2020年1月6日月曜日

台湾映画『返校』



以下は2019年9月30日に書いたものです。

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僕が日本に出張に行っていた920日(金)、台湾映画の『返校』の上映が開始された。そして924日(火)に、公開3日(2022日)の興行収入が6770万台湾元(約23500万円)に達したとの報道があった。
台湾映画の興行収入を調べると、歴代第1位は『海角七号 君想う、国境の南』で5.3億元である。また甲子園の話で、僕にとっては映画出演のきっかけになった『KANO』は歴代第6位で、3.4億元とのこと。『返校』は興行開始の3日間で、『海角七号』の12.8%、『KANO』の19.9%の興行収入を達成したことになる。
台北にいる親友に即連絡し、26日(木)の夜には台北に戻るから、この映画を一緒に見に行こうと言った。27日(金)に親友から連絡があり、28日(土)に、彼の恋人やその友人の四人で一緒に見に行くようアレンジしてくれた。

『返校』は白色テロの台湾を舞台にしている。上記記事には1962年の台湾を舞台にしているとあるが、なぜ1962年という特定の年なのかは分からない。映画をもう一度見てみたい気がする。ただ、台湾の戒厳令は1947年から1987年まで40年間続いた。言い方を変えれば、戒厳令が解除されてから30年ちょっとしか経っていない。40代以上の台湾の人たちは、大体戒厳令下の記憶がある。
地理的には『返校』は、郊外で山際にあると思われる「翠華中學」を舞台としている。台湾では「中學」は日本の高校に相当する。「翠華中學」には秘密の読書会なるものがある。放課後に地下にある貯蔵室で、教師が少数の学生と禁書を読むのだ。
第二次世界大戦後の戒厳令における禁書というと、共産主義のものかと思われることが多いが、それだけではない。事実、映画の中で映し出された禁書は3冊あったが、すべて共産主義とは関係がない。『返校』での禁書は、ラビンドラナート・タゴールの『迷い鳥たち』、厨川白村の『苦悶の象徴』、ツルゲーネフの『父と子』である。
ご存じの方も多いかもしれないが、戒厳令下の台湾では日本の書籍、漫画、テレビ番組(ビデオを含む)はすべて禁止されていた。僕の台湾語の先生が言うには、当時近所に駄菓子屋兼雑貨屋さんがあった(このようなお店のことを台湾語では一般に「柑仔店」(がまでゃむ)と書く。本来は「𥴊仔店」(kám-á-tiàm)と書き、「𥴊仔」はザルの意味。「柑仔」(kam-á)は柑橘の意味だが類似音である)。そこに秘密の部屋があり、窓は黒い紙、壁には布が貼られていて、外に光や音が極力もれないようになっていたという。この外からは分からないようにされた秘密の部屋で、日本から持ち帰られたビデオカセットをこっそり見たという。
ちなみに僕の台湾語の先生(女性)のお気に入りは『暴れん坊将軍』だったらしい。

映画で登場する3冊の禁書のうちの1冊も日本のものである。しかし、厨川白村(くりやがわ はくそん)については、恥ずかしい話だが僕は全く知らなかった。インターネットで調べると、厨川白村は夏目漱石の『虞美人草』の登場人物のモデルであった人らしい。
彼の著作については、amazon.co.jpで検索してもヒットせず、青空文庫でもない。国会図書館デジタルにて読めるくらいである。
一方で、現代の台湾では普通に魯迅訳の厨川白村が売られているようである。

言うに及ばず禁書の読書会は危険である。読書会自体が見つかれば大変なことになることは言うに及ばず、禁書を所持しているだけで非常に危険である。
『返校』では「翠華中學」の登校シーンから始まる。校門から少し入ったところに、生活指導の先生みたいな人がいて、生徒たちはその人の横を通って校舎に入っていく。そのうち挙動不審の生徒の一人が捕まり、かばんを開けて見せるように言われる。一見すると一昔前の日本でもあるようなシーンであるが、意味合いは随分と違う。
この生活指導の先生みたいな人は、台湾では一般に「教官」(jiao4 guan1)と呼ばれている。日本でいう教官は、学校や研究機関で教育に携わる人であったり、より広義には、特殊な技術を教える人たち、例えば自動車学校だったり、昔の日本のドラマであれば、スチュワーデス(今でいうCA)のトレーニングセンターの先生も教官である。
台湾の「教官」の意味合いは大きく異る。一般に台湾での「教官」は「軍訓教官」の略称である。すなわち、台湾の教官は軍人である。台湾の高校、大学には軍人である教官がいる。(更に高校生や大学生をインターンや研修生として受け入れる企業の一部にも、教官を設置している場合がある。)教官の役割は、校内の安全と秩序を守り、学生さんたちに秩序正しい生活を送るよう指導することである。ここまでは生活指導の先生と同じである。ただし台湾の高校、中学では簡単ながらも一部軍事訓練や活動を行っているようで、それを主催するのもこの教官の役割である。
戒厳令下の白色テロ時代においては、軍=国民党政府で、教官はかなりの権力をもっていた。そんな教官に禁書の所持がバレてしまえば、本人どころか一族郎党国民党から酷い目に合わせられるのは明らかである。

そんなオープニングシーンの後は、主人公である女子高校生の悪夢の内容に入る。普通に見ていると、いわゆる学園ホラー映画と余り相違が無い。ただ出てくるモンスターは反共のスローガンを唱えている他、もう一つ白色テロ時代の台湾だと思ったのは、「防空壕」へ人を探しに行くシーンがあることである。戒厳令下にあり、反共反攻大陸を謳った国民党政府の支配の下で、台湾では多くの建築物に防空避難設備の設置が義務付けられたのである。学校や病院や大きなオフィスビルはもちろん、三階建て以上のアパートにも全てである。
これは余談になるが、昔居酒屋をやっていた時、その古いビルには使われていない地下室があり、入り口に「防空避難設備」というステッカーが貼ってあった。最近、その地下室がバーとしてオープンしたのだが、たまたまかもしれないが、なるほど防空壕のような雰囲気であった。台湾では、スイスのように核シェルターをたくさん作ることも可能かもしれないと思った。
ちなみに今もなおその法規は廃止されておらず、台湾で三階以上の大きな建物を建てるときには注意が必要である。

『返校』のクライマックスの画面では、
「事情都過去了,就當一切沒發現過,不好嗎?」
(もう過ぎてしまったことだ。何も起こらなかったこととしよう。それでよいではないか。)
という声が「翠華中學」の講堂で響く。これは言うまでもなく、台湾の人の歴史に対する警告の声に聞こえる。
戦後直後の戒厳令をくぐり抜けてきた台湾人の親の世代は、政治に口を出したら酷い目に遭う、見ざる聞かざる言わざるを花とし、そう子供に教えてきた。現台北市長柯文哲も立候補の際に、彼の母親は政治は危険だからやめてくれと涙を流したと言う。彼の祖父も228事件の被害者である。
これに反して、20代から30代の戒厳令の経験のない若者には恐れはない。白色テロ時代の台湾の歴史をどんどん勉強し、いろいろな場所で堂々と議論するようになったのは勇気ある若者に負うところが大きい。
これからも台湾の人々にはどんどん歴史を大切にして欲しいと思うし、僕自身も勉強していかなければならないと改めて思った。

さて、『返校』のラストシーンでは時代が過ぎて、準主人公の男子高校生は甲谷よりも更に年上のおじさんになっている。「翠華中學」は取り壊され、大きなマンションが建設されることになった。準主人公は「翠華中學」に入り、秘密の場所から隠された禁書を取り出し、そこに挟まれた教師から女子生徒への手紙を開く。その最後の行には「致自由」(自由のために)と書かれていた。
返校』は台湾では920日に上映されたが、香港では元々1017日に上映予定であったものが、本映画のデータが突然消しされるという事件が起き、上映が125日に延期されることになった。今後も色々な妨害があると思うが、香港の「自由のために」奮闘する人たちに、是非この映画を見てもらえることを強く願っている。

この文章を書いている時に、『返校』が1週間の興行収入が1.3億を越えたというニュースがあった。たった一週間で、『海角七号』の約4分の1、『KANO』の4割近くを達成したことになる。親友とそのことを話すと、『返校』は親子で見られる内容であるところが、売上を伸ばしている大きな理由らしい。「子供が普通に見ると、ただの学園ホラー映画と勘違いするかもしれないから、親がきちんと背景にある台湾の歴史を教えるといいよね。」と言うと、「そうね、うちの家庭は割とよく話すんだけどね。」という答えが返ってきた。『返校』によって、歴史の話をする台湾の家庭がもっと増えればよいとも思った。
台北市政府、新北市政府、基隆市政府は、930日(月)は台風休みを宣言した。台湾では台風が直撃すれば、休みになる。通勤通学難民みたいな人は発生しない。台風休みの日には、皆おとなしく家でテレビを見るか、こっそり近所の映画館やカラオケに行くことが台湾人の楽しみのようである。また『返校』の売上が伸びるかもしれない。

2019930日 台北の自宅にて

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起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。