2020年2月17日月曜日

能作「富山三大美酒ツアー」 ②能作工場見学と鋳物体験




能作に着いて玄関に入ると、名物の木型のディスプレイがあった。個性的でかつ美しい。


そしてすぐに工場見学に案内してもらった。その時に次の資料を頂いた。 



能作克治さんの著書『踊る町工場』*にあるよう、砂があるので空調は使えず、中は締め切られていて寒かった。見学時には金属を溶かしてはいなかったが、夏は相当蒸し暑いことが容易に想像できた。工程は単純だが大変だと思った。

工場見学が終わるとすぐに、鋳物体験に移った。これが本格的で驚いたというか、失敗しないだろうかと小心者の僕にはかなりのプレッシャーだった。

今までやった体験といえば、陶磁器の絵付けだったり、金箔貼りだったりと、割と単純なものばかりだった。

ところがこの鋳物体験では、上記の工程の通り、
木型(これは既につくったもの貸してもらえる)→
鋳物砂(オイルサンドを使うが、きちんと自分でふるいにかける)→
造形(こちらがメイン)→鋳造(先生がやる)→型バラシ→仕上げ
と一通り流さなければならない。

先生が「たまに失敗する人もいますよ」と素敵な笑顔でおっしゃられるので、ますますプレッシャーが大きくなった。

木型と木枠を使って盃の形を造形していく作業は、結構大変である。砂が崩れないようにしっかりと固めなければ行けないが、盃の木型だけではなく、鋳造のための注ぎ口なんかもあって、まんべんなく均一にしようとするとなかなか難しい。

木型は上半分と下半分に分かれるのだが、これを外したり、また再度くっつけたりするときは、オイルサンドが崩れてこないかドキドキした。

造形が終わり型が出来て、鋳造する時も面白かった。これは先生がやってくれるのだが、鍋に入ってドロドロに溶かした錫を型に注ぎ込んでいくのである。日常生活で金属がこんなにドロドロと溶けているのを見る機会がないため、なぜか興奮してしまった。自分でやりたかったが、安全性の面から無理なのであろう。

そして錫が冷めた後に型を開ける段階まで来ると、もう祈るしか無い。

残念だけれども、僕の向かいにいた女の子は失敗してしまい、型を開けても何もなかった。また横の机で、先生から「そんな感じで人の話を聞いていないから失敗するのですよ!」と叱られて小さくなっているオジサンがいた。先生も専属でやっている訳ではなく、普段は職人さんなので人によっては厳しいのである。

型を開けると、僕の盃は一応形があった。先生にさっと磨いてもらい、自分でサンドペーパー等を使って再度念入りに磨いた。


底にきちんと名入れもした。


結構本格的なものが出来ているではないか!心の中で思わず自画自賛してしまう。今まで色々な伝統工芸の体験をしてきたが、今回の鋳物体験の難易度が一番高く、その分完成した時は本当に嬉しく、感動した!

さて、次はこれをもってお酒を飲みに行くのである。

(③へ続く)

*参考: 能作克治さん『踊る町工場』

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2020年2月16日日曜日

九份付近でプチ登山 ①まずは台北から金瓜石まで


春節前に近所のコーヒー屋のお姉さんから(お母さんと呼んだほうがよいかもしれないですが、ここでは便宜的にお姉さんとしておきます。失礼!)、九份付近に登山へ行こうと誘われました。

快諾すると「では、215日(土)の朝、地下鉄北門駅から965番のバスに乗って金瓜石(黄金博物館前)のバス停で降りて下さい、9時に現地集合で。」との指示でしたので、朝7:40ほどに北門駅のバス停で965番のバスを待ちました。

すると窓に965と書いたバスが来たのでそれに乗ったのですが、思っていたのとちょっと様子が違います。よく見ると中には12番と書いてあり、どうやら間違ったバスに乗ったようです。慌てて呼び鈴を押してすぐに降りようとしたのですが、バスは高架道路にのって台北の中心地からどんどん離れて行ってしまいます。次に止まったバス停は遥か遠くの内湖区でした……。(窓に965と書いていたのはどうやら広告のようです。あーっ!)

これはもう間に合わないと観念し、まずはLINEでコーヒー屋さんのお姉さんに自分は恐らく間に合わないので先に行っていて下さい、ごめんなさいとお詫びのメッセージを入れてから、それでも一旦北門に戻ろうと、バス停で北門に戻るバスを探しました。するとどういうわけか、単純に反対方向へ行く12番バスを探せばよいようなものですが、何度探せどどうしても見つからないのです。

するとバス停で待っている人たちが、「どうしたのですか。どこへ行こうとしているのですか。」と聞いてきてくれて、「北門へ行こうとしているのですが、直接行くバスが見つからないのです。」というと、一人の方が「○○番のバスに乗って南京どこどこで××番のバスに乗り換えればよいですよ。」とおっしゃったのですが、南京どこどこでバスとバスで乗り換えをしていると、一体どれだけかかるか分かったものじゃない、これはもうタクシーで行った方が良いかな等と考えていると、いつの間にかそこにいる何人かの人々で話し合いが始められていました。更に結論として「地下鉄松山駅で乗り換えるのがよい」ということになり、一人の方が自分も行くからそこまで連れて行ってくれと行ってくれました。私も地下鉄乗り換えであれば、タクシーで行くよりも早いかもしれないと思い、この見知らぬ親切な台湾の方のご好意に甘えることにしました。

この浪花節人情劇場のライブのような台湾の方々の人情に改めて感謝です!!!

お蔭様で戻りの道のりは順調で、もう北門駅に着こうとするときにコーヒー屋のお姉さんよりようやく返信がありました。「私たちも実は遅刻で、今台北駅の前を通っているところですよ。間に合いますので来て下さい。」とのことでした。幸運は続くものです。ほっとした気持ちで北門駅に戻り965番のバスを待ちました。今度こそ間違えないぞと965番の乗り場にしっかりと並びます。




すると先ほどとは似ても似つかない綺麗なバスが僕の前で停まりました。今度こそ本物の965番のバスだと勇んで乗ると、新しい車両でWiFiもあれば、電源もあり、座席も綺麗で快適そのものです。九份へ観光に行かれる方にもこの965番のバスを強くお薦めします!

ご参考までに路線図と時刻表を転載しておきます。なお台北から九份までの運賃は90元です(20202月現在)。



小一時間ほどで「金瓜石(黄金博物館前)」のバス停に到着しました。コーヒー屋さんのお姉さんたちが待っていてくれています。ここからプチ登山の始まりです。

(②へ続く)

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2020年2月13日木曜日

セミナー『台湾の日式建築を訪ねて』 ①梅澤捨次郎技師のこと、日本統治時代の台湾の建築物のこと


日本統治時代の台湾で活躍した日本人の名前か挙げるとすれば、台湾人であれ日本人であれ、多くの人々が当時東洋一の規模を誇る烏山頭(うざんとう)ダムを建設した八田與一技師のお名前を思い浮かべるのではないでしょうか。八田與一技師は金沢の人で、八田家は私の生家から歩いて10分ほどのところにあり、地区一帯では八田技師に対して非常に思い入れがあります。

八田技師のお弟子さんで、台中市新社区で白冷圳(はくれいしゅう)を建設した磯田謙雄(いそだのりお)技師も金沢の人で、台中や金沢で名前が知られるようになってきています。磯田技師の生家は金沢市寺町にあって、僕の大叔母夫婦が寺町五丁目に住んでいるので、磯田技師にも親しみを感じますし、その近くの金沢市城南公民館の方々が熱心に磯田技師のことを研究しているようです。

さて、台南では当時台湾南部随一の百貨店である林百貨(はやしひゃっか)を設計・建築し、林百貨一帯の末広町の地域開発計画を作成・実行し、また台北では今やその跡地が芸術村として有名になっている松山煙草工場を設計・建築した梅澤捨次郎という建築家がいました。最近台湾ナンバーワンモデルであるリン・チーリン(林志玲)さんが、台南にて挙式を行いました。その際に会場として使われた場所の一つが台南市美術館で、ここの一号館は昔の台南警察署であり、これもまた梅澤建築です。

梅澤技師もやはり石川県の出身で、生まれは石川県鶴来町(現白山市)、本籍は金沢市の中心地である金沢市広坂でした。梅澤技師はこのように台湾で多くの素晴らしい建築を行ったのですが、日本はおろか、地元金沢でも名前は余り知られていないように思います。

昔、松山煙草工場内に台湾の人間国宝と呼ばれる呉宝春さんというパン職人のお店があり、こちらのパイナップルケーキが頗る美味しく、これをお土産に携えて梅澤さんの話をするのですが、石川県の知り合いたちもどうもピンとこないようでした。(パイナップルケーキはみんなに満足していただけるのだけれども……。)

梅澤建築にとどまらず、最近の台湾では、日本統治時代の建築物を復元・再生させて、新しい観光スポットや地域のランドマークになってきています。台湾の人々が日本統治時代の建築物を大切にしてくれていることを有難く感じると同時に、日本では明治から昭和初期の建築物は余り大切にされないことを残念に感じるのです。ところがある時、「台湾では今も多くの日本時代の建築物が残されており、大切に復元、保存されている。」と知り合いに話したところ、「横浜にはたくさん古い建物が残されていますよ。」とちょっと小馬鹿にしたような口調で返答されました。確かに横浜には多くの明治から昭和初期の建築物が残されていますが、台湾ほどではないだろうなと思いつつ、一方で私自身は建築についてはずぶの素人で、具体的なデータ等はもっていないので口をつぐみました。

こんな感じで、私は梅澤捨次郎さんや台湾にある日本統治時代の建築物について、一種のやるせない気持ちや違和感を抱かずにいられませんでした。

日本統治時代の台湾では、明治人が一所懸命慣れない環境において苦労しながら、数々の素晴らしい建築物を設計・建設した。しかしながらその末裔である現代日本人は、先達の苦労や偉業を知りもしなければ、今の時代に残された先達の形見であり遺産である当時の歴史的建造物にも全く関心ももたない。もはや遺跡のようなそんな建築物たちは、ひっそりと台湾という場所に隔離され、優しい台湾の人達によってなんとかその形を保ってきているのではないか……。

そんなことを考えている時、1130日から数日間、石川県建築士事務所協会の御一行が訪台され、梅澤技師の建築物を視察するというニュースが地元の北国新聞に報道され、その記事の切り抜きのコピーを地元の知り合いが送ってくれました。何かボランティアでお手伝いでもすればよいのだけれども、僕自身は121日から東京へ出張だったので、それも叶いませんでしたが、ただ梅澤技師が石川県で認知されることはこの上なく嬉しいニュースだと感じていました。

台湾でもこのことは好感をもって報道されていました(次のリンクを参照)。

(出典: 次のリンクより取得)


更に東京の出張から台北に帰ってくると、台湾大学日本研究センターから台日交流教室というセミナーの案内がありました。演題は『台湾の日式建築を訪ねて~歴史的建造物の保存から学ぶこと~』、余りのタイミングの良さにおっと思い、このセミナーに申し込みをしました。

(②へ続く)


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2020年2月10日月曜日

石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭 ②上口昌徳先生のこと



かよう亭での夕食の時間に、社長の上口昌徳先生がお顔を出して下さった。久し振りに拝見する上口先生はお変わりのないご様子で、凛としながらも温かい空気を発していらっしゃる。「先生、お変わりなくお元気そうで」と申し上げると、「もう来月で米寿ですよ」と笑顔でさらりと仰られたので、反対にこちらが驚いた。先生はいつも若々しい。

知り合いに連れられかよう亭を訪れ、上口先生と初めてお会いしたのは20142月のことだった。その知り合いは上口先生と打ち合わせがあるとのことだったので、その間に私は図々しくも源泉かけ流しのかよう亭の温泉を頂いた。

上口先生は知り合いとの打ち合わせを終えると、お風呂を終えた私に、既に絶版になっていて最後の一冊だというご著書にサインし、プレゼントして下さった。山中の風土から生まれた食材をそのまま活かしたお料理が、加賀の文化が生んだ山中漆器や九谷焼きの伝統工芸の器に美しく盛られている。料理も器も季節感に溢れ、各季節の情緒溢れるお料理の写真が200ページ以上続いていた。




石川県の方であればご存じの方は多いかもしれないが、上口先生は昭和42年(1967年)から平成3年(1991年)まで石川県議、1982年から1983年の間には石川県議会議長をお務めになられた。

一方で、先代から家業である「かよう亭」を継がれた。引き継いだ当時、かよう亭は経済成長の波に乗り、50部屋をもつ大きな旅館となって、繁盛していた。ところが1973年、上口先生は先代の留守中に突然休業、更には廃業という計画を断行された。ご尊父との激しい議論の後、経営を任され、4年後に総部屋数10室のみの今の「かよう亭」をつくりあげられたとのことである。

その後のバブル時代は、かよう亭にとっては我慢の時代でもあったようである。しかしバブルが弾け、大型温泉旅館が続々と閉業に追い込まれる中、かよう亭は直木賞作家の高橋治氏をして「日本一の朝食」を出す旅館と呼ばせしめ、そして日本贔屓の外国人たちの心をガッチリと掴み、知る人ぞ知る旅館として国外でも知られるようになった。

事実、プライベートジェットで訪れる外国人客もいるようで、「プライベートジェットで訪日客が訪れる旅館の魅力とは」という演題で上口先生は講演をされている。

更に米国のCNNも『6軒の極上日本旅館』(Six of Japan's most exquisite ryokans)の1つとしてかよう亭を選んでいる。


しかし上口先生はこんなかよう亭の成功には全く飽き足らず、更には山中温泉の街全体のために精力的に活動されている。

一時余り振るわなかった地元の酒造会社さんに対し、地元の酒蔵をなくしてはならないと旗を振り、温泉街全体の旅館でこのお酒を売り出し、現場から味の改善のためのアドバイスをしたりした。結果として、この松浦酒造さんのお酒「獅子の里」は、第5回アフリカ開発会議(TICAD)公式晩餐会の乾杯酒として選べるまでになった。

私事で恐縮だが、ウチの義妹も「獅子の里 純米超辛口」の大ファンである。

他にも先生の地元での活動やご活躍には枚挙に暇がないのだが、最近は山中温泉の展望台を作られた。小ぶりだが、山中の温泉街を見渡すことが出来、夜は星空も美しく、まずまずの評判のようである。結構細かいところまで色々と手を動かされるのである。

ところで話は変わるが、コマツの坂根顧問の「私の履歴書」を読むと、片山津温泉で豪遊した話はあるが、山中温泉の話は出てこない。それでも上口先生とコマツの坂根顧問は仲良しである。坂根さんは東京や小松市でコマツのV字回復を実行され、上口先生は山中温泉でかよう亭の改革を行ったと言えば大袈裟だろうか。

また上口先生との旧友である金沢の「小松弥助」の森田一夫師匠を訪れた時、「東の次郎、西の弥助」と称せられるこのお寿司の神様は、「上口さんは今でも一週間に一度はここに遊びに来てくれてね。何十年もの付き合いなのに、いつも遠慮されてね。今朝初めて米寿のお祝いということで、お店で僕のお寿司を食べてくれたよ。」と仰られた。

森田師匠は続けて、
「昔どこどこの家元と映画監督の誰々と三國連太郎とかの名優たちと上口さんと一緒に京都に行ったときにね、家元が上口さんに『まだお前、政治なんかに手を出してるのか』と言われたことがあったっけねえ。」
と懐かしそうに仰られた。

上口先生は米寿を迎えようが、メディアに称賛されようが、人に何を言われようがそんなことは全く気にするような方ではないのだと思う。

かよう亭の社長は今もなお現役で務め、毎日謙虚に一人ひとりのお客様のおもてなしに努められている。

一方で、県議会からは去られて長年経つが、山中温泉観光協会会長や北陸観光協会会長をずっと続投されていて、若い時とは異なる舞台において、ご自身の中にある郷土愛をどんどん行動に移されることによって、これを何らかの形に昇華されている。

コマツの創業の地である小松市を大切にしてくれた坂根さん、地元の若い弟子たちと厳しくも楽しそうにお寿司を握り続ける森田師匠、そんな強烈な郷土愛のネットワーク、そして偉大なプロフェッショナル集団の中で、上口先生は今でも元気で楽しそうなご様子である。

翌朝日本一の朝食を頂いてから、台湾の方とかよう亭のすぐ側にある鶴仙渓を散歩した。芭蕉の石碑がある辺りに、北陸では珍しい1月の小雨に濡れながら、早い山桜の花が咲いていた。先生のお人柄のように思えた。


石川県プレミアムツアーには直接関係のない話かもしれないが、上口先生の様な郷土愛を持たれる方はどんどん少なくなって来ているように思えるので、僅かとは言え薫陶を受けた者として、敢えてここに先生の話を紹介させて頂いた。

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2020年2月9日日曜日

能作「富山三大美酒ツアー」 ①北陸の鋳物の歴史


2020125日(土)、久し振りに金沢から富山県高岡市へ足を運んだ。

能作と加越能バスというバス会社がコラボで開催する「富山三大美酒ツアー」と、自分の帰沢の日程が合ったので、これに参加できるよう、弟が準備してくれていたのである。

高岡では高校時代の3年間を過ごしたが、大学一年の時に高校時代の恩師に大学生活の報告に来て以来足が遠ざかっており、高岡に来るのはほぼ30年ぶりだった。金沢駅から高岡駅まで来て城端線に乗り換え、新高岡駅まで行く。高校時代に毎日通学で使ったこの城端線が余りに懐かしく、30年ぶりに乗るローカル線に何だか感慨深かいものがあった。

新高岡駅で迎えに来ていた加越能バスに乗る。バスの天井はガラス張りで開放感があり、窓と天井には冠雪した立山連峰と冬の北陸には珍しい青空が広がる。

能作は砺波平野の散居村の中には珍しい近代的な建物で、それでいて落ち着いたデザインが周囲の水田やチューリップ畑や庄川の流れにうまく溶け込んでいるように思えた。思えたというのは、今はまだ冬のため水田やチューリップ畑には何もないので想像するしか無いのである。現在能作のある戸出(といで)校下(「校下」は金沢周辺の言葉で「学区」の意味)には、高校時代の親友がいて、彼の家はチューリップ農家だった。そんなことも懐かしく思い出した。

能作さんは今では錫の器で有名だが、鋳物メーカーであり、元々高岡銅器の職人であった。

北陸の鋳物の歴史は古い。能登の鋳物の歴史は古代に遡るという。中能登町に雨之宮古墳という4世紀中頃から5世紀のはじめにつくられた古墳群があり、能登一帯を支配した人物を埋葬しているとされている。この頃から大陸から日本海をつたって能登半島へと鋳物師が往来していたのかもしれない。

実際、平安末期には「石納釜」、「能登釜」、「能登鼎」、鎌倉時代には「能登の国の釜」など能登の鋳物が文献に現れ始めるらしい。ただ製品のメインは「塩釜」がであった。製塩業における必需品として、塩釜の需要は多くの時代を通して続いていった。


能登中居鋳物館にある鬼面(出典:穴水町ホームページ)

金沢のとある大手・老舗製造業を見学させていただいた時に、金型は自製していて、それはこの能登の鋳型の伝統によるところが大きいとお話されていた。

高岡銅器の方は、8世紀頃に大阪堺の河内の鋳物師を招いたことをルーツとし、その後加賀前田家の二代目である利長公が高岡城を築城した後、高岡市金屋町に7人の鋳物師を招いたという。

高岡の老子(おいご)製作所さんでは、千葉県の成田山新勝寺、京都の西本願寺や三十三間堂、広島平和の鐘など国内は勿論、国連の平和の鐘や台湾最大の法鼓山の鐘など多数の梵鐘などをつくっていて、高岡銅器の歴史は今に受け継がれている。

能作さんではそんな伝統を大切にされつつ、新しいものに挑戦されている。

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2020年2月8日土曜日

曽文ダムマラソン ③曽文ダムマラソン大会の特色


台南駅を出発して1時間ほどすると、バスは曽文ダムマラソン大会のスタート地点である「水資源局」に着きました。この「水資源局」の正式名称は「経済部水利署南区水資源局曾文辦公区」のようで、曽文ダムの管理事務所のようなところです。これが曽文新村と呼ばれる地区にあり、先程お話しした烏山嶺隧道東口の対岸辺りに位置しています。



Google Mapから転載)

バスを降りると台南とはいえ山中のためか、肌寒く感じます。敷地内に体育館があるので、皆そこで着替えたりし、その後荷物を預けます。時間には余裕があると思っていたのですが、更にトイレに行ったりしているとすぐにスタート時間になりました。

さて曽文マラソンの詳しい体験をお話する前に、ここで曽文ダムマラソンの特色についてまとめてみたいと思います。

1.     曽文渓ダムは2019年が第36回目の開催で、台湾で最も歴史があるマラソン大会です。
2.     AIMS(国際マラソン・ディスタンスレース協会)の認証を受けています。台湾ではマラソン大会が随分多くなりましたが、AIMS認証をもつフルマラソンの大会はまだ10大会程度です。
3.     コースとなる道路が全面封鎖されています。車やオートバイは走っていません。安全でのびのびと走れます。
4.     出場者枠が大きいこと(フルマラソンは1,491名)。最近のマラソンブームで、台湾でも申込開始と同時に即出場者枠が無くなるとか、抽選等になる場合が多々あります。しかし曽文マラソンではスケジュール通りに申し込めば、通常出場可能です。
5.     高低差が200メートルほどあり、上下の起伏が激しく、中々挑戦甲斐のあるコースです。
6.     山深いところにあるダムや川の沿道走るので、空気がよく、かつ景色が素晴らしいです。参加者も過度に多くなく、ゆったりと走れます。

1についてもう少し詳しくお話すると、下の図は1996年の曽文ダムマラソンのコースです。スタート地点はマンゴーの産地で知られる玉井にあり、折り返し地点が現在のスタート地点である曽文青年活動中心になっています。昔は保安上の理由で曽文ダム付近に近づけなかったためかと思われます。


多くのシティマラソンが開催される中、山中のダムの周りを走る曽文ダムマラソンはある意味非常に贅沢なマラソンと言えるのかもしれません。

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2020年2月7日金曜日

石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭 ①山中の話


開湯1300年、松尾芭蕉が「扶桑三の名湯」の一つと頌した山中温泉、山中という地名の通り、福井県との県境に程近い山間部に位置する。伝統工芸山中漆器でも知られ、漆器出荷量では日本一だという。古九谷の発祥の地としても知られる。

江戸時代から明治時代には北前船の船頭衆、船乗り衆の湯治地として栄えた。戦後には吉田茂が佐藤栄作を首相に指名した「山中会談」が行われた。料理の鉄人、現代の名工である料理人道場六三郎氏の出身地である。木工芸家で5番目の人間国宝である川北良造氏もここの出身である。石川県の中でも、とりわけ歴史があり文化がある土地なのである。

「かよう亭」さんはその山中温泉の中にひっそりと佇んでいる。総客室数は10室のみの隠れ宿。建物も茂みに囲まれており、神秘的な空気に包まれている。源泉かけ流しのお湯の香りがほのかに漂っている。



 「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」 芭蕉

2020127日(月)夕刻、台北からのフライトで小松空港に到着した台湾の方をここにお連れした。旅はここから始まる。

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。