い、皆が「北京語」で話すようになった。陳菊ですら、選挙立候補者のサポートでステージに上がる時には台湾語を少なめに話すようになった。蔡英文により、この党もまた品を上げたかのように思われる。

グリーン陣営(注:独立派はグリーン陣営、統一派はブルー陣営と呼ばれている)の支持者であり、かつ蔡英文の親友である風車文化教育基金の代表である李永豊は、「台湾人は情を重んじる。一人の女性が一つの政党を救うのを見て、感動しないだろうか。」と言う。一人の「か弱い」女性が、危機に瀕していた民進党のイメージと巧妙に重なり合い、却って支持者の共感や同情を激しく揺り起こしたのである。

品格を上げた民進党


彼女は話をするときは、今でも右手を挙げながる習慣がある、それはあたかも大学教授のようで、そして淡々とした口調で、時にはどもりつつ話す。毎回テレビの討論会の後には、グリーン陣営の支持者は彼女の成果を評価せず、1994年陳水扁が台北市長の時の討論会の動画を熱狂的にシェアし、古い想い出から慰めを見出しているかのようであった。それが今や勝利である。李永豊は台湾語の諺を用いて蔡英文を形容する。「バクチに勝った人は、何をどう言っても正しい。」味気もなく特徴もないと言われた蔡の話し方であったが、今や理性的で冷静と言われるようになった。

とは言え何はさておき男性主導の政治の世界である。蔡英文は時には男負けずの頑強な面を見せることもある。某党幹部によると、党内の天王と呼ばれる大幹部たちが敗北によりイライラとして人を叱りつける場面を多々見てきたが、蔡英文にはそのような一面を全く見たことがないと言う。2012年の総統選にて敗北した際にも、彼女は全く落ち込むこともなく、すぐに理性的に敗北の原因を振り返ったという。初めて党主席に就任し、大幹部たちは彼女に構わず、党内の長老たちがしばしば彼女を呼び出して「説教」したが、彼女は礼儀正しく恭しく話を最後まで聴くものの、長老たちの指示は全く受け入れなかったと言う。

男性よりも更に強く


ある時地方にて、とある大幹部の宗親会(注:同一の苗字の人たちで構成される組織)の地盤において、大幹部は興奮し、今度の総統を選ぶのは自分のようだと言った。蔡英文に順番が廻り、ステージに上がると彼女は一貫して温和な微笑みを保持しながら、リラックスした感じでステージの下の人たちに「この中で宗親会の人たちは何人いらっしゃるのですか?」と聞いた。挙手した人は多くなかった。つまり群衆が見に来たのは大幹部ではなく彼女であるという意味である。そして彼女はまた質問をした。「前回お邪魔した時には皆さん私を支持して下さると仰ったのに、どうしていらしてないのでしょうか。」まるで小さな女の子が先輩に甘えるかのようであった。そして静かに大幹部に敬意を表しながらも、この年に行われる予備選に十分力が入っていないと言った。優しさをもすべて強さの表現手段となっている。

蔡英文はしばしば自分を猫に喩える。「私の性格は、自分が飼っている猫の蔡阿才にそっくりで、阿才は食べ物の好き嫌いはないし、どこででも寝られる。」表面上彼女は自分が出遇ったものをそのまま受け入れることができると言っているようで、しかしもう一方で彼女は自分がどんな困難な環境でも生き続けることができるとも言っているのである。

商人の家の出身で、父親は多くの妻子をもち、その中で最も年少である蔡英文はしばしば兄弟たちの間で父親の指示を伝え、そして走り回っていた。小さい力で大きなものを得んとする技術は、こんな家庭環境で獲得したスキルであった。最も可愛い末娘が政治の世界に足を踏み入れることに父親は反対であった。ただただ学者になればいいと願っていたのである。「もし父が2007年にこの世を去っていなければ、現在の蔡英文はなかったでしょう。」

今のような高みに登り詰めても、彼女は「だからといって父は喜ばないでしょう。」話す。鉄の女も父親のことを語るに及んでようやく少しの感情を露わにするようである。立法院にて海千山千の議員たちと口舌戦を繰り広げる末娘の姿は、この父にとっては見慣れない姿であり、堪りかねて電話をしてきて「他人には少しの情をかけ、逃げ道を残してやるものだ。」と言ったこともある。末娘が脱いだ靴を揃えなかった時、父は何日も我慢し、そして突然物々しく蔡英文を呼び出して、靴を揃えさせた。「父はいつも黙って私を見ていて、そして突然厳かに何かを言いつけたものでした。」蔡英文と同様父も口数が少なく、この父と娘にとって最も温かい想い出は、一緒に静かにドライブしながら、そして時折他愛もないお喋りをすることだった。「人生経験をちょっとお喋りするの。例えば父は私に『他の連中が奪い合ってやろうとするようなことには、絶対手を出すな』なんて言ったわ。」

この人生で最も輝かしいときに、お父さんに対して何を言いたいかと問えば、彼女は一瞬も躊躇せず「私は父に謝りたい」と答える。父親は全くのゼロから起業し、一所懸命自分の家庭を守り抜いた。「私が選挙に出馬したために、家庭のことがメディアで何度となくとりあげられてしまい、本当に父に申し訳なく思う。」権力の頂点に登り詰めたリーダーも、父の目の映る姿は永遠に靴を脱いでも揃えない、話をするときには相手に少しの情もかけない小さな娘なのだろう。

党幹部が形容する蔡英文は「安定したスタイルで、間違いを余りおかさない。」誤りをおかさないために、彼女はテレビの弁論会でも三分目ぐらいしか話をしない。宋楚瑜が台湾のGDPが韓国を越え、シンガポールに追いつかせると語り、朱立倫が最低賃金の引き上げを話に出した時にも、蔡英文からは数値的な公約はまったくなかった。九二共識に話が至った時も、彼女はその存在の有無についてはコメントせず、「92年の会談は歴史上の事実である。しかしながら会談結果に対しては色々な解釈がある。」とのみコメントしている。

このようなコミュニケーションのスタイルは彼女の政見でも反映されており、彼女自身は当選後、自身らが最もコミュニケーションに優れた政府になると言っている。食品安全を強化する、青年層の住宅問題を解決する…、甘い蜜のような公約は、まるで宗教が語る聖地のようで、仰ぎ見ることはできても、どのようにそんなところへどうやって辿り着けるかは分からないものである。

彼女が勝利を収めることができたことは、単に個人の意志によって実現したことではなく、この時代の要求でもあった。元立法委員の林濁水は、「環境を客観的に見られるかがキーとなっていた」と分析する。国民党が壊滅的な敗北を被った原因は、国民が両岸政策の失望と、中国に対する不安感の両者が民進党への票に投影されたと林は考えている。今回の66%という投票率は台湾史上最低であるが、勝利の一つの大きな原因はブルー陣営の有権者たちが投票を棄権するという選択をしたことにある。

蔡英文からの民進党の改革は表面的なものに留まるかもしれない。陳水扁時代以来、民進党にはコア・バリューが欠如しており、その状況は今も変わっていないと林濁水は分析する。洪仲丘事件からひまわり学生運動に至るまで、民進党は社会運動の牽引者ではなく、フォロワーとなっている。「改革への足取りは時代力量の方が前を走っている」と林濁水は言う。


蔡英文は理想と実務の二つの面のバランスをとろうとしている。社会からの要求に追いつくために、民進党は比例区名簿に社会運動で活躍した人たちを大量に採用し、地方選挙では各界との協業を行い、過去の国民党陣営も面目喪失である。政治評論家の江春男はこれを評して、「イメージに問題がある人たちがこの党に押し寄せ、台湾を愛するとか、反国民党などという安っぽいスローガンを政治的見解として、民進党は日に日に国民党化していることは火を見るより明らかである」と言っている。

苦境から脱出したい箱の中の猫


2000年の政権交代以来、民進党は改革を訴えてきている。2008年、国民党も改革を訴えるようになった。2016年の投票前夜、蔡英文の口からもやはり改革という言葉が出てきた。15年の月日は流れたが、台湾人は一体どのような改革を求めているのであろうか。皆が一眠りし、目覚めた時に台湾が変わっていることを切望しているのか。一人ひとりがステージの前にいた史明のように、改革の希望をステージの上にいる人に託しては、たびたび失望するのであろうか。

香港のメディアがかつて台湾の苦境を喩えて言った。台湾は箱のなかに閉じ込められた一匹の猫である。箱の外には二つの力がある。アメリカと中国だ。二つの力が箱を揺さぶる。箱の中の猫はバランスをとらなければならない。300万票の大勝利を得た蔡英文にとって、栄光は災いに転じ得る。そして民意は水、船を浮かばせることも出来れば、反対に船を無情にも転覆させることもできる。彼女もまたあの箱の中の猫となった。箱の外の二つの大きな力は、台湾という島の中の日に日に台湾独立を求める若い世代と、客観的に見ても日に日に強大となっていく中国である。勝利は偶然ではないが、箱の中のバランスをうまくとっていくことこそが本当の試練であろう。

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2020年1月16日木曜日

曽文ダムマラソン ①いざ台南



以下は2019年12月に曽文ダムマラソンに参加した時のお話です。

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126日(金)の朝の便で東京から台北に戻ってくると、台北は大雨でした。

今日こそは少しでも走りに行こうと機内では考えていたのですが、即諦めました。しかも、台北の自宅に着いてからPCを開き、こちらに無事戻ったことを報告するメールを日本の仲間に入れた後、ソファーに横たわっていると、そのまま眠ってしまいました……。東京では毎日夜遅くまで仕事があり、仕事の後は台湾の方を食事や飲みにお連れしていたので、ホテルに戻るのはいつも午前様だったのです。途中、トイレ等に起きた気がしますが、きちんと目覚めたのはなんと次の日の127日、土曜日の朝でした!

自分のぐうたらさ加減に呆れながら、東京出張で使った荷物をほどきつつ、台南行きの準備をします。実はフルマラソンを走るのは久しぶりで、よくよく考えると2015年の第1回金沢マラソンを走って以来です。フルマラソンを走るために準備するべきものを思い出しながら、荷物を整理します。

まず台湾のマラソン大会では、通常台湾マラソン協会(正式名称:中華民國路跑協會)のバックを使うことが推奨されており、更にはこのバックでなければ荷物を預かってもらえない大会もあります。久しぶりにこの小豆色の巨大サイズ(幅62cm×奥行24cm×高さ40cm)のトートーバックを引っ張り出してきます。なぜこのバックを使わなければ預かってもらえないのかは謎ですが、このバッグは100元の割に丈夫で、かつ大きさもゆったりとしたサイズで中々便利です。


 (写真は上述のインターネットサイトから)

次に衣服ですね。台南の山の中の気候はよく分からないですけれども、恐らく大会が送ってくれたタンクトップと短パンでよいと思いました。ただし12月の台湾は意外に寒いので、移動時のためにライトダウンジャケットやら長袖やらスエットやらも準備しました。

 (写真は曽文ダムマラソンの公式フェイスブックから)

あとは台湾の大会では、路線の途中の食べ物が自分の口に合わない可能性があるので、エネルギージェルをたっぷり準備しておくのがよいと思います。

忘れてはならないのは、パスポートや居留証や台湾の健康保険証等です。(そもそも台湾では外国人はパスポートがなければ、原則としてホテルにチェックイン出来ないですね。)

意外に忘れ易いけれども必須のものはワセリンでした。変な話ですが、乳首にワセリンを塗っておかないと(更にその上に絆創膏を貼っておけば完璧)、私みたいにノロノロ運転で42キロも走ると乳首がシャツと擦れて負傷するのです(早い人は関係ないのでしょうが……)。これが結構痛いんですよね。

15時ぐらいに荷物の準備を完了し、自宅を出発。

台北駅の自動販売機で新幹線のチケットを買おうとすると、運悪く普通の指定席(對號坐)は売り切れでした……。ということで今回は思い切ってグリーン車(商務車廂)に乗ることにしました。ちなみに台北-台南間の新幹線乗車料金は、グリーン車2,230元、普通車指定席1,350元、普通車自由席1,305元です(201912月現在)。グリーン車は結構高いですね。

台湾の新幹線のグリーン車はそれでも席はゆったりしていて、コーヒーやお茶は無料です。各駅を停車・発車する度にコーヒーやお茶のお代わりが必要か聞いてくれます。

台北駅から台南駅は新幹線(高速鉄道)に乗って約1時間半です。そして高速鉄道の台南駅は在来線(台湾鉄道)の沙崙駅に接続していて、ここから台湾鉄道の台南駅までは20分くらいです。新幹線の台南駅から台湾鉄道の台南駅へは、タクシーでもそんなに高くないはずです。私は18時頃には台南のホテルに着きました。

よくよく考えると台南に来たのは、2013年に八田外代樹夫人の銅像開幕式以来です。台南駅自体も、台南駅の周辺も全然変わっていなくて、私が2005年に初めて台南で仕事に来た時にずっと泊まっていた駅前の「台南大飯店」なんて、当時のそのままです。台南はお洒落な街として発展してきていると聞いていたのに、台南駅周辺は全然変わっていないのでなんだか拍子抜けしました(一応台南駅は外壁を工事中ではありましたが)。

長い間台南には行っていなかったものの、最近の台南には『我が家』という金沢人御用達の日本料理屋があると同郷の友人たちから聞いていました。このお店のマスターは金沢美術工芸大学に留学していたそうです。明日に備えて、『我が家』にてお酒は控えめに、食べ物はたっぷりととりました。『我が家』は商売繁盛、とりわけ土曜日の夜ということでお客さんが多く、マスターとお話出来ませんでしたが、レジの女性に自分は金沢の生まれで、金沢の友人が宜しく言っていると言って彼の写真を見せると喜んでくれました。

ホテルに戻ってから、シャツにゼッケンを付けたり、シューズにタイム計測用のチップを取り付けたりしました。早めにベッドに入ったのですが、昨日寝すぎたせいか、なかなか寝付けません。また自分のだらしなさを反省しながらうとうとしました。

さて翌朝、128日(日)の朝ですが、大会が準備したシャトルバスが5:00に台南駅を出発するので、4:30頃にホテルを出発してくてく歩いていると、ランナーっぽい人が結構歩いています。台湾では例の巨大トートーバックがランナーの目印です。

駅前の郵便局のポストには「劍獅」が描かれています。「劍獅」は台南安平地区で家々のお守りとして使われています。沖縄のシーザーと似ているように思います。



更に駅前の地下道の壁には八田與一さんが描かれていました。やっぱり台南に来るとホッとします。





台南駅に着くと、まだ出発時間の5時になっていないのですが、一台のシャトルバスが丁度出発するところでした。私は2台目のシャトルに乗り込みました。



バスは結構よい観光バスで、シートも揺れも心地よく、外もバスの中も薄暗く、私は即寝てしまいました……。
(続く)

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2020年1月15日水曜日

台湾の選挙から日本を考える


台湾では在外選挙の仕組みがないため、今回の選挙のために、多くの人が世界各地から移動しました。また住民票という概念も日本と異なり、日本の住民票に相応する戸籍を故郷に置いたままにしている人も多いため、故郷へ帰る人々の国内の移動も大変なものでした (特に授業が終わってすぐに帰省する大学生に感心!)。


日本は多くの若者が無気力に見受けられますし、在留邦人は日本の政治について文句は言うけれども、在外投票すらしない人が少なくないように見えます。台湾の人たちがこうして頑張っているのを見て対比すると、残念に感じます。少なくとも投票はして欲しい……。


また、年末にこんなニュースがありました。


『台湾の総統選 沼田前駐台代表、蔡氏と韓氏の差「5ポイント以内」と予測』


……各世論調査の結果で蔡氏の支持率が現時点で韓氏を大きく上回っていることに触れつつ、両氏の個性を加味すれば、「(支持率の)大きな開きはもしかすると無いかもしれない。5ポイントかその範囲内なのかもしれない」と分析した。


……さらに、立法委員選の行方も予測。民進党は「(議席を)確実に減らす」と断言し、「過半数の57(議席)を取れる保障はどこにもない。国民党が第1党になるかもしれない」との見通しを示した。


出典: http://japan.cna.com.tw/news/apol/201912230003.aspx 


結果論とは言え、現実には蔡英文が20ポイント近く離し、民進党が全開より議席を減らしたとはいえ60議席以上獲得したわけで、このことは日本の情報収集能力が著しく低下している現れだとも思えます。これまたなんとも残念な気持ちになります。


更に今回の結果について、香港で一国二制度がワークしないということが証明され、台湾が一国二制度にノーと言いったと解釈するのはよいのですが、更には多くの台湾人が「政経分離」が不可能であるということを悟ったということを認識した方がよいと思います。


これまでは統一は嫌だからとりあえず現状維持としておいて、そしてチャイナへ行ってお金だけは稼ごう、中国にへつらっておけば、たくさんの観光客が来てくれてたくさんお金を落としてくれるからそうしておけばいい。これまでは多くの台湾の人がこのように考えていたわけですが、今回はこれはどうやら考えが甘い、幻想に過ぎない、中国からお金で釣られたらエライことになってしまう、このように考える人が台湾の多数派となったわけです。

(無論、チャイナから撤退できずにいる企業や人もいますが。)

うちの日本老闆(りーべんらおばん;日本人ボスの意味)が

「ここ数年やっとこさ欧米は中国にはもう騙されないという姿勢をとっている。特にトランプ政権は中国と喧嘩している。欧米各国は中国のWTO加盟から約20年経って、WTO加盟後に中国は普通の国になるというのが幻想だったとようやく分かった。」
という話をしていらしたのですが、これと非常に似た話が台湾でも起きているということであると思います。

一方で日本といえば、日本を代表するような大企業は中国に将来の命運をかけるような戦略をとり、一部マスコミは中国ビジネスを煽り、政府は習近平を国賓招待するという。


どのようなプロセスを辿って、このような意思決定に至ったのか不思議な気がいたします。


日本がかなり危ない方向に向かっていると思うのは私だけでしょうか。


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陽明山ウルトラマラソン


111日(土)、無事台湾の総統選が終わったので、翌12日(日)には陽明山ウルトラマラソンという大会に参加した。ウルトラマラソンの大会だが、僕が参加したのはフルマラソンの部42.195キロ。



陽明山というのは台北郊外の山地のことで、「陽明」という名前は明代の儒学者である王陽明にちなんでいる。複数の火山からなっていて、煙の出る噴火口があったり、温泉がところどころにあったりする。うちの弟は台湾留学時代に同級生とよくバイクで陽明山に行ったらしく、煙がモクモクでているところをバックにした、自分とバイクの写真を大切にしていた。

マラソンの方は、スタート地点は至善中学というところで標高約45メートル。最も高いところは台北市と新北市の市境辺りにある『風櫃嘴』(ふぉんぐいづい)と呼ばれる場所で標高約600メートル。ここはサイクリストの聖地で、台湾の自転車乗りの人たちはこの峠越えをよく行う。マラソンのコースに戻ると『風櫃嘴』を超えて、新北市の万里区の大坪という辺りで折り返す。

標高550メートル差ぐらいだったら普通のフルマラソンより少しきついだけで何とかなると思ったが、この考えは甘かった!スタートから『風櫃嘴』までは距離にして10キロぐらいあるのだが、情けないことにその途中の7キロ地点ぐらいで足が止まり歩き始めることになった。勾配が想像以上に急でかつ上りが長いのである。

話が違うじゃないかと思った。無論、大会の栞にはきちんとコースの説明や地図や高低図が記載されており、全く話は違わない。話が違うと思うのは、コースの厳しさを過小見積したお門違いなカブの我儘に他ならない。

『風櫃嘴』を超えるとしばらく下りが続くのでここはまた走り始めたのだが、急に天候が変わり激しい風雨に見舞われた。風雨が強くなり、気温が下がり、そしてまたコースの起伏が激しくなる。しかも雨は冷たく、霙か霰が混じっているのかとも思うほどだった。給水所のとあるお姉さんが「今年は特に天候に恵まれず、もう10度以下になってるよ」と仰られていた。

話が違うじゃないかと思った。天気予報をチェックした時、台北は「曇り時々小雨」だったじゃないか。しかしながら、台北の天気予報ではなく陽明山の天気予報をチェックするべきであって、その証拠に周りの参加者はみんな、ウインドブレーカーやカッパを着ているではないか。話が違うと思うのは、台北市内も陽明山も天気は同じだと思って、きちんと天気予報をチェックしなかったカブの怠慢に他ならない。

下はタイツを履いていたのは不幸中の幸いだが、上はTシャツのみで風雨に打たれるとかなり冷えた。しかも舗装路とはいえ、そこは山道。雨が大きいと、結構路面に水がたまり、シューズがずぶ濡れになる。何が好きで亜熱帯の台北でこんなに寒い思いをしなければならないのやら。

ただ陽明山の山道はこころなしか故郷金沢と南砺福光の境にある医王山の山道に似ているような気がした。子供の頃に吹雪の中、登下校した医王山山麓の道を思えば、寒さもそれに比べれば大したことがないと無理やり自分に言い聞かせた。




途中、18キロ地点で台湾大学のEMBAの同級生に会った。とはいえ、彼は21キロの折返し地点を過ぎて既に復路である。彼との差6キロ。恥ずかしい。彼のスマホで一緒に写真を撮って別れた。



更に20キロ時点くらいで、映画出演の時に演技指導でお世話になった俳優さんに出会った。セデック・バレという映画の花岡二郎役の役者さんといえば分かる人もいるかもしれない。演技指導の先生は久しぶりの再会を喜んでくれたが、彼は50キロの部に出場していたので、彼との差は10キロ。僕はこれまた恥ずかしい思いで一杯だった。

恥ずかしい一方で、ランニング仲間というべき人に出会うと励ましになるのも事実だ。自分も頑張ろうと思う。知り合いでない台湾のランナーの人たちも、途中すれ違う時に結構「加油!」(北京語:じあよー、台湾語:がーゆー)と言ってくれる。途中、毛布でぐるぐる巻になって大会スタッフにスクータの後ろで運ばれる人、家を作る時の床や壁に入れる保温材にくるまってガタガタしながら給水所にいる人など、寒さにリタイヤする人を見かけた。それでも自分は、友人より遅くても、少なくともリタイヤせずにきちんと完走しようと思った。

それはそうと給水所では、日本のマラソン大会とは異なり、余り大したものが準備されていない。バナナや茂谷柑(マーコット)、そしてチョコレートやクラッカーが並べられている程度である。それでも暖かい薑母茶(ジャンムーチャー)と呼ばれる台湾のジンジャーティーがあり、この上なく美味しく感じる。1つの給水所だけだが、コーンポタージュが用意されている場所もあった。体が暖まり本当に有難かった。

そうこうしつつ、なんとか復路で『風櫃嘴』まで辿り着いたが、練習不足と冷えのダブルパンチのためか、ここからゴールまで下りの10キロさえ走れなくなっていた。まさに膝が笑う状態で、下りですら歩くのもやっとの状態だった。

それでも道を下っていくにつれて、雨風が穏やかになり、気温が少しずつ上っていることを感じた。膝の痛みも和らいできた。

ゴールに着いた時、タイムは目も当てられないものだったが、それでも喜びはひとしきりだった。



反省点のまとめ(○は今回OKだった点、✕は改善ポイント)


○ スタートは午前6時だったが、午前3時前にスパゲッティを二皿食べた。エナジーゼルも多めに持った。給水所でも必ずちょこちょこ食べた。これで寒さになんとか耐えられたのかも。
○ タイツを履いていたこと。短パンのみの参加者は距離に関わらず少数(エリートランナーは除く)。
○ 大会では紙コップは使用しないため、スタート時点で携帯用の蓋付きコップを渡されるが、蓋のつけ外しがやや面倒。もう一つ持っていった自分の折りたたみ式コップの方が使いやすかった。

✕ 天気予報は「台北」ではなく「陽明山」をチェック。山の反対側では天気が変わるので、陽明山周辺の複数の場所のお天気を確認しておくべき。
✕ 台北郊外の陽明山と雖も、天気は変わりやすくかつ結構冷える。ウインドブレーカーとレインコートは持っていくべき(少なくともレインコートは必須)。
✕ シューズはずぶ濡れになることも大いにある。場合によっては防水のあるトレイルラン用のシューズの方がよいかもしれない。少なくとも防水スプレーをかけておくのがよいと思う。
✕ 大袈裟と思われるかもしれないが、カイロをもっていくのがベター。
✕ 10キロの連続上り坂攻略が必要。勾配も結構急なので、相応の覚悟・準備が必要。

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2020年1月11日土曜日

2020台湾総統選



台湾の選挙が無事ほぼ開票を終えました。

ご周知の通り蔡英文さんの圧勝でしたが、何よりも素晴らしかったのは台湾の若者のパワーです。

投票率は7割超えと思われますが、多くの台湾の若者たちが、国外の留学先から、あるいは台湾島内を東西南北に駆け巡り、戸籍地の故郷に戻り、貴重な一票一票を大切に投じたことは、世界に誇れる実績であり、感動の一大事でした。

 台灣e少人家真正讚!!!


台湾にまた新たな希望が芽生えたと思います。


○●◎●○


まとめ(ほぼ確定)

・ 蔡英文さん圧勝。
 - 約817万票を獲得し、史上最高得票を記録。
  (これまでの最高は2018年の馬英九で約765万票。)
・ 投票率75%以上の見込み。
  (これまでの最高は2000年の82.69%。)
 - 得票率57.1%。
 - 多くの若者が国外・国内から故郷へ戻り、投票。
   選挙期間中は若者の移動で、大変なことに。
 - 選挙直前の集会、SNSでも若者の力が全開の様子。
・ 小選挙区73議席 
 - 与党民進党46。
   濁水渓以南で民進党が全議席を獲得。
   国民党22、基進党1(与党寄り)、
   無党派4(うち与党寄り3)。
 - 注目されていた若い民進党、独立系の候補者は、
   台中2区、台北5区等で勝利。
   一方で台中3区等では残念ながら敗退。
・ 比例区34議席
 - 接戦。
   民進党14、国民党13、
   (台北市長率いる)台湾民衆党4、時代力量3。
 - 総統選では完敗だが、
   国民党の力は単純に衰えているとは言えない。
・ 原住民枠6議席
 - 民進党2、国民党3、国民党寄り無党派1。
 - 山地原住民枠で民進党が初めて1議席を獲得。
・ ⇒ 合計で与党民進党が62議席獲得、
    全議席113議席の54%を獲得。
  ⇒ 緑陣営(与党寄り独立派)は、
    民進党+基進党+時代力量+無党派一部
    =69議席、61%。


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日本から台湾にもっとお酒を持って来たい!


皆さん御存知の通り、日本から台湾へお酒を持ち込む際、免税の上限は本数に関わらず1リットルとなっています。

この規定に従うと、日本酒であれば四合瓶720ml1瓶、ワインであればワンボトル750ml実質の免税範囲内での持ち込みになってしまうのではないでしょうか。

一方で台湾では日本酒もワインも高いため、もっとたくさん持って帰りたいと考えるのは私だけではないでしょう。

昨年11月に東京へ出張した際、お酒が大好きな台湾人クライアントが、ついついお酒を買い過ぎてしまいました。しかも彼のフライトは成田-台中。台中空港の国際線なんて乗客が非常に少ないため、スーツケースの中を調べられる確率はかなり高い、きちんと申告した方がよさそうだね、なんて話をしていました。

万が一台湾の税関で捕まった場合は、1リットル当たり2,000元、約7000円の罰金です!

出張後クライアントとお喋りしていたところ、

「お酒の持ち込みの申告手続きは、少々お金はかかったけど意外に簡単だったよ。」

と言っていたので、私も12月の出張時にちょっと試してみようと思いました。

まず台湾の税関のウェブサイトを調べると、「お酒は5リットル(本数に制限はない)まで持込可能。ただし大陸のお酒は1リットルのみ。」との記述があります。そして、免税範囲の数量に対しては、税金は控除されるとあります。

では申告すると税金は一体どれだけ払わなければならないのでしょうか。

台湾の税関のウェブサイトを更に細かく見ていくと、

  • 納税金額=関税+酒税+営業税

とあります。それぞれの税金の計算は、

  • 関税は、ワインは10%、日本酒は20%のようです。
  • 酒税は、ビール以外の醸造酒は1リットル・アルコール度1%につき7元です。
  • 営業税は、(価格+関税+酒税)に対し5%です。

例えばアルコール度12%のワインボトル(750ml)が2本でこの合計金額が1,000元であるとすれば、

  • 関税=1,000[TWD]×10%100 TWD
  • 酒税=12×1.5[l]×7[TWD]126 TWD
  • 営業税=(1000+100+126)×10%61.3 TWD61 TWD
  • 納税金額=100+126+61=287 TWD

となります。

感覚として500元、大体1,750円のワインを一本持ち込んでも、通関のための納税金額150元弱、500円ほどですね。

台湾でワインを買うことに比べれば安いように感じるので、実際にやってみることにしました。

東京出張の最終日にカルディやコンビニで、750mlのワインを6本、500mlのワインを1本、合計ピッタリ5リットル分のワインを買いました。初めての試みですので、安くて美味しそうなものを選び、合計金額は5000円ぐらいでした。

機内で『海關申報單』(税関申告書)をもらい、それを記入します(下図)。ワインたちは当然預かり荷物の中に入れておきますので、予めワインの名前や価格、アルコール濃度をどこかに控えておけばいいでしょう。



台湾で入国の際には、荷物を受け取ってから『』と書いてある赤のレーンへ行きます。私は松山空港ですが、税関のお姉さんが親切でテキパキやってくれました。税関申告書にアルコール濃度を記入するのを忘れたのですが、12%から13.5%まで色々あると補足すると、すべて12%で計算してくれました。

計算結果、税金の合計金額は524元で、空港のゲート横の銀行窓口で支払ってめでたく通関手続き完了!



1リットル当たり100元ちょいですので、安いものかなと思います。

ちなみにその後、台湾人の友人と飲み会があって、早速一本ワインを持っていきました。
「これうまいね、いくらだったの?」
と聞かれました。
「こいつは日本円で800円ぐらいだから台湾ドルだと230元ぐらいかな。通関時に払った税金を加えても300元ぐらいだろうね。」
と言うとみんな目を真ん丸にしていました。これぐらいのワインだと、台湾では700800元しそうだねと言っていました。

後日談ですが、この月は統一発票の抽選で600元当たり、通関時に納税したお金はきちんと取り戻しました。(笑) 


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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。