2010年5月7日金曜日

台湾大学EMBA先修課にて

いきなりですがクイズです。下記の中国語は何の意味でしょう。すべて財務諸表とその簡単な分析に関係しています。

1.銷貨 2.成本 3.毛利 4.浄利 5.盈餘(餘=余の旧字体) 6.應收帳款(應=応の旧字体) 7.呆帳 8.折舊(舊=旧の旧字体) 9.商譽(譽=誉の旧字体) 10.攤銷 11.資産報酬率 12.槓桿

正解は次の通りです。

1.売上 2.原価 3.粗利益 4.(純)利益 5.利益(英語でEarningに相応) 6.売掛金 7.貸し倒れ 8.(固定資産の)減価償却 9.のれん 10.(無形資産の)減価償却 11.総資産利益率(ROA) 12.レバレッジ 

同じ漢字の国とは言え、随分と違うもので面白いですよね。

台湾大学EMBAでは、一般の企業の部長さんクラスからトップまで、そしてお医者さん、弁護士さん、会計士さん、はたまた航空会社の女性パイロット兼デザイナーという方までさまざまなバックグラウンドの方がいらっしゃいます。

そこで正式なクラスが始まる前に「先修課」と呼ばれる準備クラスが開催されます。

この準備クラスでは、経済学、会計学、ケーススタディの基礎を学びます。

昨晩は会計学の最後のクラスがあり、経済学と会計学の2つのクラスが完了しました。

私は大学で会計を勉強したことはありませんでしたが、1988年に前の会社に入るとすぐに会計の勉強をしました(勉強をさせられた、と言った方が適切かもしれませんね)。

そして、アメリカでも、中国でも、台湾でもずっと会計周りを含む業務プロセスの改善やERP(統合業務パッケージソフトウェア)の導入プロジェクトに従事させて頂きました。

ここ半年強は、とある企業のmanagement acumen (経営センス)の研修で講師を務めさせて頂き、財務諸表の読み方について話をしています。

その意味で会計については曲がりなりにも一通りの知識や経験があったつもりです。

しかし、自分のこれまで経験や今の会社や仕事のことなどを考えながら、会計学の最前線にいらっしゃる教授の講義を聴き、ディスカッションすると、若いときとは異なる色々な新しい学びや、今後の仕事に対するヒントがあり、新鮮な経験となったのです。

更に私にとって重要なことは、このような学びの流れの中において、改めて人生継続して学んでいくことの大切さを感じ、以前の会社を辞めて、仲間と起業すると同時に大学院生になる、という自分の決断は正しかったと確信したのでした。

「学び」ということで、もうひとつは堅めの話で恐縮ですが、ふと論語の冒頭の一句を思い出しました。

学而時習之。之亦悦乎。

中学か高校の漢文のクラスでは、「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや。」と読んでいたかと思います。

意味については、「学んで時々これを思い出しては復習するということは、なんと嬉しいことではないか。」と習っていました(最近記憶力がとみに低下しているのですが、少なくとも私の高校ではそうだったと思います)。

しかし、最近色々な本を読んだりしながら、「学びて時習(じしゅう)す」が正しい読み方ではないかと思うようになりました。

『時習』の意味については、一つは(孔子門下の)仲間内での定期的・定例のディスカッションのこと、そしてもう一つは、時代、時勢、現状というものに当てはめながら学問をしていくという二つの説があるようです。

この二つの学習のアプローチは、一人で時々ノートを開いて復習するよりもずっと大切で、本当の意味での学ぶことではないでしょうか。

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4 件のコメント:

  1. 私は学ぶことで偉そうなことを言える立場ではありませんが、年を重ねる毎に、考えは変化しますね(勿論、変化しないものもありますよ)。例えば、昔読んだ本を読み返してみても、昔読んだ時と全く違った感想をもつことがあります。また、自分の考えを仲間内で話をすることにより、新たな発見があります。だから、質の高い仲間のネットワークに自分を置くことは、人生でかなり重要なことではないかと思うのです。

    「時習」は様々な意味を含んでいるのでしょうね。学ぶは「仮説」であり、「検証」しなさいと言っているのかも知れません。つまり、検証は復習であり仲間と議論したりすることだと。

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  2. コメント有難うございます。

    私も最近昔読んだ本を今読み返すと、前に読んだときには全然分かっていなかったと一人で赤面したり、また、仲間の中でディスカッションすれば、自分ひとりで考えていた時の思考はまだまだ浅かったと反省させられたりします。

    「仮説」vs.「検証」も非常に大切ですよね。物事が複雑であればあるほど、スパッとソリューションが出てくるケースはどんどん少なくなっていくと思います。色々な形の検証が重要になってきていると思います。

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  3. 「学而時習之、不亦説乎」の続きは、「有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎」ですよね?

    私の勝手な解釈は、ディスカッションする仲間が来る、また楽しからずや、、、ではないかと。だから、質の高い仲間のネットワークに身を置くことが大事だと。

    最後は、自己満足、または、痩我慢(福沢諭吉が言うところの独立自尊や私立)のことではないかと。ちょっとこじつけですかね?

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  4. 仰られるとおりだと思います。

    おこがましいですが、私が敢えて追加させて頂くならば、有朋自遠方来の「遠方」がポイントではないかと。

    ディスカッションする仲間は、自分の身の回りにいる人だけではなく、異なる職業、異なる地位、更には異なる国にいて、時々訪れてくれて、ディスカッションをする、なんと楽しいことではないか。

    有朋自遠方来…の部分は、福沢さんの仰られているところの交際の話にも通じるのではないかと。こちらの方がこじつけでしょうかね。

    人不知…は、まさにself-esteemであり、自尊のこと、更には福沢さんの仰られる瘠我慢に他ならないと思います。

    福沢さん、すごい人ですね。

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。