2020年2月10日月曜日

石川県プレミアムツアー 第一日 山中温泉かよう亭 ②上口昌徳先生のこと



かよう亭での夕食の時間に、社長の上口昌徳先生がお顔を出して下さった。久し振りに拝見する上口先生はお変わりのないご様子で、凛としながらも温かい空気を発していらっしゃる。「先生、お変わりなくお元気そうで」と申し上げると、「もう来月で米寿ですよ」と笑顔でさらりと仰られたので、反対にこちらが驚いた。先生はいつも若々しい。

知り合いに連れられかよう亭を訪れ、上口先生と初めてお会いしたのは20142月のことだった。その知り合いは上口先生と打ち合わせがあるとのことだったので、その間に私は図々しくも源泉かけ流しのかよう亭の温泉を頂いた。

上口先生は知り合いとの打ち合わせを終えると、お風呂を終えた私に、既に絶版になっていて最後の一冊だというご著書にサインし、プレゼントして下さった。山中の風土から生まれた食材をそのまま活かしたお料理が、加賀の文化が生んだ山中漆器や九谷焼きの伝統工芸の器に美しく盛られている。料理も器も季節感に溢れ、各季節の情緒溢れるお料理の写真が200ページ以上続いていた。




石川県の方であればご存じの方は多いかもしれないが、上口先生は昭和42年(1967年)から平成3年(1991年)まで石川県議、1982年から1983年の間には石川県議会議長をお務めになられた。

一方で、先代から家業である「かよう亭」を継がれた。引き継いだ当時、かよう亭は経済成長の波に乗り、50部屋をもつ大きな旅館となって、繁盛していた。ところが1973年、上口先生は先代の留守中に突然休業、更には廃業という計画を断行された。ご尊父との激しい議論の後、経営を任され、4年後に総部屋数10室のみの今の「かよう亭」をつくりあげられたとのことである。

その後のバブル時代は、かよう亭にとっては我慢の時代でもあったようである。しかしバブルが弾け、大型温泉旅館が続々と閉業に追い込まれる中、かよう亭は直木賞作家の高橋治氏をして「日本一の朝食」を出す旅館と呼ばせしめ、そして日本贔屓の外国人たちの心をガッチリと掴み、知る人ぞ知る旅館として国外でも知られるようになった。

事実、プライベートジェットで訪れる外国人客もいるようで、「プライベートジェットで訪日客が訪れる旅館の魅力とは」という演題で上口先生は講演をされている。

更に米国のCNNも『6軒の極上日本旅館』(Six of Japan's most exquisite ryokans)の1つとしてかよう亭を選んでいる。


しかし上口先生はこんなかよう亭の成功には全く飽き足らず、更には山中温泉の街全体のために精力的に活動されている。

一時余り振るわなかった地元の酒造会社さんに対し、地元の酒蔵をなくしてはならないと旗を振り、温泉街全体の旅館でこのお酒を売り出し、現場から味の改善のためのアドバイスをしたりした。結果として、この松浦酒造さんのお酒「獅子の里」は、第5回アフリカ開発会議(TICAD)公式晩餐会の乾杯酒として選べるまでになった。

私事で恐縮だが、ウチの義妹も「獅子の里 純米超辛口」の大ファンである。

他にも先生の地元での活動やご活躍には枚挙に暇がないのだが、最近は山中温泉の展望台を作られた。小ぶりだが、山中の温泉街を見渡すことが出来、夜は星空も美しく、まずまずの評判のようである。結構細かいところまで色々と手を動かされるのである。

ところで話は変わるが、コマツの坂根顧問の「私の履歴書」を読むと、片山津温泉で豪遊した話はあるが、山中温泉の話は出てこない。それでも上口先生とコマツの坂根顧問は仲良しである。坂根さんは東京や小松市でコマツのV字回復を実行され、上口先生は山中温泉でかよう亭の改革を行ったと言えば大袈裟だろうか。

また上口先生との旧友である金沢の「小松弥助」の森田一夫師匠を訪れた時、「東の次郎、西の弥助」と称せられるこのお寿司の神様は、「上口さんは今でも一週間に一度はここに遊びに来てくれてね。何十年もの付き合いなのに、いつも遠慮されてね。今朝初めて米寿のお祝いということで、お店で僕のお寿司を食べてくれたよ。」と仰られた。

森田師匠は続けて、
「昔どこどこの家元と映画監督の誰々と三國連太郎とかの名優たちと上口さんと一緒に京都に行ったときにね、家元が上口さんに『まだお前、政治なんかに手を出してるのか』と言われたことがあったっけねえ。」
と懐かしそうに仰られた。

上口先生は米寿を迎えようが、メディアに称賛されようが、人に何を言われようがそんなことは全く気にするような方ではないのだと思う。

かよう亭の社長は今もなお現役で務め、毎日謙虚に一人ひとりのお客様のおもてなしに努められている。

一方で、県議会からは去られて長年経つが、山中温泉観光協会会長や北陸観光協会会長をずっと続投されていて、若い時とは異なる舞台において、ご自身の中にある郷土愛をどんどん行動に移されることによって、これを何らかの形に昇華されている。

コマツの創業の地である小松市を大切にしてくれた坂根さん、地元の若い弟子たちと厳しくも楽しそうにお寿司を握り続ける森田師匠、そんな強烈な郷土愛のネットワーク、そして偉大なプロフェッショナル集団の中で、上口先生は今でも元気で楽しそうなご様子である。

翌朝日本一の朝食を頂いてから、台湾の方とかよう亭のすぐ側にある鶴仙渓を散歩した。芭蕉の石碑がある辺りに、北陸では珍しい1月の小雨に濡れながら、早い山桜の花が咲いていた。先生のお人柄のように思えた。


石川県プレミアムツアーには直接関係のない話かもしれないが、上口先生の様な郷土愛を持たれる方はどんどん少なくなって来ているように思えるので、僅かとは言え薫陶を受けた者として、敢えてここに先生の話を紹介させて頂いた。

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起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。