2010年7月11日日曜日

台湾の北京語の中の日本語の話 6~ チャンバラ 3

(前回からの続き)

80年代に入ると、この流れにひとつの変化がおきます。

それはビデオデッキの出現です。

ビデオデッキが出現したことにより、このような『闇日本映画鑑賞所』が一気に増えました。

それはビデオデッキをもつ一般の民家の地下室であったり、『ガマデャム』と呼ばれる日本でいう雑貨屋と駄菓子屋が一緒になったお店の隠れた部屋であったようです。

更には日本への旅行は当時一般の台湾人には禁止されていたのですが、商用等で日本へ行く人がこっそりとビデオテープを持ち帰ってきたため、ソフト面もかなり充実したようです。

こうして時代劇については座頭市や子連れ狼だけでなく、水戸黄門や遠山の金さんに拡大し、孫と「じいちゃんも戦争に行ったんだぞー」と自慢しながら戦争映画を見たり、黒澤や小津の映画も隠れて普及していったようです。

意外なところはプロレスやドリフターズの番組も人気があったようです。

『チャンバラ』、『変なおじさん』という言葉を台湾人が知っているのはこの時代の名残です。

当時の台湾ではチャンネルは3つしかなく、四六時中愛国番組、反共云々ばかりで、これに辟易する台湾人にとって『闇ビデオ鑑賞所』はよい娯楽の場所であったに違いありません。

こうして1945年から国民党政府の統治下の下日本語は禁止されていたにもかかわらず、台湾の地下で日本語は生き続け、1987年に戒厳令が解除させれた後、1993年に日本語放送が解禁を迎えました。

今でも台湾のケーブルテレビでは、4つ日本語のチャンネルがあり、日本語は台湾の人々の中で生き続けています。

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起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。