春節休暇中に合わせた出張から帰台してしばらくたったある日、親友のトントンちゃんから連絡がありました。
「カブ、3月1日空けておいてくれる?」
トントンちゃんにしては珍しく真面目な声だったので、何も聞かずに
「分かった、空けておくよ。」
とだけ返事をして電話を切りました。
それからしばらくしてから、トントンちゃんと一緒に食事に行きました。今回は生臭物はダメだとかいうので、インド料理のベジタリアンレストランに集合したのです。
その時彼は突然スマホを使って、とあるファイルを送ってきました。
赤いカードだったので「喜帖」(結婚式の招待状)かと思い、遂にこの親友も結婚するのかという嬉しい驚きで僕は思わず「おめでとう!」と言ってしまいました。
ところが送られてきたもう一枚の招待状本文のファイルを見ると、どうも何か違うのです。
よく読むと、おばあちゃんが旧正月の元旦に息を引き取られて、3月1日に葬儀をするという案内でした……。
「ご愁傷様です。」「請節哀。」と僕は慌ててお悔やみの挨拶をします。
葬儀の案内がなぜ白黒ではなく赤色なのか尋ねると、トントンちゃんは待っていましたと言うばかりに「台湾では90歳を過ぎて亡くなると赤を使う」と説明してくれました。大往生は白黒ではなく、赤色でお祝いしましょうということなのでしょう。
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その翌週の金曜日の午後、トントンちゃんの友人一同でおばあちゃんのうちへお邪魔しました。おばあちゃんの家には日本と同様に祭壇が祀られていて、優しいおばあちゃんの遺影が置かれていました。
僕は毎年旧正月に台湾にいる時には必ずこのおばあちゃんのお家に寄せてもらっていました。トントンちゃんのおばあちゃんは私にも孫たちと一緒に『紅包』(ホンバオ)(ここではお年玉の意味)をくれました。今でもおばあちゃんから頂いた『紅包』(ホンバオ)は大切に保管しています。
その時と同様にお土産にもってきたツバメの巣を祭壇において、そして敢えて日本語でおばあちゃんの遺影にご挨拶しながら、お線香をあげさせてもらいました。
トントンちゃんのおばあちゃんは大正14年(1923年)、日本統治時代の台北州で生まれたそうです。台湾版おしんのような苦労人だったとお聞きしています。苦労されてろくに学校へ行く時間もなかったのかもしれません。僕にはいつも台湾語で話しかけてくれましたが、日本語で話してもお分かりになられるような感じも受けました。
台湾ではお亡くなりになられてからお葬式までの間にかなりの日数があります。今回も1月25日から3月1日までですので、一ヶ月以上あります。その間、とりわけ週末はお線香をあげに来る人が多いのか、トントンちゃんのお父さんや叔父さんたち、更におばさんたちも全員いらっしゃいました。皆さんにご挨拶して、お茶をいただきながらお話をしてから失礼いたしました。
お参りの後は日本と異なり、お塩ではなく、お家の玄関の横にお水がおいてあるので、こちらで手を洗ってから失礼します。
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さて、お葬式の当日です。8時までに新北市の葬儀場まで行かなければなりません。いつもですと地下鉄に乗っていくのですが、今回は黒のスーツを着ているのでタクシーで向かうことにしました。
葬儀の会場に着くと、親族の方々がご焼香していました。みんなアメリカの学校の卒業式のガウンのような服を着ています(ただし真っ黒なもの)。最近は麻で出来た三角の帽子はかぶらなくなってきているようです。
日本のように一人ひとり焼香するのではなく、「孝孫拜~!」(内孫(男)たち~~、お辞儀~!)というように何人かのグループにまとめてお参りするので、思ったより早く進んでいます。
親族の方々の焼香が終わると、おばあちゃんの思い出のビデオが流されました。おばあちゃんが「桃太郎」の歌を歌っている動画を見ると、不覚にも涙が流れて止まらなくなりました。オジサンの涙腺は脆いのです。
それからしばらくすると、恐らく親族の方々と同じお寺や廟の門徒の方々とか、近所の国会議員の先生とその事務所の方々とか、一族が経営する会社の人々などなど、すごい参拝者の波がやってきました。
流石は華麗なるトントンちゃん一族!
一方で少々気になったのは、我々の会場の後ろの方に駐車場があって、『小混混』(シャオフンフン)(中国語で「ヤンキー」の意味)のような人達がどんどん集まってきます。なぜか黒いスーツを着て、ネクタイをしているのは僕とその『小混混』(シャオフンフン)の集団のみなのです……。他の台湾の方々はみなさんカジュアルなモノトーンの服か、あるいは制服(政治家の事務所のベスト等)を着ていらっしゃいます。
『小混混』(シャオフンフン)が時折ちらり、ちらりと僕を見ます。僕の髪型のせいもあってか(?!)仲間だと思われているのでしょうか。せっかくきちんと『西米露』(「セービロー」と読んで台湾語でスーツの意味。無論日本語の「背広」のこと)を着てきたことが、こんな形で仇になるとは……。ピンチです!
『小混混』(シャオフンフン)が時折ちらり、ちらりと僕を見ます。僕の髪型のせいもあってか(?!)仲間だと思われているのでしょうか。せっかくきちんと『西米露』(「セービロー」と読んで台湾語でスーツの意味。無論日本語の「背広」のこと)を着てきたことが、こんな形で仇になるとは……。ピンチです!
そんな時会場からトントンちゃんの高校時代の同級生のカイカイさんがトイレへと出て来るのを目撃しました。僕はこれぞチャンスとばかりに彼について行ってトイレへと駆け込みました。
カイカイさんを捕まえて、一緒に係の方に焼香の順番を確認します。予想通り、親族友人は最後でしたので、『小混混』(シャオフンフン)と目を合わせないようにして大人しく出番が来るのを待ちます。
焼香の作法は前の人のやり方を見ると分かりました。まず日本と同じ様に遺影の前で焼香します。ただし、日本では粉のお香をつまんで、おでこの前まで持ってきて念じてからポロポロと火種の上に落とすことを2,3回繰り返すことが多いですが、台湾ではつまんでそのまま落とすようです。しかも一回のみです。
その後、正面に向かってお辞儀し、次に右側にいる男性の親族の方々にお辞儀、更に左側にいる女性の親族の方々にお辞儀し、これで失礼します。
ご焼香が終わると、ちょっとした儀式みたいなものがあり、おばあちゃんのご遺体と一緒に親族の方々は火葬場へ移動されました。
カイカイさんと僕たちは、ご自宅でご焼香した時と同様、会場の入口にあるお水で手を洗いました。そして『小混混』(シャオフンフン)のオヤジ狩りに遭わないか心配してくれたカイカイさんは、僕を会場の外のタクシーが多い場所まで送ってくれました。
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少々緊張しましたが、なんとか台湾でのお葬式でのご焼香を終えることが出来ました。
改めてトントンちゃんのおばあちゃん、いつも良くしてくれて有難うございました。安らかにお休み下さい。
合掌
合掌
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