2016年01月18日に台湾にて発表された『跟父親說抱歉 蔡英文』という記事の和訳です。
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蔡英文 父への謝罪
最後の1マイルの歩みを終えた蔡英文。彼女は台湾の歴史上初めての女性総統となったことは言うまでもなく、更には民進党を初めて国会で過半数越えの勝利に導いたリーダーとなった。
この栄光の瞬間、彼女は言った。「だからといって亡くなった父は決して喜ばないでしょうね。」父親は彼女が政治の世界に身をおくことに反対し、大陸委員会の主任委員を務めていた時期には、電話をしてきて不平をこぼしたこともあった。「英文、何でもかんでもお前がやっていることを、テレビで知らせるのは勘弁してくれよ。」父親が2007年にこの世を去っていなければ、蔡英文は2008年に党主席の座には就かなかったであろう。父の目には、いつも靴を揃えずに脱ぎ捨て、静かに父親のドライブに付き添っていたこの少女は、16日に権力の頂点に登り詰めた。そんな彼女がこれまでに来た道を振り返り、父親に最も言いたかったのは「ごめんなさい」という一言だった。選挙に出馬することにより、父親の婚姻関係が絶え間なくマスコミでの議論の的となり、彼女は内心罪の意識を感じていた。2300万人の生活がその双肩にかかるこのリーダーにしても、心の深い奥底では今もなおこの父親の小さな娘である。
選挙前の最後の一晩の最後の時、既に98才まで齢を重ね、何度となく病魔との戦いをくぐってきた史明(注:台湾の歴史家・台湾独立運動家)は、突然集会の舞台の前に姿を現し、ぽかっと口を開け、手を胸に当てながらステージの上の蔡英文に会釈した。あたかも自分が一生涯追い求めていた理想を彼女に託したかのようであった。彼女はすぐに目を赤くし、そして周りに構わず頭をあげた。数秒間の間、激しい気持ちが流れ溢れていた。
勝利を迎えてから見せた笑顔
二日目は恐らく蔡英文の表情が最も豊かであった時ではないか。勝利の夜、彼女は声を詰まらせながら群衆に向かって台湾語で言った。「みんな嬉しい?みんな嬉しい?」傍らの陳菊がお茶を渡し、蔡英文はそのお茶を少し飲んでやっと笑顔を見せ、ステージの下ではシャッターが切り続けられた。この夜、華人世界で最も高い権力の地位に就いた女性となった蔡は、民進党を設立以来初めて立法院で過半数超えに導いたのである。
蔡は2008年の民進党が一番悪い状態の時に党主席を引き継いだが、これといった後ろ盾もない彼女に対して、誰もが二年ももたないと考えていた。ところがこんな想像に全く反して、彼女は民進党を苦境から脱出させることに成功し、2014年の総合選挙において大勝利を収めたのである。暗く波が荒れる道を歩み続けようやく大勝利に辿り着いた翌朝、本誌の電話インタビューに対して彼女は、「如何に強くて如何に頭の良い人でも、選挙のようなプロセスを進んでいく中、弱気にならないことなんて有り得ません。でも私にはそんなことはありませんでした。それは決して私が強いからではなく、私の後ろに良いチームの存在があったからです。」
彼女はこの時の勝因の一つについて次のように結んでいる。「少額募金は人民により近づくための方法なのです。…人民に対して頭を下げることは大切なことなのです。」彼女は勝利の後、民進党に出した一番目の指示は「謙虚であれ、謙虚であれ、そして更に謙虚であれ。」という一言だった。蔡英文は2000年に大陸委員に任命された時にようやくその人柄が広く知られるようになり、2016年には既に権力の頂点に登っている。政治界のスターの養成は、彼女の言うところの「苦難が人を育てる」、これ以外の何者でもないのであろう。
民進党も彼女によって変わった。蔡英文のオフィスのデスク上には中華民国の国旗が置かれ、これは昔からの支持者の意図に反しているように思われる。民進党の党中央委員会も主席の習慣に従い、皆が「北京語」で話すようになった。陳菊ですら、選挙立候補者のサポートでステージに上がる時には台湾語を少なめに話すようになった。蔡英文により、この党もまた品を上げたかのように思われる。
グリーン陣営(注:独立派はグリーン陣営、統一派はブルー陣営と呼ばれている)の支持者であり、かつ蔡英文の親友である風車文化教育基金の代表である李永豊は、「台湾人は情を重んじる。一人の女性が一つの政党を救うのを見て、感動しないだろうか。」と言う。一人の「か弱い」女性が、危機に瀕していた民進党のイメージと巧妙に重なり合い、却って支持者の共感や同情を激しく揺り起こしたのである。
品格を上げた民進党
彼女は話をするときは、今でも右手を挙げながる習慣がある、それはあたかも大学教授のようで、そして淡々とした口調で、時にはどもりつつ話す。毎回テレビの討論会の後には、グリーン陣営の支持者は彼女の成果を評価せず、1994年陳水扁が台北市長の時の討論会の動画を熱狂的にシェアし、古い想い出から慰めを見出しているかのようであった。それが今や勝利である。李永豊は台湾語の諺を用いて蔡英文を形容する。「バクチに勝った人は、何をどう言っても正しい。」味気もなく特徴もないと言われた蔡の話し方であったが、今や理性的で冷静と言われるようになった。
とは言え何はさておき男性主導の政治の世界である。蔡英文は時には男負けずの頑強な面を見せることもある。某党幹部によると、党内の天王と呼ばれる大幹部たちが敗北によりイライラとして人を叱りつける場面を多々見てきたが、蔡英文にはそのような一面を全く見たことがないと言う。2012年の総統選にて敗北した際にも、彼女は全く落ち込むこともなく、すぐに理性的に敗北の原因を振り返ったという。初めて党主席に就任し、大幹部たちは彼女に構わず、党内の長老たちがしばしば彼女を呼び出して「説教」したが、彼女は礼儀正しく恭しく話を最後まで聴くものの、長老たちの指示は全く受け入れなかったと言う。
男性よりも更に強く
ある時地方にて、とある大幹部の宗親会(注:同一の苗字の人たちで構成される組織)の地盤において、大幹部は興奮し、今度の総統を選ぶのは自分のようだと言った。蔡英文に順番が廻り、ステージに上がると彼女は一貫して温和な微笑みを保持しながら、リラックスした感じでステージの下の人たちに「この中で宗親会の人たちは何人いらっしゃるのですか?」と聞いた。挙手した人は多くなかった。つまり群衆が見に来たのは大幹部ではなく彼女であるという意味である。そして彼女はまた質問をした。「前回お邪魔した時には皆さん私を支持して下さると仰ったのに、どうしていらしてないのでしょうか。」まるで小さな女の子が先輩に甘えるかのようであった。そして静かに大幹部に敬意を表しながらも、この年に行われる予備選に十分力が入っていないと言った。優しさをもすべて強さの表現手段となっている。
蔡英文はしばしば自分を猫に喩える。「私の性格は、自分が飼っている猫の蔡阿才にそっくりで、阿才は食べ物の好き嫌いはないし、どこででも寝られる。」表面上彼女は自分が出遇ったものをそのまま受け入れることができると言っているようで、しかしもう一方で彼女は自分がどんな困難な環境でも生き続けることができるとも言っているのである。
商人の家の出身で、父親は多くの妻子をもち、その中で最も年少である蔡英文はしばしば兄弟たちの間で父親の指示を伝え、そして走り回っていた。小さい力で大きなものを得んとする技術は、こんな家庭環境で獲得したスキルであった。最も可愛い末娘が政治の世界に足を踏み入れることに父親は反対であった。ただただ学者になればいいと願っていたのである。「もし父が2007年にこの世を去っていなければ、現在の蔡英文はなかったでしょう。」
今のような高みに登り詰めても、彼女は「だからといって父は喜ばないでしょう。」話す。鉄の女も父親のことを語るに及んでようやく少しの感情を露わにするようである。立法院にて海千山千の議員たちと口舌戦を繰り広げる末娘の姿は、この父にとっては見慣れない姿であり、堪りかねて電話をしてきて「他人には少しの情をかけ、逃げ道を残してやるものだ。」と言ったこともある。末娘が脱いだ靴を揃えなかった時、父は何日も我慢し、そして突然物々しく蔡英文を呼び出して、靴を揃えさせた。「父はいつも黙って私を見ていて、そして突然厳かに何かを言いつけたものでした。」蔡英文と同様父も口数が少なく、この父と娘にとって最も温かい想い出は、一緒に静かにドライブしながら、そして時折他愛もないお喋りをすることだった。「人生経験をちょっとお喋りするの。例えば父は私に『他の連中が奪い合ってやろうとするようなことには、絶対手を出すな』なんて言ったわ。」
この人生で最も輝かしいときに、お父さんに対して何を言いたいかと問えば、彼女は一瞬も躊躇せず「私は父に謝りたい」と答える。父親は全くのゼロから起業し、一所懸命自分の家庭を守り抜いた。「私が選挙に出馬したために、家庭のことがメディアで何度となくとりあげられてしまい、本当に父に申し訳なく思う。」権力の頂点に登り詰めたリーダーも、父の目の映る姿は永遠に靴を脱いでも揃えない、話をするときには相手に少しの情もかけない小さな娘なのだろう。
党幹部が形容する蔡英文は「安定したスタイルで、間違いを余りおかさない。」誤りをおかさないために、彼女はテレビの弁論会でも三分目ぐらいしか話をしない。宋楚瑜が台湾のGDPが韓国を越え、シンガポールに追いつかせると語り、朱立倫が最低賃金の引き上げを話に出した時にも、蔡英文からは数値的な公約はまったくなかった。九二共識に話が至った時も、彼女はその存在の有無についてはコメントせず、「92年の会談は歴史上の事実である。しかしながら会談結果に対しては色々な解釈がある。」とのみコメントしている。
このようなコミュニケーションのスタイルは彼女の政見でも反映されており、彼女自身は当選後、自身らが最もコミュニケーションに優れた政府になると言っている。食品安全を強化する、青年層の住宅問題を解決する…、甘い蜜のような公約は、まるで宗教が語る聖地のようで、仰ぎ見ることはできても、どのようにそんなところへどうやって辿り着けるかは分からないものである。
彼女が勝利を収めることができたことは、単に個人の意志によって実現したことではなく、この時代の要求でもあった。元立法委員の林濁水は、「環境を客観的に見られるかがキーとなっていた」と分析する。国民党が壊滅的な敗北を被った原因は、国民が両岸政策の失望と、中国に対する不安感の両者が民進党への票に投影されたと林は考えている。今回の66%という投票率は台湾史上最低であるが、勝利の一つの大きな原因はブルー陣営の有権者たちが投票を棄権するという選択をしたことにある。
蔡英文からの民進党の改革は表面的なものに留まるかもしれない。陳水扁時代以来、民進党にはコア・バリューが欠如しており、その状況は今も変わっていないと林濁水は分析する。洪仲丘事件からひまわり学生運動に至るまで、民進党は社会運動の牽引者ではなく、フォロワーとなっている。「改革への足取りは時代力量の方が前を走っている」と林濁水は言う。
蔡英文は理想と実務の二つの面のバランスをとろうとしている。社会からの要求に追いつくために、民進党は比例区名簿に社会運動で活躍した人たちを大量に採用し、地方選挙では各界との協業を行い、過去の国民党陣営も面目喪失である。政治評論家の江春男はこれを評して、「イメージに問題がある人たちがこの党に押し寄せ、台湾を愛するとか、反国民党などという安っぽいスローガンを政治的見解として、民進党は日に日に国民党化していることは火を見るより明らかである」と言っている。
苦境から脱出したい箱の中の猫
2000年の政権交代以来、民進党は改革を訴えてきている。2008年、国民党も改革を訴えるようになった。2016年の投票前夜、蔡英文の口からもやはり改革という言葉が出てきた。15年の月日は流れたが、台湾人は一体どのような改革を求めているのであろうか。皆が一眠りし、目覚めた時に台湾が変わっていることを切望しているのか。一人ひとりがステージの前にいた史明のように、改革の希望をステージの上にいる人に託しては、たびたび失望するのであろうか。
香港のメディアがかつて台湾の苦境を喩えて言った。台湾は箱のなかに閉じ込められた一匹の猫である。箱の外には二つの力がある。アメリカと中国だ。二つの力が箱を揺さぶる。箱の中の猫はバランスをとらなければならない。300万票の大勝利を得た蔡英文にとって、栄光は災いに転じ得る。そして民意は水、船を浮かばせることも出来れば、反対に船を無情にも転覆させることもできる。彼女もまたあの箱の中の猫となった。箱の外の二つの大きな力は、台湾という島の中の日に日に台湾独立を求める若い世代と、客観的に見ても日に日に強大となっていく中国である。勝利は偶然ではないが、箱の中のバランスをうまくとっていくことこそが本当の試練であろう。
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