(前回からの続き)
この民家はパッと見は全く普通の家なのですが、入ると隠れた部屋があり、窓にはすべて内側から黒い紙が貼ってあります。
しばらくすると、彼女と多桑以外にも沢山の人が集まり、電気が消されると、突然映画が始まりました。
この映画は多桑やおじいちゃんが話す言葉と同じ言葉で、その日に見た映画は、悪い人が出てきて弱い人をいじめるのですが、そこに目の見えないちょっと太った剣士が出てきて、弱い人達を救うというものです。
彼女はそれからもちょくちょく多桑に連れられて、この窓に黒い紙が貼られた家、あるいは別の家の地下室で日本語の映画を見たりしました。
他に記憶に残っている映画は、変な髪型をした子供を連れた剣士が悪人をやっつけるというものです。
多桑は教えてくれなかったけれども、彼女はこうして剣で斬り合う日本映画を「チャンバラ」と呼ぶということを学んだのです。
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どうやら70年代までの台湾では、日本語が厳しく禁止される裏で、警察に隠れてこっそりと日本映画を楽しむという娯楽習慣があったようです。
私が友人たちから聞く限り、彼らが子供の頃に見た「チャンバラ」映画は、『座頭市』や『子連れ狼』が多かったようです。
さて、物語はこれで終わったわけではありません。
次回は80年代にこの習慣がどのように変容していったかをお話したいと思います。
(続く)
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