台湾大学EMBAの5月の炉端会が開催されました。
今回は台湾プラスチック(通称「台プラ」)の先輩より、台プラの接待所に招待して頂きました。
台プラグループは、プラスチックだけではなく、DRAM、マザーボード、病院等色々な企業を傘下にもつ、台湾でも最も大きな企業集団の一つです。
台プラの接待所の名物は「台プラ ステーキ」です(中国語は「台塑牛排」)。
一頭の牛から6切れしか取れない部位を使って、1時間半弱火で焼き、その後また120度の高温で焼いてようやく出来上がり、という独特のステーキです。
外では台プラグループが経営する「王品」というお店で頂くことができます。
台プラの接待所は外国人の訪問者も多いため、お客に応じて色々な国の料理が準備されているとのことです。
なんだか『大使館の料理人』みたいですね。
実際、本日は私がいたためか、2品和風の料理も出てきました。
(台湾で初めて「もろみ味噌」にお目にかかり、感動しました。)
✤
さて、台プラの創始者といえば王永慶さんと呼ばれるカリスマ経営者で、「台湾の経営の父」と呼ばれています。
この会食では、台プラのアシスタントバイスプレジデントである先輩は、会食の間、淡々と一般に公開されていない王永慶の経営理念、人となりや色々なエピソード等を話されました。
参加者は当然王永慶さんのことは知っていますし、中には王永慶さんの同級生がいて(王永慶は台湾大学EMBAの第一期生)、ずっと彼の話に耳を傾けます。
一般のレストランとは違い、元々静かな台プラの接待所がより一層静かに感じられました。
気がつくと、彼は恐らく2時間近く話されたと思います。
この先輩が台プラにいる時間は8年そこそこで、恐らく王永慶さんに接していらした期間はほんの短い期間であったと思います。
その彼をして王永慶さんのことを2時間も語らしめるということは、王永慶さんのリーダーシップたるや相当強烈なものであったに違いありません。
王永慶さんはつい最近2008年に91歳でお亡くなりになられる直前までご活躍されていました。
王永慶さんを「台湾の松下幸之助」と呼ぶ人もいるようですが、最近の日本には彼のようなリーダーシップをもつ人はいないように感じます。
少々皮肉に感じるのは、彼は1917年(大正6年)の生まれで、苦学の上に15歳の1932年(昭和7年)に小学校を卒業していますが、この期間は日本統治時代にあたります。
そして、王永慶さんだけではなく、新光グループ(三越の合弁相手)の創立者である呉火獅、その他多くの台湾を代表する経営者が日本統治時代の小学校のみを卒業し、その後実業界で活躍しているのです。
台湾の経営者たちは、当時の日本の教育から一体何を学び取ったのでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿