2010年12月9日木曜日

李登輝さん米寿パーティー

本日夕刻、李登輝さんの米寿記念パーティーがあった。

会場に着くと人の多さに驚いた。

150人以上が集まっており、その殆どが日本人だった。

台湾でこんなにも多くの日本人が集まっている場に行くのは久しぶりだったので、何だか緊張してしまった。

どんな集まりなのかも分からずに、もしかすると李登輝さんと直接お話できる機会があるかもしれないと思い、李登輝さんの本を持参していたのだが、うーん、この人数では直接李登輝さんからサインをもらうのは難しいかもしれないと思った。

ちょっとがっかりしていたのだが、会が進行している合間に、うちの顧問のCさんはうまく開催者側と話をつけて、僕が李登輝さんと直接お話をできる時間を作ってくれた。

流石に戒厳令前から台湾にいる人は年季が違うと思った(Cさんは在台歴23年の大ベテランである)。

開催側の方から、李登輝さんに「この方は先生の学校の後輩にあたる方です」とご紹介してもらい、李登輝さんと直接お話することが出来た。

李登輝さんに「私カブと申しまして、京都大学を」と申し上げたところで、李登輝さんは僕の話を遮られた。

「いや、私は京都大学は途中でやめているんです。」

私はそこで直ぐに、

「いえ、私も京都大学は途中でやめて、コーネル大学に行ったのです。丁度李登輝さんが(コーネル大学で)講演された年でした。」

と返すと、

「は、は、そうか、そうか、専攻はなんだったの?」

高い声でお笑いになられ、そして李登輝さんの声が急に軽いものになった。

「オペレーションズリサーチです。」

「そうか、そうか、オペレーションズリサーチでしたか。」

ここで、顧問のCさんがすかさず我々が持ってきた李登輝さんの本に直筆サインをおねだりした。

この人は台湾に長いせいか、ときに動作が日本人離れして敏捷である。

李登輝さんは快く承諾して下さり、私がお持ちした先生の著作である『台湾の主張』を手に取ると、突如一番後ろのページを開かれ、

「かなり古い本ですね。」

と呟くように仰られた。「ええ、出版されて直ぐにニューヨークの紀伊国屋で買って、それから色々なところに引っ越したのですが、今に到るまでずっと側に置かさせて頂いております。」

李登輝さんは何も言わなかった。

この沈黙を僕はきっといい意味であると心の中で勝手に解釈していると、私の名前が面白い名前だ、どこの出身かと仰られながら、サインを書き始められた。

「私の父母は富山の出身で、私は金沢の八田與一さんのご実家のとなり村で生まれました。」

『村』と言ってしまった自分に驚いた。現在の地名では無論『町』というのが正しい。

李登輝さんの古風な旧制高校生風の日本語に接しているうちに、僕の生まれた町は「石川県金沢市〇〇町」は「石川縣河北郡〇〇村」に変換されてしまったのである。

「八田與一さんか。」

サインをしながら、今度はうなられるような声を出された。私が

「そういえば、先生のご親友の陳舜臣さんの甥っ子が私の大学時代の親友でした。」

と言ったときには、李登輝さんはサインをすることに没頭されていた。

先生は最近目に不都合があるようで、かつ今日はメガネをお持ちにならなかったので、サインを書くのも一苦労のご様子だった。

何だか申し訳ないことをしてしまった。

先生にサインして頂いた本を手にしたときには、自分の後ろには長蛇の列があった。

恐縮しながら、その場を慌てて後にしたのだった。





6 件のコメント:

  1. へー。そうなのですか。駐在時に当時は総統をされていましたが、ある日のこと、台北駅の構内の大きなテレビスクリーンがあり、皆台湾人が足を止めてみていた。何だろうと見ると李総統の話が放送されていた。政府方針の重要な演説のようであったが、駐在開始で言葉がまだ不自由な私は文字を一生懸命追いかけて見たものです。懐かしいことをふと思い出しました。

    返信削除
  2. よかったね。凄い経験だ!李登輝さんとカブちゃんは、京大→コーネル→台湾大学まで一緒じゃない。恐らくカブちゃん以外にいないんじゃない? 一緒に写真は撮りましたか?

    返信削除
  3. > へー。そうなのですか。駐在時に当時は総統をされていましたが、
    >(以下略)
    コメント頂きましてどうも有難うございます。
    よく考えると李登輝さんが総統を務められていたのは1988年から2000年、総統の椅子からお退きになられてから、もう10年も経ちます。
    あの頃から台湾は随分と変わったものですね。。。

    返信削除
  4. > よかったね。凄い経験だ!
    > 李登輝さんとカブちゃんは、
    > 京大→コーネル→台湾大学まで一緒じゃない。
    お陰様で本当に貴重な経験をさせて頂きました。本当に感無量です。
    確かに京大&コーネル、台大&コーネルで重なる人はいても、3つの学校の後輩は恐らく他にはいないかもしれませんね。
    > 一緒に写真は撮りましたか?
    残念ながらツーショットではないのですが、他の日本人の方とも一緒に写真も撮りました。人に撮ってもらったのですが、送られてくるのを心待ちにしている毎日です。

    返信削除
  5. 京大―コネール―台大。運命的な一致ですね。李登輝先生のパーティーに行けるなんて羨ましいです。貴重なご体験ですね。

    今日はじめてブログを拝見させていただき、面白くていっきに読破してしまいました(ファイナル期間中だというのに…)。これからたまにお邪魔します。

    米国大学院在住
    Gill

    ちなみに私は、京大でもコネールでもありませんが(笑)。台南にいたことがあります。

    返信削除
  6. Gillさん:

    コメント頂きましてどうも有難うございます。また小生のブログを読んでいただきまして有難うございました。最近はサボリ気味ですが、頑張って書き続けていきたいと思いますので今後も応援お願いします。

    私にとってはアメリカ大学院時代は非常に楽しく、良い経験でした。(台南での仕事時代も貴重な経験でした)

    Gillさんの大学院生活が実り深いものであることを、ささやかながら心からお祈り申し上げます。

    返信削除

本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。