日本統治時代の台湾で活躍した日本人の名前か挙げるとすれば、台湾人であれ日本人であれ、多くの人々が当時東洋一の規模を誇る烏山頭(うざんとう)ダムを建設した八田與一技師のお名前を思い浮かべるのではないでしょうか。八田與一技師は金沢の人で、八田家は私の生家から歩いて10分ほどのところにあり、地区一帯では八田技師に対して非常に思い入れがあります。
八田技師のお弟子さんで、台中市新社区で白冷圳(はくれいしゅう)を建設した磯田謙雄(いそだのりお)技師も金沢の人で、台中や金沢で名前が知られるようになってきています。磯田技師の生家は金沢市寺町にあって、僕の大叔母夫婦が寺町五丁目に住んでいるので、磯田技師にも親しみを感じますし、その近くの金沢市城南公民館の方々が熱心に磯田技師のことを研究しているようです。
さて、台南では当時台湾南部随一の百貨店である林百貨(はやしひゃっか)を設計・建築し、林百貨一帯の末広町の地域開発計画を作成・実行し、また台北では今やその跡地が芸術村として有名になっている松山煙草工場を設計・建築した梅澤捨次郎という建築家がいました。最近台湾のナンバーワンモデルであるリン・チーリン(林志玲)さんが、台南にて挙式を行いました。その際に会場として使われた場所の一つが台南市美術館で、ここの一号館は昔の台南警察署であり、これもまた梅澤建築です。
梅澤技師もやはり石川県の出身で、生まれは石川県鶴来町(現白山市)、本籍は金沢市の中心地である金沢市広坂でした。梅澤技師はこのように台湾で多くの素晴らしい建築を行ったのですが、日本はおろか、地元金沢でも名前は余り知られていないように思います。
昔、松山煙草工場内に台湾の人間国宝と呼ばれる呉宝春さんというパン職人のお店があり、こちらのパイナップルケーキが頗る美味しく、これをお土産に携えて梅澤さんの話をするのですが、石川県の知り合いたちもどうもピンとこないようでした。(パイナップルケーキはみんなに満足していただけるのだけれども……。)
梅澤建築にとどまらず、最近の台湾では、日本統治時代の建築物を復元・再生させて、新しい観光スポットや地域のランドマークになってきています。台湾の人々が日本統治時代の建築物を大切にしてくれていることを有難く感じると同時に、日本では明治から昭和初期の建築物は余り大切にされないことを残念に感じるのです。ところがある時、「台湾では今も多くの日本時代の建築物が残されており、大切に復元、保存されている。」と知り合いに話したところ、「横浜にはたくさん古い建物が残されていますよ。」とちょっと小馬鹿にしたような口調で返答されました。確かに横浜には多くの明治から昭和初期の建築物が残されていますが、台湾ほどではないだろうなと思いつつ、一方で私自身は建築についてはずぶの素人で、具体的なデータ等はもっていないので口をつぐみました。
こんな感じで、私は梅澤捨次郎さんや台湾にある日本統治時代の建築物について、一種のやるせない気持ちや違和感を抱かずにいられませんでした。
日本統治時代の台湾では、明治人が一所懸命慣れない環境において苦労しながら、数々の素晴らしい建築物を設計・建設した。しかしながらその末裔である現代日本人は、先達の苦労や偉業を知りもしなければ、今の時代に残された先達の形見であり遺産である当時の歴史的建造物にも全く関心ももたない。もはや遺跡のようなそんな建築物たちは、ひっそりと台湾という場所に隔離され、優しい台湾の人達によってなんとかその形を保ってきているのではないか……。
そんなことを考えている時、11月30日から数日間、石川県建築士事務所協会の御一行が訪台され、梅澤技師の建築物を視察するというニュースが地元の北国新聞に報道され、その記事の切り抜きのコピーを地元の知り合いが送ってくれました。何かボランティアでお手伝いでもすればよいのだけれども、僕自身は12月1日から東京へ出張だったので、それも叶いませんでしたが、ただ梅澤技師が石川県で認知されることはこの上なく嬉しいニュースだと感じていました。
台湾でもこのことは好感をもって報道されていました(次のリンクを参照)。
(出典: 次のリンクより取得)
更に東京の出張から台北に帰ってくると、台湾大学日本研究センターから台日交流教室というセミナーの案内がありました。演題は『台湾の日式建築を訪ねて~歴史的建造物の保存から学ぶこと~』、余りのタイミングの良さにおっと思い、このセミナーに申し込みをしました。
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