2010年4月20日火曜日

『台湾人生』



『台湾人生』というドキュメンタリー映画をご覧になられたことはありますか。

私の方では、日本では3月26日に発売されたDVDを実家の父に入手しておいてもらい、つい最近ようやく見終わったところです。

もし台湾に興味があり、まだご覧になられていないようでしたら、是非強くお薦めしたい映画です。

(そして、日本の総理大臣をはじめとする日本の政治家の方々にも見て頂きたいです。)

この映画は、日本統治時代から現在の台湾に生きる5人の人たちへのインタビューと彼らの生活の描写によって構成されています。

これら5人の方々の話を聞いてまず思ったことは、我々は自虐的歴史観は絶対に捨てるべきだということです。

差別ややや行き過ぎの厳しさというものがあったにせよ、この5人の方々は日本の統治について全体的に高く評価しています。

(詳しい内容については映画を見て下さいね。)

次に感じたことは、敗戦前後での日本の教育や外交における一貫性のなさは、余りに奇異であるということです。

例えば教育について言えば、敗戦後米国から強制されたところは大いにあるにせよ、本当に敗戦前の教育の良かったところ悪かったところをきちんと取捨選択して敗戦後の教育制度をつくったかは大いに疑問があります。

少なくともこの五人の大部分の方々が口を揃えて、日本の教育が後の台湾の発展の基盤をつくったと仰られています。

外交にしても、敗戦までの日本は試行錯誤で悪いこともしたとはいえ、かなりのリソースを投入して台湾を発展させるように努力し、そして人と人との絆を築いてきました。

しかし敗戦後は、台湾の領有権を放棄したとは言え、日本政府は台湾に対して無関心を通しています。

この映画の中での「なぜ日本は我々を捨てたんだ」という声が、今も私の心の中で響いています。

最後に、当時の教育、国家に対する情熱、そして自分自身の人生へ向かう姿勢などについて、かつて日本人だった台湾人の方々が話される言葉と、今の日本人との間に余りに深いギャップがあると感じずにはいられません。

「国のために戦争に行った」、「支那を気にして靖国神社に参拝しないのは情けない」とかつて日本人だった台湾の人々は声を高々に話しをされる場面があります。

この場面を見られた日本人は、それをどのように感じられるのでしょうか。

これら台湾の人たちは「敗戦前の軍国教育の被害者で憐れむべき人」、はたまた日本で言えば「偏向右翼思想の持ち主」なのでしょうか。

私は想像するのです。

もしそんな言葉をこれらのかつて日本人だった人たちに投げるならば、こう答えられるのではないかと。

「グローバルとかという言葉に踊らされて、国という概念もなく、日本人だという自己認識もなく、迷い続ける今の日本人の方がよっぽど憐れで、情けなくて、全く何も考えとらんじゃないか。」

追記: 『台湾人生』の公式サイトはこちらです http://www.taiwan-jinsei.com/work.html

✽✽✻

8 件のコメント:

  1. この映画、私も見ました。広告を見て、一台湾好きとしてどうしても見たくて、丁度夏休みをとれる時期だったせいもあり、日本まで帰国して見にいきましたよ。熱い映画でしたね。とくに日本兵として終戦を迎えたことを知らずに戦い続けて、後に発見された人物の話などは胸に強く残っています。

    時代はちょっとずれますが、星新一氏が書いた自身の父親・星一氏に関する話を読み、後藤新平氏に興味を持っています。日本に帰国した際には、関連する本を色々と読みあさりたいと思っています。

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  2. RIOさん、コメントどうも有難うございます。

    インドネシアで発見された方は、スニヨン(中村輝夫)さんですね。佐藤愛子さんの書かれた『スニヨンの一生』を読みたいとおもいつつ、今をもって実現していません。

    日本の台湾統治時代には後藤さん、児玉さん、新渡戸さんと当時の日本政府のエース級の方々が、台湾の行政に関わっていたことは本当に凄いことだと思います。

    司馬遼太郎さんの台湾紀行でもこの三人について記述しているくだりがありますが、私は台湾紀行の中でもとりわけこの部分が好きです。

    今の日本の政治家とはエライ違いですね。。。

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  3. スニヨンさんという名前でしたか。リサーチ不足でしたが、色々と書物も出ているようですね。帰国後はだいぶ不遇な生活だったようですね・・・。機会があれば読んでみたいです。

    そういえば何年か前に烏来にある高砂義勇隊碑が話題になっていましたね・・。2001年にまだ台湾に行ったばかりで何も知らなかった頃、日本から来た友人と烏来に行き、石碑を拝見した記憶があります。石碑の名称は覚えていないのですが、日本から台湾に来て、祖国を踏むことなく亡くなった人達の鎮魂のため云々と書かれていたと記憶しています。また日本の在郷軍人会的な組織から送られた、さざれ石も置いてありました。記憶が正しければ、多分別の石碑の事だと思うんですが・・。

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  4. 再度コメント頂きまして有難うございます。

    スニヨンさんについては司馬さんの台湾紀行にも記述があり、こちらも大変興味深いものです。

    …故郷に帰ってからのかれが、郷党のひとびとに愛されて、「毎日を愉快に過ごしていた」(中略)かれは花蓮の街に行ってショーのようなものにも出たし、映画にも出演した。…

    『台湾人生』によると政府からの援助問題で苦労したようですが、台湾の人々、特に原住民の方々の人情を考えると、故郷の家族や一族の人々と楽しく過ごされた説に賛成しますし、そうであったと願って止みません。

    烏来の高砂義勇碑の訴訟に結果が出たのは去年です。
    http://www.ritouki.jp/news/takasago.html

    さざれ石は台湾では東方国際大学と烏来の高砂義勇碑前の二箇所にあります。

    日本から台湾に来て祖国の土を踏むことなく亡くなられた人たちの鎮魂の石碑は、ちょっと分からないですね。

    ただ、台湾で亡くなられて神様として祀られている日本人の廟は幾つかあります。

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  5. 祖国云々の石碑はさざれ石の隣にありました。うろ覚えなんですが、祖国の地を踏むことが出来なかったという明記があったように記憶しています・・・。でももしかしたら高砂義勇碑の事かもしれませんね・・。

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  6. 別の方のブログにですが、写真がありました。

    http://blogs.yahoo.co.jp/chibanittai/1984840.html

    私自身も是非烏来に見に行きたいと思っていますが、中々実現しないですね……。

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  7. 烏来に友人と行ったときと比べるとずいぶん洗練されたように見受けられますね・・。2001年当時、烏来に着いた後、トロッコに乗った後に友人と歩いているときにちょっとした横にそれる道があって、何となくそっちに行ったんですよね。そこには犬が一匹居て、我々を視認するとちょっと奥に行き、こっちを見てるんですよ。。犬に呼ばれてるよ!と友人と冗談めかして話しながら、何度かそのような(犬がこっちを見る、奥に行く、我々もついていく)という遣り取りをした後、さざれ石や石碑にたどり着いたんですよ。なんかすごく不思議でした。そんな事を写真を見ていたら思い出しました・・。

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  8. 犬の話は本当に不思議で、そして面白いですね。

    私もそこへ行く機会があれば、是非その犬がまだいないか探してみます。

    また、台湾は景気がどうの言っているわりに、こと台北と近郊では常に大掛かりな建設工事をやっていて、変化が激しいですね。

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。