2020年3月13日金曜日

台湾のインターネットマスク購買システム「eMask」を使用する(前編)



312日午前9時、台湾のインターネットマスク購買システム「eMask」がテスト稼働を開始しました。

私も早速このシステムを覗いてみました。

二通りのログイン方法があるようです。一つは「健保卡+註冊密碼」(=台湾の健康保険カードと登録したパスワード)、もう一つは「自然人憑證」を使うというものです。

私は「自然人憑證」なるものを持っていないので、前者の方法を使わなければならないのですが、パスワードを持っていないため、これを申請する必要があることに気づき早速申請しました。結構ステップが多くて大変でした。

他の在台日本人の方々も同様であると思われますので、まこの方法を以下にメモとして残しておきます。

○●◎●○

まず準備として、カードリーダーをPCに接続し、健保カードを差し込んでおきます。


まずは、マスク購買システムのメイン画面の「如何取得註冊密碼?」をクリックします。


すると「健保卡網路服務註冊」(=健保カード インターネットサービスの登録)の画面に移ります。私は無論登録したことがないので、「首次登入請先申請」(=初めてログインする際には、先ず申請して下さい)をクリックします。


すると関連法規が表示されます。


これを読んで、画面下方の「我已閱讀完畢,並瞭解相關規定」(=私は既にこれを読み終え、関連規定を理解しました。)というボタンをクリックします。


「健保卡網路服務註冊-申請」(=健保カード インターネットサービスの登録-申請)という画面に移ります。


画面の下の方に、「元件下載及電腦環境設定」(=基本ソフトのダウンロードおよびコンピューターの環境設定)とあり、「步驟1:請依照您的作業系統版本(OS)下載元件安裝檔」(=あなたのOSにあった基本ソフトをダウンロードしインストールして下さい)とあります。私は Windows 10 をしようしていますので、Windows 「下載元件安裝檔」(=インストール用基本ソフトをダウンロード)をクリックします。



ここでダウンロードしたsetup.zipファイルをクリックし、解凍されたsetup.exeファイルをダブルクリックします。



するとセットアップウィザードが開きます。「下一步(N)」(=次へ)ボタンをクリックします。


通常プログラムの保管場所等はこのままでよいので、再度「下一步(N)」(=次へ)ボタンをクリックします。


「下一步(N)」(=次へ)ボタンをクリックし、インストールを始めます。


インストールが完了すると「安裝完全」という画面が表示されますので、「關閉(C)」ボタンをクリックします。


元の画面に戻りますと、「步驟2:設定伺服器為可信任服務」(=ステップ2:サーバーにおける信頼性あるサービスの設定)とありますので、これをクリックします。


すると「已確認為可信任服務」(=サービスの信頼性を確認しました!)という画面が出てきます。左矢印をクリックし元の画面に戻ります。


元の画面の右側に「檢測環境」(=環境テスト)という部分があります。その下に「檢測健保卡認證」(=健保カード認証テスト)とありますので、これをクリックします。


すると健保カードの認証に関するテスト結果の画面に移ります。連線狀態(=接続状態)が「伺服器連線正常」(=サーバー接続異常なし)となっていますので、こちらは問題ありません。次に「讀取健保卡」(=健保カード読み取り)ボタンをクリックします。


回應訊息(=テスト結果情報)が「讀卡成功」(カード読み取り成功)となっているので、こちらも問題ありません。また左矢印をクリックして元の画面に戻ります。


以上でようやく健保カードの読み取りやサーバーと接続する準備が完了しました。

次に画面情報に戻り、いよいよ健保カードのインターネットサービス登録を申請します。健保カードをカードリーダーに差し込まれていることを確認し、「讀取」というボタンをクリックします。


すると居留証の情報が表示されます。3は申請当日の日付でOKIです。もし表示されたデータが古い場合は、自分の現在の居留証に合わせて更新し、その後、「下一步」(=次へ)ボタンをクリックします。(注:この画面上の顔写真はあくまでもシステムが生成したものであり、僕の居留証上の実際の写真とは異なります!)




「請輸入註冊密碼」「再次確認密碼」において、これから使う健保カードのインターネットサービスやマスク購入システムで使うパスワードを入力します。

更に「行動電話」(=携帯電話の電話番号)、「E-Mail(主要)」(=電子メールのアドレス)、「E-Mail(備用)」(=バックアップの電子メールアドレス)を入力し、「確認申請」(=申請の確認)ボタンをクリックします。


次のような画面に移ります。有効期限内に電子メールの認証を完成してくださいという趣旨のメッセージです。「OK」をクリックします。


登録した電子メールアドレスに次のようなメッセージが届きます。「健保卡註冊認證作業」をクリックします。



すると次のような画面が開きますので、「讀取」というボタンをクリックします。


すると自分の名前が表示されますので、これを確認して「確定」ボタンをクリックします。


電子メールの認証が完了し、システムを開始できますというメッセージが表示されます。「OK」ボタンをクリックします。


また、登録完了の電子メールが届きます。


「健保卡網路服務註冊」(=健保カード インターネットサービスの登録)の画面で、登録したパスワードを入力し、「登入」(=ログイン)ボタンをクリックします。


次のような画面に移れば、パスワード登録は成功です!


これでいよいよeMask」システムを使ってインターネット上でマスクを買えます!!!

(続く)

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2020年3月11日水曜日

セミナー『台湾の日式建築を訪ねて』 ④台湾の日式建築から学ぶべきこと


2020227日木曜日投稿「セミナー『台湾の日式建築を訪ねて』 ③日式建築の意義」 https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/02/blog-post_27.html から続く。)

「台湾は日本より30年進んでいる。」

渡邉先生はそうおっしゃられました。この言葉の意味は、近代建築の再生保存に関しては台湾の方が完全に先進国であり、日本は完全に遅れているとのことです。

日本では法隆寺などの本当に古いものは一生懸命保存するのですが、明治以降のものについては急に関心が薄れるようです。

理由として考えられることは、第一に日本の法制度上日本では古い住宅はすぐに資産価値が無くなり(60年で資産価値がゼロになる)、かつ住宅ローン等により新築が優遇されていること。

第二に、専門家が不在であること。日本の一級建築士の97%は新築の専門家であり、保存再生の専門家は3%に満たないとのことです。

そして、最後に市民の古いものへの思いや意識のレベルが随分異なるとのことです。

最後の例については、例えば東京の原宿駅と台東の関山駅(旧里壠駅)を挙げていらっしゃいます。

消防法等の関係もあるのでしょうが、東京で最古の木造駅舎である原宿駅は2020年に解体されることが既に決まっています。前回のお話に出た基隆高級中学の盧先生のように、強烈に保存を訴え、行動を起こす人もいないように見えます。

一方で関山駅の旧駅舎というのは、1919年(大正8年)に台東製糖株式会社が建造され、新規駅舎がつくられる1980年(昭和55年)まで現役で使用されました。その後台東県の文化財に指定され修繕修復が行われ、更には自転車メーカージャイアントのサイクリングステーションとして生まれ変わっています。

関山駅旧駅舎

個人的には一番の差は、やはり市民の気持ち、意識レベル、そして建築物に対する考え方だと思います。

台湾には明清朝あるいはそれ前の建築物はほぼないため、古い歴史的建築物というと日式建築になってしまい、一方で日本では歴史的建造物と言えば、江戸以前のものも少なくないという事実は確かにあります。

それでも日本は明治から敗戦までの昭和初期の歴史についてどこか抹殺とまでは言わなくとも、目をそむけようとしていると言えば、私の考え過ぎでしょうか。

これに反して、台湾の人たちは日本統治時代の良かったこと悪かったことを含め、真正面から受け止めようとしているように思います。

その中で、日式建築はれっきとした歴史の一部であり、伝承すべき精神的価値との重要な媒体となっており、守っていかなければならないという市民の意識が非常に強い様です。

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2020年3月10日火曜日

石川県プレミアムツアー 第二日 湯涌温泉 日本料理 さかえや ① 医王山


202034日水曜日投稿「石川県プレミアムツアー 第二日 高野山真言宗別格本山 那谷寺」 https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/03/blog-post_4.html より続く)

石川県金沢市と富山県南砺市の境に医王山(いおうぜん)という標高939メートルの山があります。


金沢市内常盤橋からのぞむ医王山

前回のお話の通り、後に「越の大徳」と讃えられた泰澄法師は、養老元年(717年)に白山を開山し、養老3年(719年)この医王山を開山されています。薬草が多いことから、唐の育王山にちなんで育王仙と名付けたのですが、後に時の天皇が大病を患われたときに、泰澄法師がこの山の薬草を献上したところ快癒され、泰澄は神融法師の称号を賜わり、この山は医王山と命名されたといいます。

藩政期には戸室石(医王石)の産出地であったため、前田家よりご禁制の山として管理されました。金沢城の石垣の大半にこの戸室石が使われているのです。



明治36年に泉鏡花が短編『薬草取』を、昭和9年に室生犀星が小説『医王山』を発表しました。金沢出身の二人の文豪が医王山をテーマとした作品を世に出しているわけです。


鏡花は浅野川沿い、犀星は犀川沿いの人なので、私自身は金沢の北側の生まれで浅野川の方により馴染みがあるためか、鏡花により親しみを感じます。

余談ですが、小林秀雄は鏡花の最後の作品である『縷紅新草』に対し、「言葉といふものを扱ふ比類のない作品」と評しています。そして『鏡花の死其他』で、こんなことを言っています。

 泉鏡花氏が逝去された。謹んで哀悼の意を表する。この作家は、倦きずにお化けばかりを描いて来た。近頃お化けも流行らない、従つて鏡花も一向に流行らない大家として逝去された。鏡花は、嘘から出る真だけを信じた。盲信したと言つてもいいだらう。
 〔中略〕併し、畢竟さういふ仕事より他に、一般に芸術家といふものの悦びがあるのだらうか。どんなに明敏な分析力を持つた芸術家でも、心底にこの盲信を蔵してゐる。
 〔中略〕これが芸術に於いて、その原始の性質を持続させるものであり、芸術に於ける人間的な性質も、其処にあるのかも知れぬ。在るが儘の真では足らず、嘘から真を創り出さうといふ欲望ほど、人間の刻印の確かなものもあるまいから。


鏡花の父親は象眼細工・彫金等の職人であったといいます。私は鏡花の作品は分かりませんが、鏡花には典型的な金沢人の良い意味での職人的な頑固で一途なこだわりを感じずにはいられないのです。

泉鏡花記念館

話がそれてしまいましたが、鏡花の『薬草取』にこんなくだりがあります。

 「姉さん、お前さんは麓の村にでも住んでいる人なんか。」
 「はい、二俣村でございます。」
 「あああの、越中の砺波へ通う街道で、此処に来る道の岐(わか)れる、目まぐるしいほどの馬の通る、彼処だね。」

僕の母方の実家がこの医王山の砺波側(南砺市福光)にあり、その菩提寺は二俣にありました。地元では金沢市二俣と南砺市福光を結ぶこの街道を「殿様道」と呼んでいました。鏡花の小説では「目まぐるしいほど馬の通る」とありますが、現実には普段は寂しい道だったのか、33体の石仏が金沢と南砺の間に祀られていて、当時の通行する人々を見守っていたと言われています。今は古道として整備されています。

少々鏡花の小説にケチをつけたみたいですが、医王のお山が薬草や花に溢れているというのは全くもって嘘ではなく、ウチの祖父も裏山で黄連などを育てていたこともありましたし、医王山から松藤などの薬草をとってきてはお茶にして飲まされた記憶があります。

母は母で、医王山に珍しい山野草を探しに行ったり、キノコ採りに行ったりよくしていました。医王山は春には白山シャクナゲの一種である医王シャクナゲが多く花を咲かせ、ササユリが群生し、お茶花として使われる様々な山野草から高山植物っぽいものまで自生しています。


医王山のベニバナイチヤクソウ
(出典:田中澄江『花の百名山』)

花より団子で気になることと言えば、母はキノコが採れる場所を僕らにも決して言わないまま他界したことです。今でも時々弟と「キノコ採りの名人は、キノコの生える場所は親子にも教えない」というけど本当だねと言って笑っています。

そんな愚母が生前楽しみにしていた一年に一回のイベントがありました。

(続く)

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2020年3月6日金曜日

台湾のお葬式



春節休暇中に合わせた出張から帰台してしばらくたったある日、親友のトントンちゃんから連絡がありました。

「カブ、3月1日空けておいてくれる?」

トントンちゃんにしては珍しく真面目な声だったので、何も聞かずに

「分かった、空けておくよ。」

とだけ返事をして電話を切りました。

それからしばらくしてから、トントンちゃんと一緒に食事に行きました。今回は生臭物はダメだとかいうので、インド料理のベジタリアンレストランに集合したのです。

その時彼は突然スマホを使って、とあるファイルを送ってきました。




赤いカードだったので「喜帖」(結婚式の招待状)かと思い、遂にこの親友も結婚するのかという嬉しい驚きで僕は思わず「おめでとう!」と言ってしまいました。

ところが送られてきたもう一枚の招待状本文のファイルを見ると、どうも何か違うのです。

よく読むと、おばあちゃんが旧正月の元旦に息を引き取られて、3月1日に葬儀をするという案内でした……。

「ご愁傷様です。」「請節哀。」と僕は慌ててお悔やみの挨拶をします。

葬儀の案内がなぜ白黒ではなく赤色なのか尋ねると、トントンちゃんは待っていましたと言うばかりに「台湾では90歳を過ぎて亡くなると赤を使う」と説明してくれました。大往生は白黒ではなく、赤色でお祝いしましょうということなのでしょう。

○●◎●○

その翌週の金曜日の午後、トントンちゃんの友人一同でおばあちゃんのうちへお邪魔しました。おばあちゃんの家には日本と同様に祭壇が祀られていて、優しいおばあちゃんの遺影が置かれていました。

僕は毎年旧正月に台湾にいる時には必ずこのおばあちゃんのお家に寄せてもらっていました。トントンちゃんのおばあちゃんは私にも孫たちと一緒に『紅包』(ホンバオ)(ここではお年玉の意味)をくれました。今でもおばあちゃんから頂いた『紅包』(ホンバオ)は大切に保管しています。

その時と同様にお土産にもってきたツバメの巣を祭壇において、そして敢えて日本語でおばあちゃんの遺影にご挨拶しながら、お線香をあげさせてもらいました。

トントンちゃんのおばあちゃんは大正14年(1923年)、日本統治時代の台北州で生まれたそうです。台湾版おしんのような苦労人だったとお聞きしています。苦労されてろくに学校へ行く時間もなかったのかもしれません。僕にはいつも台湾語で話しかけてくれましたが、日本語で話してもお分かりになられるような感じも受けました。

台湾ではお亡くなりになられてからお葬式までの間にかなりの日数があります。今回も125日から31日までですので、一ヶ月以上あります。その間、とりわけ週末はお線香をあげに来る人が多いのか、トントンちゃんのお父さんや叔父さんたち、更におばさんたちも全員いらっしゃいました。皆さんにご挨拶して、お茶をいただきながらお話をしてから失礼いたしました。

お参りの後は日本と異なり、お塩ではなく、お家の玄関の横にお水がおいてあるので、こちらで手を洗ってから失礼します。

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さて、お葬式の当日です。8時までに新北市の葬儀場まで行かなければなりません。いつもですと地下鉄に乗っていくのですが、今回は黒のスーツを着ているのでタクシーで向かうことにしました。

葬儀の会場に着くと、親族の方々がご焼香していました。みんなアメリカの学校の卒業式のガウンのような服を着ています(ただし真っ黒なもの)。最近は麻で出来た三角の帽子はかぶらなくなってきているようです。

日本のように一人ひとり焼香するのではなく、「孝孫拜~!」(内孫(男)たち~~、お辞儀~!)というように何人かのグループにまとめてお参りするので、思ったより早く進んでいます。

親族の方々の焼香が終わると、おばあちゃんの思い出のビデオが流されました。おばあちゃんが「桃太郎」の歌を歌っている動画を見ると、不覚にも涙が流れて止まらなくなりました。オジサンの涙腺は脆いのです。

それからしばらくすると、恐らく親族の方々と同じお寺や廟の門徒の方々とか、近所の国会議員の先生とその事務所の方々とか、一族が経営する会社の人々などなど、すごい参拝者の波がやってきました。

流石は華麗なるトントンちゃん一族!

一方で少々気になったのは、我々の会場の後ろの方に駐車場があって、『小混混』(シャオフンフン)(中国語で「ヤンキー」の意味)のような人達がどんどん集まってきます。なぜか黒いスーツを着て、ネクタイをしているのは僕とその『小混混』(シャオフンフン)の集団のみなのです……。他の台湾の方々はみなさんカジュアルなモノトーンの服か、あるいは制服(政治家の事務所のベスト等)を着ていらっしゃいます。

『小混混』(シャオフンフン)が時折ちらり、ちらりと僕を見ます。僕の髪型のせいもあってか(?!)仲間だと思われているのでしょうか。せっかくきちんと『西米露』(「セービロー」と読んで台湾語でスーツの意味。無論日本語の「背広」のこと)を着てきたことが、こんな形で仇になるとは……。ピンチです!

そんな時会場からトントンちゃんの高校時代の同級生のカイカイさんがトイレへと出て来るのを目撃しました。僕はこれぞチャンスとばかりに彼について行ってトイレへと駆け込みました。

カイカイさんを捕まえて、一緒に係の方に焼香の順番を確認します。予想通り、親族友人は最後でしたので、『小混混』(シャオフンフン)と目を合わせないようにして大人しく出番が来るのを待ちます。

焼香の作法は前の人のやり方を見ると分かりました。まず日本と同じ様に遺影の前で焼香します。ただし、日本では粉のお香をつまんで、おでこの前まで持ってきて念じてからポロポロと火種の上に落とすことを2,3回繰り返すことが多いですが、台湾ではつまんでそのまま落とすようです。しかも一回のみです。

その後、正面に向かってお辞儀し、次に右側にいる男性の親族の方々にお辞儀、更に左側にいる女性の親族の方々にお辞儀し、これで失礼します。

ご焼香が終わると、ちょっとした儀式みたいなものがあり、おばあちゃんのご遺体と一緒に親族の方々は火葬場へ移動されました。

カイカイさんと僕たちは、ご自宅でご焼香した時と同様、会場の入口にあるお水で手を洗いました。そして『小混混』(シャオフンフン)のオヤジ狩りに遭わないか心配してくれたカイカイさんは、僕を会場の外のタクシーが多い場所まで送ってくれました。

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少々緊張しましたが、なんとか台湾でのお葬式でのご焼香を終えることが出来ました。

改めてトントンちゃんのおばあちゃん、いつも良くしてくれて有難うございました。安らかにお休み下さい。

合掌

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2020年3月5日木曜日

台湾古道散策 山尖古道の三重橋~六坑トロッコ跡~映画「無言の山丘」ロケ地~黄金の滝①


2020229日土曜日投稿「九份付近でプチ登山 ③天空の城黄金神社」 https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/02/blog-post_29.html から続く。

前回の黄金神社も素敵だったのですが、例の近所のコーヒー屋のお姉さんが見せてくれた古い橋の写真が素敵なので、2020223日(日)に自分で見に行くことにしました。


お姉さんから散策のルートを教えてもらったのですが、途中何度か道に迷いつつも、何とかゴールまで到達することができました。これが結構面白い散策コースだったので、ここに記録し、みなさんと共有したいと思います。

    例によって台北の北門駅から九份へ向かう965号バスに乗ります。ただし今回は『隔頂』というバス停で下車します。

    「山尖路観光歩道」という石碑がありますので、その横の階段を降りていきます。


    この歩道を直進します。元々は古道だったのが、観光歩道として非常によく整備されていて、歩き易くなっています。


    しばらくすると三重橋(中国語では「三層橋」)に辿り着きます。



近くに「外九份溪圳橋」という解説の看板がありました。「外九份溪」は川の名前で、「圳橋」または「水圳橋」とは用水用の橋、すなわち水が通る橋の意味です。



一番上の橋は左右が非対称的な形をしており、現地で取れる玉石を使用しているとのことです。この近くにある日本鉱山精錬所に水を運んでいました。日本統治時代につくられたもので痛みが激しく、最近補修工事を終えました。

真ん中の橋は、更に後の時代に作られたコンクリート製の水道橋だったようですが、改修され人がこの上を歩けるようになりました。

一番下の石のアーチ橋も日本統治時代につくられた元々通行用の橋だったようです。古風な美しい橋です。

これで三重橋を見るという目的は早くも達成したのですが、これだけでは物足りないので、ついでに他のものも見ていきたいと思います。

    歩き続けると、舗装道路に出ます。案内の看板がありますが、現在地が赤い点のところです。この案内図の通り、左折してしばらく歩くとまた歩道(階段)がありますので、そこへ進みます。



    階段を登っていくと途中で昔の水道管があります。これも日本統治時代につくられたものなのでしょう。ここに入っていきます。



    もう一つの水道橋が見えます。これもまた古風溢れる美しい橋です。


    橋を過ぎると今度は岩山を切り開いたような歩道があります。ちょっと不思議な風景です。



    ここを抜けると左手に大きな岩があり、更に歩くと廟の駐車場に出ます。この廟にはトイレがありますので、必要に応じてここで休憩するとよいでしょう。



    廟を出て左に進みます。しばらくすると廟の大門がありますが、これをくぐって左折します。


    駐車場があり、その横に階段がありますので、これを登っていきます。


    階段を登り切ると公園がありますが、この公園を抜けると壁に食堂の看板があります。この看板の誘惑に負けずに左折します(笑)。


    舗装路を道なりに進み続けると「勸濟堂停車場」という名前の大きな駐車場に出ます。横に案内図があり、「報時山」という方向の階段を登っていけば展望台があって、良い景色が楽しめます。時間に余裕があればこちらに登ってもよいでしょう。「報時山」に登るかどうかはさておき、この大きな駐車場を抜けます。



    煉瓦の瓦礫のようなものがありますが、これが当時のトロッコ列車の駅の跡で、「天間車遺址」と呼ばれているようです。




次にトロッコ列車の線路の跡を歩いて行きます。

(続く)

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。