2020年2月10日月曜日

石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭 ②上口昌徳先生のこと



かよう亭での夕食の時間に、社長の上口昌徳先生がお顔を出して下さった。久し振りに拝見する上口先生はお変わりのないご様子で、凛としながらも温かい空気を発していらっしゃる。「先生、お変わりなくお元気そうで」と申し上げると、「もう来月で米寿ですよ」と笑顔でさらりと仰られたので、反対にこちらが驚いた。先生はいつも若々しい。

知り合いに連れられかよう亭を訪れ、上口先生と初めてお会いしたのは20142月のことだった。その知り合いは上口先生と打ち合わせがあるとのことだったので、その間に私は図々しくも源泉かけ流しのかよう亭の温泉を頂いた。

上口先生は知り合いとの打ち合わせを終えると、お風呂を終えた私に、既に絶版になっていて最後の一冊だというご著書にサインし、プレゼントして下さった。山中の風土から生まれた食材をそのまま活かしたお料理が、加賀の文化が生んだ山中漆器や九谷焼きの伝統工芸の器に美しく盛られている。料理も器も季節感に溢れ、各季節の情緒溢れるお料理の写真が200ページ以上続いていた。




石川県の方であればご存じの方は多いかもしれないが、上口先生は昭和42年(1967年)から平成3年(1991年)まで石川県議、1982年から1983年の間には石川県議会議長をお務めになられた。

一方で、先代から家業である「かよう亭」を継がれた。引き継いだ当時、かよう亭は経済成長の波に乗り、50部屋をもつ大きな旅館となって、繁盛していた。ところが1973年、上口先生は先代の留守中に突然休業、更には廃業という計画を断行された。ご尊父との激しい議論の後、経営を任され、4年後に総部屋数10室のみの今の「かよう亭」をつくりあげられたとのことである。

その後のバブル時代は、かよう亭にとっては我慢の時代でもあったようである。しかしバブルが弾け、大型温泉旅館が続々と閉業に追い込まれる中、かよう亭は直木賞作家の高橋治氏をして「日本一の朝食」を出す旅館と呼ばせしめ、そして日本贔屓の外国人たちの心をガッチリと掴み、知る人ぞ知る旅館として国外でも知られるようになった。

事実、プライベートジェットで訪れる外国人客もいるようで、「プライベートジェットで訪日客が訪れる旅館の魅力とは」という演題で上口先生は講演をされている。

更に米国のCNNも『6軒の極上日本旅館』(Six of Japan's most exquisite ryokans)の1つとしてかよう亭を選んでいる。


しかし上口先生はこんなかよう亭の成功には全く飽き足らず、更には山中温泉の街全体のために精力的に活動されている。

一時余り振るわなかった地元の酒造会社さんに対し、地元の酒蔵をなくしてはならないと旗を振り、温泉街全体の旅館でこのお酒を売り出し、現場から味の改善のためのアドバイスをしたりした。結果として、この松浦酒造さんのお酒「獅子の里」は、第5回アフリカ開発会議(TICAD)公式晩餐会の乾杯酒として選べるまでになった。

私事で恐縮だが、ウチの義妹も「獅子の里 純米超辛口」の大ファンである。

他にも先生の地元での活動やご活躍には枚挙に暇がないのだが、最近は山中温泉の展望台を作られた。小ぶりだが、山中の温泉街を見渡すことが出来、夜は星空も美しく、まずまずの評判のようである。結構細かいところまで色々と手を動かされるのである。

ところで話は変わるが、コマツの坂根顧問の「私の履歴書」を読むと、片山津温泉で豪遊した話はあるが、山中温泉の話は出てこない。それでも上口先生とコマツの坂根顧問は仲良しである。坂根さんは東京や小松市でコマツのV字回復を実行され、上口先生は山中温泉でかよう亭の改革を行ったと言えば大袈裟だろうか。

また上口先生との旧友である金沢の「小松弥助」の森田一夫師匠を訪れた時、「東の次郎、西の弥助」と称せられるこのお寿司の神様は、「上口さんは今でも一週間に一度はここに遊びに来てくれてね。何十年もの付き合いなのに、いつも遠慮されてね。今朝初めて米寿のお祝いということで、お店で僕のお寿司を食べてくれたよ。」と仰られた。

森田師匠は続けて、
「昔どこどこの家元と映画監督の誰々と三國連太郎とかの名優たちと上口さんと一緒に京都に行ったときにね、家元が上口さんに『まだお前、政治なんかに手を出してるのか』と言われたことがあったっけねえ。」
と懐かしそうに仰られた。

上口先生は米寿を迎えようが、メディアに称賛されようが、人に何を言われようがそんなことは全く気にするような方ではないのだと思う。

かよう亭の社長は今もなお現役で務め、毎日謙虚に一人ひとりのお客様のおもてなしに努められている。

一方で、県議会からは去られて長年経つが、山中温泉観光協会会長や北陸観光協会会長をずっと続投されていて、若い時とは異なる舞台において、ご自身の中にある郷土愛をどんどん行動に移されることによって、これを何らかの形に昇華されている。

コマツの創業の地である小松市を大切にしてくれた坂根さん、地元の若い弟子たちと厳しくも楽しそうにお寿司を握り続ける森田師匠、そんな強烈な郷土愛のネットワーク、そして偉大なプロフェッショナル集団の中で、上口先生は今でも元気で楽しそうなご様子である。

翌朝日本一の朝食を頂いてから、台湾の方とかよう亭のすぐ側にある鶴仙渓を散歩した。芭蕉の石碑がある辺りに、北陸では珍しい1月の小雨に濡れながら、早い山桜の花が咲いていた。先生のお人柄のように思えた。


石川県プレミアムツアーには直接関係のない話かもしれないが、上口先生の様な郷土愛を持たれる方はどんどん少なくなって来ているように思えるので、僅かとは言え薫陶を受けた者として、敢えてここに先生の話を紹介させて頂いた。

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2020年2月9日日曜日

能作「富山三大美酒ツアー」 ①北陸の鋳物の歴史


2020125日(土)、久し振りに金沢から富山県高岡市へ足を運んだ。

能作と加越能バスというバス会社がコラボで開催する「富山三大美酒ツアー」と、自分の帰沢の日程が合ったので、これに参加できるよう、弟が準備してくれていたのである。

高岡では高校時代の3年間を過ごしたが、大学一年の時に高校時代の恩師に大学生活の報告に来て以来足が遠ざかっており、高岡に来るのはほぼ30年ぶりだった。金沢駅から高岡駅まで来て城端線に乗り換え、新高岡駅まで行く。高校時代に毎日通学で使ったこの城端線が余りに懐かしく、30年ぶりに乗るローカル線に何だか感慨深かいものがあった。

新高岡駅で迎えに来ていた加越能バスに乗る。バスの天井はガラス張りで開放感があり、窓と天井には冠雪した立山連峰と冬の北陸には珍しい青空が広がる。

能作は砺波平野の散居村の中には珍しい近代的な建物で、それでいて落ち着いたデザインが周囲の水田やチューリップ畑や庄川の流れにうまく溶け込んでいるように思えた。思えたというのは、今はまだ冬のため水田やチューリップ畑には何もないので想像するしか無いのである。現在能作のある戸出(といで)校下(「校下」は金沢周辺の言葉で「学区」の意味)には、高校時代の親友がいて、彼の家はチューリップ農家だった。そんなことも懐かしく思い出した。

能作さんは今では錫の器で有名だが、鋳物メーカーであり、元々高岡銅器の職人であった。

北陸の鋳物の歴史は古い。能登の鋳物の歴史は古代に遡るという。中能登町に雨之宮古墳という4世紀中頃から5世紀のはじめにつくられた古墳群があり、能登一帯を支配した人物を埋葬しているとされている。この頃から大陸から日本海をつたって能登半島へと鋳物師が往来していたのかもしれない。

実際、平安末期には「石納釜」、「能登釜」、「能登鼎」、鎌倉時代には「能登の国の釜」など能登の鋳物が文献に現れ始めるらしい。ただ製品のメインは「塩釜」がであった。製塩業における必需品として、塩釜の需要は多くの時代を通して続いていった。


能登中居鋳物館にある鬼面(出典:穴水町ホームページ)

金沢のとある大手・老舗製造業を見学させていただいた時に、金型は自製していて、それはこの能登の鋳型の伝統によるところが大きいとお話されていた。

高岡銅器の方は、8世紀頃に大阪堺の河内の鋳物師を招いたことをルーツとし、その後加賀前田家の二代目である利長公が高岡城を築城した後、高岡市金屋町に7人の鋳物師を招いたという。

高岡の老子(おいご)製作所さんでは、千葉県の成田山新勝寺、京都の西本願寺や三十三間堂、広島平和の鐘など国内は勿論、国連の平和の鐘や台湾最大の法鼓山の鐘など多数の梵鐘などをつくっていて、高岡銅器の歴史は今に受け継がれている。

能作さんではそんな伝統を大切にされつつ、新しいものに挑戦されている。

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2020年2月8日土曜日

曽文ダムマラソン ③曽文ダムマラソン大会の特色


台南駅を出発して1時間ほどすると、バスは曽文ダムマラソン大会のスタート地点である「水資源局」に着きました。この「水資源局」の正式名称は「経済部水利署南区水資源局曾文辦公区」のようで、曽文ダムの管理事務所のようなところです。これが曽文新村と呼ばれる地区にあり、先程お話しした烏山嶺隧道東口の対岸辺りに位置しています。



Google Mapから転載)

バスを降りると台南とはいえ山中のためか、肌寒く感じます。敷地内に体育館があるので、皆そこで着替えたりし、その後荷物を預けます。時間には余裕があると思っていたのですが、更にトイレに行ったりしているとすぐにスタート時間になりました。

さて曽文マラソンの詳しい体験をお話する前に、ここで曽文ダムマラソンの特色についてまとめてみたいと思います。

1.     曽文渓ダムは2019年が第36回目の開催で、台湾で最も歴史があるマラソン大会です。
2.     AIMS(国際マラソン・ディスタンスレース協会)の認証を受けています。台湾ではマラソン大会が随分多くなりましたが、AIMS認証をもつフルマラソンの大会はまだ10大会程度です。
3.     コースとなる道路が全面封鎖されています。車やオートバイは走っていません。安全でのびのびと走れます。
4.     出場者枠が大きいこと(フルマラソンは1,491名)。最近のマラソンブームで、台湾でも申込開始と同時に即出場者枠が無くなるとか、抽選等になる場合が多々あります。しかし曽文マラソンではスケジュール通りに申し込めば、通常出場可能です。
5.     高低差が200メートルほどあり、上下の起伏が激しく、中々挑戦甲斐のあるコースです。
6.     山深いところにあるダムや川の沿道走るので、空気がよく、かつ景色が素晴らしいです。参加者も過度に多くなく、ゆったりと走れます。

1についてもう少し詳しくお話すると、下の図は1996年の曽文ダムマラソンのコースです。スタート地点はマンゴーの産地で知られる玉井にあり、折り返し地点が現在のスタート地点である曽文青年活動中心になっています。昔は保安上の理由で曽文ダム付近に近づけなかったためかと思われます。


多くのシティマラソンが開催される中、山中のダムの周りを走る曽文ダムマラソンはある意味非常に贅沢なマラソンと言えるのかもしれません。

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2020年2月7日金曜日

石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭 ①山中の話


開湯1300年、松尾芭蕉が「扶桑三の名湯」の一つと頌した山中温泉、山中という地名の通り、福井県との県境に程近い山間部に位置する。伝統工芸山中漆器でも知られ、漆器出荷量では日本一だという。古九谷の発祥の地としても知られる。

江戸時代から明治時代には北前船の船頭衆、船乗り衆の湯治地として栄えた。戦後には吉田茂が佐藤栄作を首相に指名した「山中会談」が行われた。料理の鉄人、現代の名工である料理人道場六三郎氏の出身地である。木工芸家で5番目の人間国宝である川北良造氏もここの出身である。石川県の中でも、とりわけ歴史があり文化がある土地なのである。

「かよう亭」さんはその山中温泉の中にひっそりと佇んでいる。総客室数は10室のみの隠れ宿。建物も茂みに囲まれており、神秘的な空気に包まれている。源泉かけ流しのお湯の香りがほのかに漂っている。



 「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」 芭蕉

2020127日(月)夕刻、台北からのフライトで小松空港に到着した台湾の方をここにお連れした。旅はここから始まる。

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2020年1月23日木曜日

台湾の初詣


 旧暦の12月は台湾では忘年会のシーズンです。忘年会のことを「尾牙」(台湾華語:wei3-ya2 うぇいやー、台湾語:bóe-gê ぶぇげー)と呼び、台湾の会社では非常に盛大に祝います。

日本では元旦に各家庭でおせち料理を食べますが、台湾では「圍爐」(台湾華語:wei2-lu2 うぇいるー、台湾語:ûi-lô͘ ういろー)と呼び、大晦日に家族や親戚で集まって食事をします。一年でお母さんが一番忙しい日と言われますが、今日日は外で食べることも多くなり、必ずしもそうとも言えないようです。

新年会は「春酒」(台湾華語:chun1-jiu3 ちゅんじぃぉう、台湾語:chhun-chiúつんじう)と呼んでいますね。忘年会に比べるとささやかな感じで、旧暦12月には会えなかった仲間とこぢんまりと飲んだりします。

もう一つ日本のお正月に欠かせないのは初詣ですね。台湾に初詣ってあるのでしょうか?私自身は余り聞かないような気がするのですが。

先日、親友のトントンちゃんが「尾牙」をするというので、彼の自宅兼会社のある新北市(旧台北県)の新荘まで行きました。新荘は立派な野球場があり、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)とかユニバーシアードとかすべてこの球場を使っています。

新荘にてみんなで鍋をつつきながらお喋りしていたのですが、台湾には初詣があるかどうかという話になったのです。

新荘人のトントンちゃんは、生まれてこの方台湾で初詣のようなことをしたことが無いそうです。台湾には初詣はないのではないかと言うのです。

ところが一方で林口人のヨシさんは、
「いやいやトントンちゃん、それは違いますよ、私の家は初詣みたいなことをしますよ。」
と言うのです。ちなみに林口とは台北の三井アウトレットがあるところです。

何でも旧暦12月の最後の日(最後の日というのは、年によって29日だったり30日だったりする)を「除夕」(台湾華語:chu2-xi1 ちゅーしー、台湾語: 過年暗kòe-nî-àm ごえにーあむ)と呼びますが、林口の人たちは「除夕」の夜に観音さまを祀る近所の廟にお参りするというのです。ただし日本は夜中の12時を目指して(あるいは三が日の昼間)お参りしますが、台湾では子の刻にお参りしないといけないそうで、子の刻の始まる夜の11時前に廟に行くそうです。

するとトントンちゃんは、そうかそうか、それに「ちゃんとうしゃん」もあるし、確かに台湾人も人や場所によっては初詣みたいなことをするねと言う。

「ちゃん・とう・しゃん???」

薬師丸ひろ子の「ちゃん・りん・しゃん」というCMを思い出したのですが、どうもリンス・イン・シャンプーのことではなさそうです(古い!)。

どうやらトントンちゃん先生によると、「搶頭香」(台湾華語:qiang1-tou2-xiang1 ちゃんとうしゃん、台湾語: chhiúⁿ-thâu-hiuⁿ ちぃうたうひぃう)と言って、台湾の一部の廟では、その年の最初に廟の大香炉にお香を指した人は幸運に恵まれ、更に廟から賞金がもらえるとのことです。

インターネットで検索すると、すごい映像がありました。


これを見て私も思い出しました。除夕の夜にみんな廟の外で待っていて、廟の門が子の刻に開くとともにみんな走り出すのです。毎年このイベントで転んで踏みつけられたり、他の人の香にぶつかって火傷したりして、お正月早々負傷者も出て大変な騒ぎになるのです。日本の初詣のように除夜の鐘を聞きながら雪の中を参拝する、、、というような情緒はなく、火花を飛ばしながらあばれ祭りをやっている、、、と言った方がよいかもしれません。

ところで今年、毎年負傷者を多く出して頭を悩ましているとある廟が妙案を打ち出しました。例年は廟の門から香炉まで100メートルほどを走るのですが、今年からは廟の回りをグルっと回ってから香炉へ行き1キロ競走にするというのです。こうすれば確かに今ほど混み合わず、安全になるかもしれません。


日本と同様、ランニングブームの台湾、この企みは門徒の人たちにも結構受け入れられるような気がします。もしかすると「搶頭香マラソン大会」なんか打ち出す廟も近い将来出てくるかもしれません。

(写真は上記記事から取得)

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2020年1月22日水曜日

蔡英文 英国BBC単独インタビュー


蔡英文総統は114日に英国BBCの単独インタビューに応じ、台湾総統府はその内容(全文)をリリースしています。

總統接受「英國廣播公司」(BBC)專訪內容

以下はその拙訳です。日本語がこなれていない箇所が多々ありますが、諒としていただければと思います。

なお記事内の写真は、上記ウェブサイトより取得しています。

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BBC: スケジュールと現実的な課題はさておき、あなたは台湾の正式な独立に対して賛成ですか。

蔡英文: 現実と現状は、我々は機能上既に独立した国家であり、自分たちの政府と総統選挙制度をもっています。このことは我々が主権を擁していると確固として説明できる一つの根拠であり、我々の人民は自分たちのリーダーを自分で選ぶことが出来ます。実質的に我々はすでに一つの国家です。

BBC: いつの日か、主権国家として台湾が存在しているという事実を、明確に台湾という名称で呼び、正式に独立を宣言するというやり方で伝える必要はないでしょうか。

蔡英文: 我々は自分たちが主権国家であることを再度宣言する必要性はありません。なぜなら我々は既に独立した国家だからです。我々は自分たちのことを中華民国台湾と呼んでおり、我々は自分たちを統治する国家的システムをもっており、我々には政府があり軍隊があり、まさにあなたが総統選挙をご覧になったように選挙制度があります。

BBC: あなたの大勝利について中国が重要な役割を演じていると大多数の方が考えているようですが、中国が選挙民の投票において重要な要素となったのでしょうか。

蔡英文: 私は今回の選挙は中国だけに関係しているわけではなく、数々の国内の課題、更には価値の選択に関連していると考えています。勿論、今回の選挙において中国は重要な役割を果たしましたが、しかし最終的には、総統と総統と戦う候補者は自らがこの民主国家を統治する能力があり、経済を発展させる能力があり、我々の経済を更に競争力をつけることができることを示さなければなりませんでした。更に総統候補者はここにいる一人ひとりの世話をし、台湾における平等を確保するという能力があるということを証明しなければなりませんでした。したがって、人民は次の総統に対する期待は非常に多く、候補者は政策を打ち出し、人民たちにこの候補者がこれからの四年間、自分たちのリーダーとして相応しいと感じさせなければなりません。勿論、人民は総統が確実に中国問題をうまく処理し、我々が自らのアイデンティティと自らの主権を保持し続け、世界からの尊重を得ることを望んでいます。同時に、総統は中国との関係を処理する能力があり、その関係を安定化させなければなりません。

BBC: これまでは中国からの威嚇は常に包み隠されたものであったと考えている人がいますが、なぜ今回はどんどんあからさまなものとなってきたのでしょうか。

蔡英文: 過去三年強、中国からの威嚇はますます厳重になってきています。軍事演習や艦艇及び軍用機の台湾近辺の航海及び飛行を含め、彼らはさまざまな行動をとり、過去にも増してやり方が酷くなってきており、威嚇の程度も日に日に増してきています。更に香港で起きている出来事があり、この脅威が現実であり、かつ益々酷くなっていることを人民は身を切られるような思いで感じているのです。

BBC: 馬英九前台湾総統は民主主義を維持すると同時に、この島の地位を曖昧にし続けるという代価を払うという方法で、経済と文化において中国と密接な関係を保ちました。この方法はよくないのでしょうか。

蔡英文: 情勢は既に変わりました。曖昧ではもはやなんの効果も得られません。我々は現在かなり異なる情勢に帳面しています。前政権が用いた両岸の曖昧な条件はもはや存在しません。人民の期待、国際政治の変化、そして潜在的な地域の緊張関係等、情勢の変化を我々は考慮しなければなりません。両岸関係は既に我々相互の両岸関係ではなく、地域情勢の一環なのです。現在の情勢は過去に比べずっと複雑です。

BBC: あなたの党も中国の介入の危険性について議論してきていますね。今回あなたが爆発的な勝利を得たのも、上述のような状況が非常に大きくなってきていることのあらわれではないでしょうか。

蔡英文: わたくしとしては爆発的な勝利とは言いませんが、納得がいく勝利と言えると思います。我々は前回の地方選挙から色々と学びました。前回は多くのフェイクニュースや悪意ある噂話が流され、その他台湾人の知覚と判断に影響を与える多くの行為があり、その結果あの選挙において、我々は重大な敗北と挫折を味わいました。

BBC: ということは、それらはすべて中国から来ているとお考えですか。

蔡英文: はい、大部分がそうであると考えています。したがって選挙後我々は全てを見直し、政府が状況を明確化するための対応能力を強化する制度を打ち出し、数多くの法律を修正し、フェイクニュースをつくったり広めたりした人の責任が問われるようにしました。

BBC: このようなやり方は言論の自由に反すると考える評論家もいるようですが。

蔡英文: その通りです。ですからこそ、私達は慎重にバランスを保ちつつ、一方で人民に噂話やデマを流さないように念を押しつつ、同時に自由なる国民が言論の自由を享受できるようにしています。

BBC: 台湾の地位を曖昧にして妥協する過去のやり方では、両岸が共に繁栄していくことができないとあなたはお考えですか。

蔡英文: 現在の情勢はかなり異なっているため、双方が未来に向けて厳粛に考え、共に共存の方法を探り、台湾海峡の平和と安定を維持する必要があります。



BBC: 中国からの圧力は日増しに強くなっていると仰られていますが、現時点で戦争に至るリスクをどのようにお考えでしょうか。

蔡英文: いかなる時でも戦争の可能性というものは排除することはできません。しかし、自国の防衛力を発展させ、きちんと準備することは必須です。更に軍備以外により重要なことは、国際的な支持を得なければなりません。したがって我々は挑戦的な態度をとることはしません。我々は対岸に対し挑戦的な態度をとることにより情勢の悪化を招く、あるいは対岸がやりたいことをするための言い訳を与えたくはありません。ですので、我々は挑戦的ではなく、対岸の挑戦的な行為に対する我々の反応は、まだまだ柔和なものであると考えています。

BBC: 台湾の防衛準備は整っていますか。軍事行動に台湾は耐えられるのでしょうか。

蔡英文: 我々は防衛能力強化のために大変な努力をしており、実際のところかなり良い能力を持っていると考えています。中国にとって言えば、台湾侵略あるいは台湾侵略の試みは非常に大きな代価を支払うことになるでしょう。

BBC: 最悪の事態が発生した場合、米国が助けに来るという自信はおありですか。

蔡英文: 我々はもともと地域の友人たちとともに協力し、地域の平和と安定を維持するべきであり、したがって、我々は友人たちとともに努力を続け、地域の平和と安定を維持したいと考えています。

BBC: あなたのこのような立場から、中国の影響から抜け出し、米国と同盟関係を樹立、並びに米台関係を強化することになりますが、メリットは何かと問う人もいます。依然として米国と台湾間にて自由貿易協定を締結するようなロードマップは示されていませんし、一方で中国はあなたの立場に対してペナルティを課し、これにより台湾と中国の経済関係は損害を受け、結果として経済的に深い損害を受けてしまうということになりませんか。

蔡英文: 常に変わりゆく情勢の中、リスクは常に存在し、チャレンジとチャンスも存在します。現時点において我々は情勢の変化にうまく適応しており、これを活用することによって利益を得ています。情勢の変化のお蔭で、実際には我々が多くのチャンスを得ています。
例えば、米中貿易紛争により多くの中国への投資が台湾に戻り、我々も彼らに戻ってくるように奨励しています。
彼らは戻ってきて先進的かつ高度な製造拠点を設立し、我々の経済成長の次のステップや台湾のサプライチェーンやバリューチェーンのための推進力となり、我々はこの機会を利用し、利益効果を最大化したいと考えています。この動きに從って中国から資金も戻ってきており、我々の経済見通しは一般的な予測より更に良好になっています。

BBC: 選挙でのあなたの勝利について少々お話したいと思います。中国からの直接の戦略的な挑発というより、とりわけ若い世代のアイデンティティの問題のように、台湾が既に変化したことがより重要な勝因であると考える人もいるようですが。

蔡英文: 若い世代では既に自分たちのアイデンティティがあり、既にそれが定着していると思います。我々自身は一つの国家ですし、この認識に反する事が何ら発生すれば、「我々は受け入れられない」と彼らは立ち上がって言うと思います。彼らは香港の情勢を目にし、中国からの脅威は現実でありかつ深刻で、自分たちが感じていることを立ち上がって伝えなければならず、自分たちの考えを表現するための最も良い方法は投票に行くことであると考えたのです。

BBC: 「一国二制度」というモデルにおいて、香港はまさに自由の侵害に遭遇しているとお考えでしょうか。

蔡英文: はい、私はそのように考えております。かつて過去の一時期にはこちらの人々は香港人民を非常に羨ましく思っていました。というのも彼らは英国の統治の下、多くの自由を享受していたからです。しかし1997年以降、その事情は大きく変わりました。例えば、我々がみな目にしたのは、香港で抗議活動を行っている人民に対し最近警察がとった行動です。それは見るに耐えるものでなく、このような警察は社会にあってはならない。人民は心からこのように考えています。

BBC: 中国政府が選挙でのあなたの勝利に対し、どのような反応を見せることを期待されていますか。

蔡英文: 選挙の結果が表す人民の期待を彼らは真摯に考えるべきです。これは、常に脅されることは好まず、常に抑圧されることもまた好まないという、台湾人民が発する強力なシグナルです。生活の至る分野において成功しておりことを我々は誇りに思い、我々には成功した民主主義と輝かしい経済があり、我々は中国が尊重するに値しています。したがって、台湾の人民が選挙を通して伝えたい思いは何かを、中国は真摯に考えるべきであると私は思います。

BBC: 選挙後にあなたは対話の再開を希望していると仰られました。どのように始められますか。対話再開のために、中国政府に何を提供できるとお考えですか。

蔡英文: 中国は落ち着いて思考し、現実に直面する準備をするべきであると思います。これが重要です。中国が現実に直面しようとする準備が出来ていなければ、我々が何を提案しても、彼らを満足することは出来ません。

BBC: 台湾は目下15の国家と国交があります。この数字を維持できると思いますか。

蔡英文: 中国が台湾の国交に対し破壊の手を止めることは、絶対にないでしょう。我々は正式国交をもつ友好国をつなぎとめるために出来るだけの努力をします。



BBC: あなたが誠意を見せないから、中国がこのような行動に出ると批判する人もいるようですが。

蔡英文: 信頼を確立するために私の確認メッセージは必要なことです。かつ、私は3年強の総統就任期間、中国との関係処理においては理性的であり、挑戦的であると相手にとられる行為は一切避け、我々は現状を維持しています。多くの方々が我々はもっと色々なアクションをとっていくべきであると考えていますが、しかし過去3年余り、我々の現状維持の政策は変わっていないと中国に常に言い続けています。これは我々の中国に対する善意です。

BBC: ジェンダー問題に対し責任があるとお考えでしょうか。同性婚を認める法案を可決し、また過去を振り返って見ると、これが最大の達成であるとお考えになられてますか。

蔡英文: いいえ。国家にとって有益であると人民が最終的に理解してくれることを私はたくさんやったと思います。例えば年金改革です。勿論そのプロセスには大きな痛みを伴いますが、しかしながら最終的には、我々の公務員には年金制度があり、退職金の受け取りが確保され、破産を心配する必要もありません。同性婚については、当初意見が大きく分かれました。しかしながら我々は大変なプロセスを通じて、これを完成させました。司法への信頼感を高めるため、我々は司法改革のために多くのことを行いました。しかし、これは大きなチャレンジです。まだまだ多くの時間を必要としています。でも既に進行中です。我々の速度が十分なものであり、二度目の任期期間が終わる前に具体的な結果を出せると思います。他にグリーンエネルギーも我々は非常に重視しています。海上風力発電の計画があります。これによりエネルギー供給がよりクリーンなものになります。風力発電関連産業を立ち上げ、アジアで初めてこのような能力をもつ国家になろうとしています。事実上、我々がやっていることは台湾の政治家が伝統的にはやらないようなことです。伝統的にはやらないことですが、我々はやっています。

BBC: これから四年間のビジョンをお聞かせ下さい。

蔡英文: 私は台湾をより民主的で、経済的には競争力を備え、世界でも主要な経済の担い手としたいと思っています。革新価値(Progressive Values)ということについても、我々は多くのことに取り組みました。これは最終的に台湾をしてアジアで最も進歩した国家とならしめるためです。

BBC: 死刑廃止についてはどうお考えですか。

蔡英文: 非常に難しい問題です。

BBC: あなたはどちらを支持されますか。

蔡英文: これは人類が常に達成したい目標かもしれませんが、問題はここでは大多数の人が支持しません。人民の思考様式が変わるためには、長いプロセスと時間を要します。実際には、民主主義社会においては、人民がその考え方を受け入れることが出来て、初めて行動をとることが出来ます。人民が十分な自信をつけ、安心感を得るまでは、十分な支持を取り付け、行動を起こすのは難しいと思います。

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2020年1月21日火曜日

曽文ダムマラソン ②(マラソンに関係がない)曽文渓の話


以下は20192月に曽文ダムマラソンに参加した時のお話です。

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曽文(そぶん)ダムと言うと聞いたこともないダムの名前でしかないかもしれませんが、曽文渓と言えば、八田與一さんがつくった烏山頭ダムの水源として聞いたことがお有りの方も少なくないかもしれません。

司馬遼太郎さんの『台湾紀行』にこのようなくだりがあります。

……結局、官田渓(かんでんけい)という大きからぬ渓流に目をつけた。この川の上流の烏山頭(うざんとう)にダムをつくって貯水しようというのである。
が、官田渓だけでは、貯水量はたかが知れている。その本流である曽文渓の水流をそそぎこみたかった。
曾文渓は遠く阿里山に発している。山々をめぐり、支流をあわせてじつに水勢がさかんだった。
ただ官田渓を堰きとめる予定地の烏山頭の位置からいえば、曾文渓は烏山嶺という山のむこうを流れているのである。
八田與一はこの烏山嶺をくりぬいて水をダムに導く設計をし、施工した。くりぬかれる隧道は、三〇七八メートルにおよび、多くの死者が出た。八田與一は、それらを湖畔の「殉工碑」にまつった。……

この烏山嶺をくりぬいて曽文渓の水を烏山頭ダムに引き込むトンネルは「烏山嶺隧道」と呼ばれています。

古川勝三先生の『台湾を愛した日本人~土木技師八田與一の生涯』において、烏山頭ダムの建設において2つの大きな試練があったといい、そのうちの1つはこの烏山例隧道の建設工事中の事故であったと指摘されています。それだけに烏山嶺隧道の建設はのかなりの難工事だったわけです。

下の地図を見ると、上中央に珊瑚のような形をした烏山頭ダムがあります。その右側から下方へ曽文渓が流れていきます。烏山嶺は珊瑚形のダムの右側にあり、隧道がそれをくりぬき、曽文渓と烏山頭ダムをつないでいるのが分かります。

(出典:古川勝三『台湾を愛した日本人~土木技師八田與一の生涯』P127)

下の写真において、右側に見えるのが曽文渓です。中央の建築物は水門で、烏山頭ダムに取り込む水量を調節するとともに、ゴミなどが入らないように濾過の役割をも果たしています。


更に水門の西側です。下の写真の右手が水門、左側が烏山嶺隧道の東口です。


もう少し近づいてみたところです。取水口の両岸の石垣は、当時八田技師と一緒に台湾に来ていた金沢出身の方々が、前田家の家紋の梅鉢紋をイメージして作られた、という話を昔案内してくれた嘉南農田水利会のお姉さんがされていました。幾分山奥で、草が生えても中々草刈りに来る人も少ないため風化しているとも残念そうに仰られていました。


最後の写真は、東口の正面図です。




下方の口に曽文渓の水がどんどん入り込みます。その量たるや毎秒50トン、水流の速度は毎秒2.1メートルとのことです。想像が難しいほどの大きなスケールです。

残念ながらこの取水口は役目を果たし、今は新しい取水口の工事もほぼ終わり、ほぼ使われなくなっていると聞いています。

取水口が変わっても、曽文渓は今でも烏山頭ダムの水源であることに変わりなく、烏山頭ダムから嘉南平原の田畑に潤いの恵みが注がれ続けています。
  
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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。