(2020年2月13日投稿「セミナー『台湾の日式建築を訪ねて』 ①梅澤捨次郎技師のこと、日本統治時代の台湾の建築物のこと」
から続く。)
台湾を初めて訪れた時、九州みたいだと感じられる日本人が多いようです。それは気候や風土が似ているからだけではなく、所々に日本と同様の建築物が残されているからかもしれません。
前回の投稿にてお話した通り、今回の台湾大学日本研究センターの台日交流教室は「台湾の日式建築を訪ねて~歴史的建造物の保存から学ぶこと~」というものでした。
講師は渡邉義孝先生という一級建築士で尾道市立大学の非常勤講師をされている方でした。日本の一級建築士の97%が新築を専門とされているそうですが、渡邉先生は古い建物の調査・保存を専門とされていて、台湾における日本統治時代の建築物の視察・調査のため、2011年に初訪台されて以来、約20回台湾にいらしています。
視察の際には素敵な手書き・手描きのノートをとられているそうです。建築物の外観や見取り図がきっちりとしているのは勿論、関係者をインタビューした際に相手の似顔絵も描いていらっしゃるのですが、これがまた素敵です。
(出典:渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」P81)
縁あってこのノートを台湾で翻訳・出版されたそうです。
渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」 https://www.books.com.tw/products/0010808597
日式建築とは
セミナーのお話の方は、まず『日式建築』とは何かということをきちんと定義する必要があるという話から始まりました。
台湾の日本統治時代の建築物で代表的なものには、総督府、松山煙草工場、迪化街、当時の公務員の宿舎群がありますが、これらは台湾ではすべて「日式建築」と呼ばれています。
台湾で「日式」という中国語が一番よく使われるのは、間違いなく「日本料理」を意味する「日式料理」(りーしーりゃおり)という熟語の形だと思われます。チャイナで使われる中国語では「日本料理」は「日本菜」(りーべんつぁい)ですが、台湾では「日式料理」という言葉になるのです。
そう考えると『日式建築』は「日本建築」で良さそうですが、日本語の「日本建築」はいわゆる和風の建築物を表しますが、総統府等は洋風の建築物です。そう考えるとこの言葉の定義はそう簡単ではないかもしれませんね。
結論から言えば、「台湾の日本統治時代1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までに建てられた建築物の総称」というのが最も有力な定義とのことです。從って、公務員宿舎のような和風建築あるいは和洋折衷建築も総統府のような洋風建築も含まれます。
しかし、更にはここでいう「洋風建築」という言葉も曲者です。
この台湾の「日式建築」の中の「洋風建築」の中には、
・ ギリシャ建築
・ ローマ建築
・ 初期キリスト建築
・ ロマネスク建築
・ ゴシック建築
・ ルネッサンス建築
・ 新古典主義建築
の様式がすべて含まれていて、更にはコロニアル様式や熱帯風ベランダなどもあり、ヨーロッパでは見られない「洋風建築」が多々存在しているとのことです。
これは当時日本とヨーロッパは海路での行き来だったため、その途中であるインドや東南アジアで見られるコロニアル様式や熱帯風ベランダなどもそのまま台湾にて応用されたようです。
明治維新後、日本はヨーロッパから急速に様々な建築様式を学び取りましたが、当時の日本人建築家たちは自らが学んだことを全て台湾で試したと言えるのではないでしょうか。
日本の建築物と台湾の日式建築との違い
しかし、明治の建築家は自らもつ日本建築の伝統とヨーロッパから学んだ洋風建築を直接そのまま台湾に持ち込んだかというと、決してそうではないようです。
例えば、当時建築された公務員宿舎が和洋折衷の住宅に見えますが、日本にある和洋折衷住宅とは異なるようです。
(出典:渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」P28-29)
日本の和洋折衷住宅と台湾の日式建築の違いについて、まず容易に想像できる点は、基礎の部分です。台湾はより高温多湿で白蟻も多いことから、日本では床下(地面から一階の床)が通常45センチ程に対し、台湾では60センチ前後になるとのことです。
またこれともよく似た話ですが、台湾では日本より雨や台風が多く木材が断面から腐るリスクが高くなるため、南京下見板張りの出隅を銅板で保護してあるケースが多いようです。
(出典:渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」P46)
更に台湾の日式建築の住宅では、出窓の下で床の上の位置に通気孔があるとのことです。勿論日本と同様、床下の通気孔は勿論あります。台湾の湿気に対応するため、通気孔が二重になっているのです。
他にも、台湾の公務員宿舎では二戸一(ニコイチ)と呼ばれる二連長屋が多いそうですが、日本の長屋はほぼ全てが和風建築であるのに対し、台湾では洋館が多いなど、違いはまだまだあります。
このような話をお聞きしつつ、台湾は明治のやる気に溢れる建築家の新しい試みの地であり、今も残される日式建築はその情熱や試みを具現化したものではないかと思わずにはいられませんでした。
(③へ続く)
○●◎●○
お手数ですが、よろしければ応援のポチッをいただければ嬉しいです。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿