2020年2月26日水曜日

石川県プレミアムツアー 第二日 山中温泉かよう亭 ④日本一の朝御飯


(石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭夕ご飯 https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/02/blog-post_19.html より続く)

翌朝起きると雨は止んでいた。お部屋の露天風呂が朝日に照らされながら湯気を上げている。


お部屋の炬燵から見える緑に心が落ち着く。


館内の所々に火鉢が置いてある。


暖冬とは言え、朝の山中はやはり少々冷える。部屋の炬燵や廊下の火鉢がの誘惑は大きいが、部屋に置かれていたお散歩&ジョギングマップが面白そうだったので、寒さに負けずにジョギングに行った。地図のピンクの4.8キロコースを走った。登り坂がきつかったけれども良いコースだった。(寄らなかったが新しく出来た展望台もこのコース上にある。)


ジョギングで汗をかいた後、朝風呂を一浴び。大浴場の入り口に九谷のネズミの置物があった。


風呂の後、朝食までに少しまだ時間があったので、館内をうろうろした。

正面玄関。


館内の奥まったところ。



大浴場の横。


九谷の細字大皿。


百首きちんと書かれています!


そして遂に高橋治氏が日本一と評した朝御飯を頂いた。


芭蕉も愛したお湯、侘び寂びを感じさせるしつらえ、そしてジワもの(石川県の方言で「地のもの」の意味)がふんだんに使われた食事等のお蔭で、身体も心も綺麗さらさらになった気がします。

(続く)

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2020年2月24日月曜日

九份付近でプチ登山 ②茶壺山と半屏山登山



(「九份付近でプチ登山まずは台北から金瓜石まで」 https://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2020/02/blog-post_16.html から続く)

「金瓜石(黄金博物館前)」のバス停では珈琲屋のお姉さん、娘さんと姪御さんの三人が待っていてくれました。

トイレをすませて出発!(注意:登山道に入るとトイレは一切ありません。)

他の多くの日本人の方々と同様、私も「千と千尋の神隠し」のモデルとなったという九份には何度か来たことがあり、黄金博物館にも来たことがありますが、茶壺山はそれまで聞いたことがありませんでした。黄金博物館の前をそのまま直進すると確かに階段があり、これが「茶壺山歩道」の入り口とあります。そしてその歩道の先には小さいティーポットのようなものが見えます。

少々急な階段道ですが、これを登る切るとアスファルトの道路に出て、そこにはあずまや(中国語でいう涼亭のこと)があります。そして持ち手のないティーポットみたいなものがハッキリと見えます。言い遅れましたが、中国語で「茶壺」は「茶つぼ」ではなく急須やティーポットの意味です。そして持ち手がないので、この山は正式には「無耳茶壺山」と呼ばれています。


アスファルトの道を登ると更に「茶壺山歩道」の続きがあるので、これを登り続けるとまた別のあずまやがあり、そこからは素晴らしい景色が見えます。(この日は曇り空で残念。)この海は海岸べりと海岸から離れたところで色が異なることから「陰陽海」と呼ばれているとのことです。


ここからもう少し頑張れば頂上です。ティーポットの周りに人が集まっているのが見えます。


この写真では少し分かりにくいかもしれませんが、人々が次々とティーポットの中に入って行きます。このティーポットの中に潜って、それからティーポットの周りを半周すると半屏山に行く道があります。

ティーポットでの移動はロッククライミングと言えば大袈裟ですが、岩をくぐったり、跨いだり、這ったりと正直少々怖くて足がすくみました。ただし危険なところにはロープがきちんと張ってあり、かつ足場も作られていますので安心感があります。

しかも登り慣れた人がいらして、色々とアドバイスしてくれるのも嬉しい。見ず知らずの人間に「あ~、右足はもう少し下の方に!」などと親切に声をかけてくれます。山の中でも台湾の人々の人情が暖かいです。

半屏山へ行く道は両側をススキが生い茂る美しい道で台湾のインスタスポットのようですが、僕たちがこの道に出た時は濃霧でこの風景を楽しめず残念でした。

このススキ道を進んでいくとまたも岩、岩、岩になってきます。ちょっとした岩山の崖のような感じです。インターネットで半屏山のことを調べると、元々は台湾語で「半爿」山(pòaⁿ-pêng、ぼあぴん)と呼ばれていたのが、後に北京語で半屏山となったとのことです。「爿」は木を二つに切った片側の意味で、台湾語で「半爿」とは片側半分のような意味です。ですので、半爿山は片側半分しかない山という意味で、片側は垂直に近い崖ということなのでしょうね……。

呼び名は大袈裟な気もしますが、崖のような岩場の道が少々続くのは事実です。しかしながらこちらもティーポットと同様、ロープがきちんと張ってあり、岩を削った足場もしっかりと作られていますので、ロープと足場を手がかりに一歩一歩進んでいけばきちんと頂上に辿り着きます!


頂上で女性軍を待っていると、彼女たちより先に登山慣れした感じの男性が一人でいらっしゃいました。

「ここが半屏山の頂上で間違いは無いですか?」と尋ねるとこっくりと頷かれ、更に「この石はなんですか」(写真の中央付近に写っている四角錐台のもの)と聞くと「100年以上前に日本人が測量した時につくった三角点だ。」とおっしゃります。

司馬遼太郎は「実際の台湾統治は、乃木のあとにきた第四代総督の児玉源太郎からはじまるのである。」と言っています。ただ児玉は陸軍大臣、内務大臣や陸軍参謀総長次長等を兼任したため、実務は民生長官の後藤新平によって行われました。児玉が1898年(明治31年)2月に総督に就任し、後藤が同年3月に民政長官に就任します。

児玉、後藤が台湾にて真っ先に着手したのが土地調査事業でした。1898年(明治31年)717日に公布された「台湾地籍規則及び土地調査規則」に基づき、台湾総督府臨時土地調査会は、地籍調査、三角測量、地形測量を実施しました。

このような歴史的事実に鑑みると、この男性が言っていることも恐らく間違いないと思われます。

今まで自分が通って来た険しい道のりを考えると、統治を初めて間もない台湾で、こんなところに一体どのように来て、どのように測量したのか……。先人の努力を少し想像しただけで、大変な苦労だったに違いないことを改めて思い知らされるのでした。

そんな思いに耽っていると、ようやく賑やかな女性軍も頂上にやってきましたので、少し休んでから、また足を進めます。

少し霧が薄くなり、ススキの道も風景が見えるようになってきました。


(③へ続く)

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2020年2月22日土曜日

能作「富山三大美酒ツアー」 ③若鶴酒造と三郎丸蒸留所見学


(能作「富山三大美酒ツアー」能作工場見学と鋳物体験
から続く)

高岡市戸出地区にある能作さんから砺波市油田地区にある若鶴酒造さんへは目と鼻の先である。砺波平野を走るローカル線の城端線では一駅、車では10分弱である。

若鶴酒造さんは創業文久2年(1862年)、150年以上の歴史を持つ酒蔵である。

最近では「若鶴」ブランドより「苗加屋」(のうかや)ブランドの方が有名かもしれない。城端線に砺波駅の隣に東野尻駅という小さな駅がある。僕が高校生の時に既に無人駅だった。そこの地名が砺波市苗加(のうか)と言うが、若鶴酒造さんの創業家は元々ここで「苗加屋」という旅籠を営んでいらしたらしい。その屋号に因んだブランドである。

更に若鶴酒造さんは、今や日本酒よりも北陸唯一のウイスキーの蒸留所である「三郎丸蒸留所」の方が有名かもしれない。戦中の米不足により、米以外の作物からアルコールをつくる研究をはじめ、1952年(昭和27年)にウイスキーの製造免許を取得、富山県内で「サンシャインウイスキー」を発売。

蒸留所の改修工事の資金調達のため、2016年に55年もののシングルモルトウイスキーが発売。その名は「三郎丸 1960 シングルモルト55年 カスクストレングス」。これを抽選販売により完売。2017年にクラウドファンディングにより支援者を募り、支援総額38,255,000円を調達した。

改修後の現在の三郎丸蒸留所。


三郎丸蒸留所へ入っていく小道にある看板。



三郎丸蒸留所の入り口横の看板。


三郎丸蒸留所に入るとよい香りがする。こちらは入ってすぐ右手にある樽。


最後の桶職人の方が、引退前に吉野杉、能登竹でつくった仕込み樽。



高岡銅器製のポットスチル「ZEMON」(ゼモン)。三郎丸蒸留所と高岡銅器の梵鐘造りの名匠である老子(おいご)製作所により開発された。


肝心のテイスティングの方は、錫の器で飲む日本酒やウイスキーは、プラスチックのコップで飲んだものより、なぜかまろやかでした!

(④に続く)

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2020年2月21日金曜日

セミナー『台湾の日式建築を訪ねて』 ②日式建築とは


2020213日投稿「セミナー『台湾の日式建築を訪ねて』梅澤捨次郎技師のこと、日本統治時代の台湾の建築物のこと」
から続く。)

台湾を初めて訪れた時、九州みたいだと感じられる日本人が多いようです。それは気候や風土が似ているからだけではなく、所々に日本と同様の建築物が残されているからかもしれません。

前回の投稿にてお話した通り、今回の台湾大学日本研究センターの台日交流教室は「台湾の日式建築を訪ねて~歴史的建造物の保存から学ぶこと~」というものでした。

講師は渡邉義孝先生という一級建築士で尾道市立大学の非常勤講師をされている方でした。日本の一級建築士の97%が新築を専門とされているそうですが、渡邉先生は古い建物の調査・保存を専門とされていて、台湾における日本統治時代の建築物の視察・調査のため、2011年に初訪台されて以来、約20回台湾にいらしています。

視察の際には素敵な手書き・手描きのノートをとられているそうです。建築物の外観や見取り図がきっちりとしているのは勿論、関係者をインタビューした際に相手の似顔絵も描いていらっしゃるのですが、これがまた素敵です。

(出典:渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」P81

縁あってこのノートを台湾で翻訳・出版されたそうです。

渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」 https://www.books.com.tw/products/0010808597


日式建築とは

セミナーのお話の方は、まず『日式建築』とは何かということをきちんと定義する必要があるという話から始まりました。

台湾の日本統治時代の建築物で代表的なものには、総督府、松山煙草工場、迪化街、当時の公務員の宿舎群がありますが、これらは台湾ではすべて「日式建築」と呼ばれています。

台湾で「日式」という中国語が一番よく使われるのは、間違いなく「日本料理」を意味する「日式料理」(りーしーりゃおり)という熟語の形だと思われます。チャイナで使われる中国語では「日本料理」は「日本菜」(りーべんつぁい)ですが、台湾では「日式料理」という言葉になるのです。

そう考えると『日式建築』は「日本建築」で良さそうですが、日本語の「日本建築」はいわゆる和風の建築物を表しますが、総統府等は洋風の建築物です。そう考えるとこの言葉の定義はそう簡単ではないかもしれませんね。

結論から言えば、「台湾の日本統治時代1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までに建てられた建築物の総称」というのが最も有力な定義とのことです。從って、公務員宿舎のような和風建築あるいは和洋折衷建築も総統府のような洋風建築も含まれます。

しかし、更にはここでいう「洋風建築」という言葉も曲者です。

この台湾の「日式建築」の中の「洋風建築」の中には、

    ギリシャ建築
    ローマ建築
    初期キリスト建築
    ロマネスク建築
    ゴシック建築
    ルネッサンス建築
    新古典主義建築

の様式がすべて含まれていて、更にはコロニアル様式や熱帯風ベランダなどもあり、ヨーロッパでは見られない「洋風建築」が多々存在しているとのことです。

これは当時日本とヨーロッパは海路での行き来だったため、その途中であるインドや東南アジアで見られるコロニアル様式や熱帯風ベランダなどもそのまま台湾にて応用されたようです。

明治維新後、日本はヨーロッパから急速に様々な建築様式を学び取りましたが、当時の日本人建築家たちは自らが学んだことを全て台湾で試したと言えるのではないでしょうか。

日本の建築物と台湾の日式建築との違い

しかし、明治の建築家は自らもつ日本建築の伝統とヨーロッパから学んだ洋風建築を直接そのまま台湾に持ち込んだかというと、決してそうではないようです。

例えば、当時建築された公務員宿舎が和洋折衷の住宅に見えますが、日本にある和洋折衷住宅とは異なるようです。

(出典:渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」P28-29

日本の和洋折衷住宅と台湾の日式建築の違いについて、まず容易に想像できる点は、基礎の部分です。台湾はより高温多湿で白蟻も多いことから、日本では床下(地面から一階の床)が通常45センチ程に対し、台湾では60センチ前後になるとのことです。

またこれともよく似た話ですが、台湾では日本より雨や台風が多く木材が断面から腐るリスクが高くなるため、南京下見板張りの出隅を銅板で保護してあるケースが多いようです。

(出典:渡邊義孝「臺灣日式建築紀行」P46

更に台湾の日式建築の住宅では、出窓の下で床の上の位置に通気孔があるとのことです。勿論日本と同様、床下の通気孔は勿論あります。台湾の湿気に対応するため、通気孔が二重になっているのです。

他にも、台湾の公務員宿舎では二戸一(ニコイチ)と呼ばれる二連長屋が多いそうですが、日本の長屋はほぼ全てが和風建築であるのに対し、台湾では洋館が多いなど、違いはまだまだあります。

このような話をお聞きしつつ、台湾は明治のやる気に溢れる建築家の新しい試みの地であり、今も残される日式建築はその情熱や試みを具現化したものではないかと思わずにはいられませんでした。

(③へ続く)

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2020年2月20日木曜日

曽文ダムマラソン ④曽文ダムマラソンを実際に走る



7時にスタートのピストルが鳴ると、みんなが一斉にスタートゲートを越えていきました。ゲートをすぐ越えたところで黃偉哲台南市長ら関係者が一列になって見送ってくれます。

曽文ダムマラソンのフルマラソンのコースはスタート地点から10.5K地点までを2往復するというものです。


(出典:曽文ダムマラソン大会フェイスブック)

制限時間は6時間半で、各関門の閉鎖時刻は、31.5キロ地点が12時に閉鎖されるのみです。こういうと、完走は容易に聞こえるのですが、私は知り合いから曽文ダムマラソンはアップ・アンド・ダウンが激しく、かなり辛いと聞かされて(脅されて)いましたので、スタートからかなりスピードを抑えて走ることにしました。

スタート地点から少し下り坂で、しばらくは緩やかな上り下りが続き、4キロ地点の『曾文之眼』(曽分の眼)という建物に辿り着きます。


(出典:曽文ダムマラソン大会フェイスブック)

こちらを過ぎた辺りから急激な上り坂になりました。足が動かなくなりそうになりながら、それでも絶対に歩きたくないと踏ん張りつつ6キロ地点に何とか辿り着くと記念碑があり、ダムの堤体部分がぱっと開けてきました。

堤体付近はフラットで、かつ堤体を過ぎると少し下り坂があり一息つけました!

と思うのも束の間のことで、観景台(展望台の意味)というタワーを過ぎたところから、堤体前ほど急ではないですが、ひたすら上り坂になりました。上り坂は本当に自分との戦いですね。


(出典:曽文ダムマラソン大会フェイスブック)

シティマラソンと違って沿道に応援してくれる人もいません。それでもすれ違う時に他の見知らぬランナーの方々が「加油(じあよー)!」(北京語で頑張れの意味)とか「加油(がーゆー)!」(台湾語で頑張れの意味)とか励ましの声をかけてくれるのが嬉しいです。自分も「加油(がーゆー)!」と返事をしながら、相手と自分を励まします。

こうして踏ん張りつつ10.5キロの折り返し地点まで着くとホッとしました。

戻りは下り坂が続きます。リズムにのってタンタンタンと下っていくと、ようやくここで空気の美味しさ、風の心地よさ、ダムや川の水の青と山の緑の美しさを楽しむ心のゆとりが出てきました。更にこの日は天気にも恵まれ、空も青く、ああここまで走りに来てよかったと心から思えました。

例の曽文の眼を過ぎて、スタート地点まで戻る時にまた上り坂がやってきます。しかもここで、ハーフマラソンの参加者たちがどんどんラストスパートをかけて、追い抜いていきます。自分はなぜハーフマラソンでなくフルマラソンに申し込んでしまったのかと、今更ながら後悔しながら、でもここは我慢の時と自分のペースでゆっくり走り続けました。そしてハーフマラソンの参加者たちのゴールする歓声を聞きながら、2往復目に突入しました。

2往復目もずっと足を止めずに遅くとも走り続けていたのが、26キロを過ぎた堤体の手前の上り坂でついに足が止まってしまいました……。ここで時間を見ると制限時間の6時間半にはまだ余裕がありそうなので、上り坂は歩いて脚力と体力をセーブし、下り坂で走って制限時間内にゴールするように作戦を変えることにしました。

曽文ダム周辺は海抜150300メートルの山の中で、朝到着した時は肌寒かったのですが、昼間になるとそれなりに暑くなってきました。

また給水やエイドステーションはたくさん設けられているのですが、昨晩台南の居酒屋で少々食べすぎたようでややお腹の調子が余りよくないため(苦笑)、固形のものは食べずに自分で持ってきたエナジージェルを食べまくりました。上り坂が多いせいか、やたらとお腹が空くのです。(自分の食いしん坊を上り坂のせいにするのはよくないですね。)



ジェルを食べているところをしっかりとカメラマンに写真に撮られました……。

ゴールの近くの最後の上り坂に来ると、制限時間には間に合いそうなので、ゆっくりと歩いていました。そうすると一人の若いランナーの方が、私のゼッケンを見て話しかけてきました。

「你是日本人嗎?」(日本人ですか?)

「是啊,我是日本金澤人!」(そうですよ。日本は金沢の生まれです。)

「真假,我去年參加金澤馬耶,這就是我第一次參加國外的比賽!」(本当に?去年の金沢マラソンに参加したよ。初めての海外でのマラソンだったんだ。)

哇,我們金澤人好榮幸非常感謝參加金澤馬!」(それは金沢人として非常に光栄です。金沢マラソンへのご参加、どうも有難うございます!)

彼はニコッとして、じゃあまた走るよ、お先にと言ってその場を去りました。

金沢マラソンに参加してくれる台湾人が非常に多い中、金沢からも台南のマラソンに参加して欲しいと改めて考えつつ僕もまた走り始めると、ゴールに到着。


タイムは恥ずかしくて決して人様に言えるものではありませんが、なんとか完走(完歩)でき喜びひとしおでした。

(出典:曽文ダムマラソン大会フェイスブック)

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2020年2月19日水曜日

石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭 ③夕ご飯



さて、かよう亭での宿泊体験に話を移したい。

台北小松便は予定より早めに到着したのだが、それでも小松から山中温泉までは時間がかかる。車はレンタカーでナビにまだ慣れていないせいもあって、山中温泉の街中で少々迷ってしまった。かよう亭に着くと時間ももう遅く、着替えてすぐに夕食を頂くことになった。

早速夕食のお部屋に案内して頂いた。掛け軸や屏風は山中温泉地元の句会で作成されたものらしい。



先付けはせりと子持ち昆布のお浸し。先付:涼拌水芹與鯡魚蛋昆布。

割山椒の萩焼(だと思う)と我谷盆(わがたぼん)にも少し似た山中塗のお盆が見た目も暖かく、優しい。


前菜は、小糠(こんか)鰊、浅葱の芽の酢味噌漬け、公魚の南蛮漬け、いくらおろし、塩胡麻豆腐。前菜:米糠醬醃鯡魚、醋味噌醬醃胡蔥芽、洋蔥醋醃炸西太公魚、鮭魚蛋蘿蔔泥、鹽芝麻豆腐。

小糠(こんか)鰊は北陸の郷土料理。こんか(こぬか)は米糠(こめぬか)の古語。魚の糠漬けを石川県や富山県呉西地区では小糠(こんか)漬けと呼び、福井県ではへしこと呼んでいる。

加賀藩前田家の家紋が梅鉢紋で、菅原道真公の子孫としている。紅梅の蕾が添えられていて、東風(こち)氷を解かさんと欲す季節を表している。こちらも暖かさを感じる。日本の季節感とは本当にいいものですね。


お椀は雲丹真丈、京人参、芽蕪、柚子。御碗:海膽山藥丸、京都紅蘿蔔、蕪菁芽、柚子。

写真がピンぼけなのではなく(苦笑)、蕪の薄切りが浮かべられていて、これを雪に見立てている。蕪の断面や金箔が雪の結晶のようで美しい。ちなみに雪の研究で知られる中谷宇吉郎博士は、山中から海側へ少し行った片山津のご出身。


お造り:なめら、烏賊、甘海老。生魚片:赤點石斑魚、烏賊、甘蝦。

「なめら」は石川県・富山県呉西地区の方言で、「キジハタ」のこと。「なめらばちめ」とも言う。ところでこの器は九谷だと思うがポップな感じで楽しい。


お凌ぎに空豆飯蒸しがあった後、焼き物で鰤塩焼き。御凌:蠶豆糯米(沒有照片)、燒物:鹽烤鰤魚。

懐かしくてたまらない冬の北陸の味。金沢の寒鰤はこのように塩焼きで大根おろしと食べるのが一番美味しいと思う。また、藍九谷の器(山本長左?)は金継されている。ものに命が有るかのように、ものに対して慈しみをもち、大切にすることは日本文化の非常に良いところであると思う。


炊合わせは鴨鍋。炊合:鴨肉鍋

台湾の人たちからよく「日本では鴨肉は食べないの?」と聞かれるが、石川県では比較的よく食べると思う。とりわけ鴨の治部煮は加賀料理の代表格。


箸休めのかぶら寿司。箸休:蕪菁壽司

日本酒に一番合う料理は何かと聞かれれば、是が非ともこのかぶら寿司を挙げたい。冬の北陸にいらっしゃる機会があれば、是非お試しあれ!


合肴の蟹の具足煮。合肴:松葉蟹白味噌煮。蟹は言わずとしれたズワイガニ。



酢の物は香箱蟹。醋物:香箱蟹

石川県ではメスのズワイガニを香箱と呼んでいる。県下では漁期が毎年116日から1229日までのため、こちらは新潟産とのこと。昨年は香箱さんに会うことが出来なかったのだが、ここで期せずしてお会いできて嬉しい。


お食事は合鴨農法で作られた有機米の加賀産コシヒカリのご飯にお味噌汁と香の物。稻鴨農法有機越光米(加賀產)、味噌湯、醬菜

加賀市で合鴨農法をやっていらっしゃるかたはもうお一人しかいらっしゃらない。



甘物は白胡麻のババロア。甘物:白芝麻巴巴露亞。


(④へ続く)

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。