2010年5月28日金曜日

犯罪証明書をとる話

唐突ですが、4月半ばに交流協会(大使館のようなところ)へ行って、この犯罪証明書の申請をしました。

申請時には簡単なフォームを書き込むと、交流協会の隅の少々薄暗い小部屋へ通されて、ハンコスタンプのお化けのようなものを渡され、交流協会の職員らしきオニイチャンがややたどたどしい日本語で「し、しもんをとる、れ、れんしゅうをしぃてください」と言い渡されました。

しかもこのオニイチャン、台湾人にしてはかなり静かで、私の考えすぎかもしれませんが、表情に陰りがあるようにも見えます。

指紋を取る時には、指にインクをつけた後に単に上から紙に向かって押すのではなく、指を左側から正面、そして右側へぐるりと回して全体をとります。

力を均一に入れながら指を回さなければ、綺麗に指紋が取れません。

そこで、このちょっと薄暗い狭い部屋で、オニイチャンが見守る中、何度か練習をするのです。

そしてこのオニイチャンが満足いく結果が出るのを待って、やっと本番に入ります。

本番では10本の指の指紋を1つ1つの指紋、右手左手それぞれ5本の指を揃えた指紋など、色々な指紋をとります。

しかも、なんでも私の指が乾燥しているとのことで、指によっては取り直しを何回か取り直しをしました。

このように長時間、あたかも犯罪者のような扱いを受けたせいか(大袈裟かな)、犯罪歴がない私ですが(あったら大変だ)、犯罪申請書の発行を待つ間はなぜか毎日ドキドキしたのでした。

・・・こうしてしばらくドキドキする毎日を過ごし、更にはそれも忘れて、しかも徹夜明けのときに、突如交流協会から電話が来ました。

「犯罪証明書ができました。取りに来てくださいね。」

今日交流協会の近くで用事があったので、ついでに犯罪証明書を取りに行きました。

交流協会の窓口のお姉さんが封をする前に中身を見せてくれたのですが、見事、犯罪歴は真っ白でした。

あー、よ、よかった!

アタリマエのことに不思議なくらい喜びを感じた一瞬でした(笑)。

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2010年5月27日木曜日

台湾大学院受験奮闘記 9 ~ 認証事件処理

台湾への留学に興味がある方々へのご参考のため、引き続き昨年大学院受験の際に書いていました日記をご紹介したいと思います。

認証事件処理(2009年10月19日)

翌日VICKYが息切れ気味の声で電話をかけてきました。

「結論は、在米台湾公館での認証が必要。政治大学のEMBA事務局と話しても埒が明かないので、政治大学の教務處に連絡してようやく分かったわ!」

政治大学のEMBAの事務所は本当に外国人慣れしていないようで、しかもIMBAInternational MBA)の事務所との連携もまずいようです。

「ありがとう。じゃあ今晩早速在米台湾公館に連絡して手続きを進めるよ。」

早速夜またまたアメリカに電話をかけます。

今はSkypeがあるので、あまり国際電話の電話料金を心配しなくて良いのは助かりますね。

アメリカでの台湾公館は『台北経済文化辨事處』というようで、そこのニューヨーク事務所に連絡しました。

成績証明書の認証の担当者につながり、英語で話すと

「落ち着いて、中国語で話しても大丈夫ですよ。」

と言われてしまい、出鼻をくじかれました・・・。

ごくごく最近アメリカの大学の後輩にも

「お前の英語はどーってことないけど、中国語は何故かうまい。」

と褒められているのか、貶されているのか、全く分からないようなことを言われてショックを受けたばかりでした・・・。

私自身、最近中国語と英語のどちらが得意なのかよく分からなくなってきているのも事実です。ということは結局どちらも中途半端だと言うことですね。。。

さて、出鼻はくじかれたものの、この担当の方は親切で、手続きについて非常に懇切丁寧に教えてくれました。

必要なものは下記の通りです。

1. 封をしてある成績証明証。

2. ディプロマのコピー。裏に「本コピーは正本と相違がありません」との文言を書き、かつサインが必要。

3. 認証申請書(台北経済文化辨事處のウェブサイトからフォームをダウンロードし、これに記入する、下が私の作成したものです)。

4. 米ドル建て Money Order (米ドル建てであればどの銀行のものでも良い)。認証手数料は1文書につき15ドル。返送費が18ドル。

5. 居留証のコピー。

6. パスポートのコピー。ただし、日本の外務省または在外公館で認証を受け、更に台湾の外交部から認証を受けること。

(次回へ続く)

2010年5月26日水曜日

台湾会社設立物語 8 ~ 新会社設立登記完了!

台湾における起業や新会社の設立に興味がある方々へのご参考のため、昨年会社設立の際に書いていました日記をご紹介したいと思います。

新会社設立登記完了! (2009年5月20日)

来週から日本へ出張となるため、昨日念のため呉小姐に問題がないか問い合わせると、

「もう営業許可が発行されていて、近々郵送されてくるはず。何も心配せずに日本へいらしてください。けど豚インフルエンザには気をつけて。」

とのことでした。

本日夜はアメリカの大学の後輩と13年ぶりに再会し、少々へべれけで家に戻りつつポストを開けると、おや、台北市商業處から郵便がありました。

白地に赤字で色々書いてある封筒には、やや違和感がありますが、そんなことは気にせずに即開封すると会社の設立許可でした!

↑クリックすると拡大します。)

これで新会社の設立登記が無事完了です!!!

次のステップの輸出入貿易カードや統一發票の取得に移ります。

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2010年5月25日火曜日

個人所得税申告完了!

以前に個人所得税の申告(日本でいう確定申告)の話をしました。

(前回の話はこちら→http://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2010/05/blog-post_03.html

その後、これまた色々とトラブルがありました。。。

1つ目は、旅行から帰ってきた大家さんから家賃は控除できないとの話があり、色々と議論はあったのですが、結局諦めざるを得ませんでした。

2つ目は、日本の保険会社が年度末に発行した保険料支払証明書には、「被保険者の名前がないからダメ!」と国税局から突き返されました。

これについては、保険契約書のコピーを添付することでOKをもらいました。(ほっ。)

3つ目は、台北日本人会を通じて行った寄付金の領収書について国税局から意見があり、会計士さんと台北日本人会を何度か行ったり来たりするはめになりました。

主な原因は、通常台湾で寄付金集めをする団体・組織は、国税局に対して登録番号をもっているのですが、台北日本人会はそれをもっていません。

結果として、単に私が台北日本人会からもらった領収書を提出するだけでは不可で、台北日本人会が台湾政府からもらった領収書や、寄付金額の個人別明細表まで求められたのでした。

やれやれ台湾の国税局さんも厳しいです!

さて、なんやかんとありながらも納税申告書もようやく完成しました。

1枚目ですが、上に自分の個人情報(各種ID番号、氏名、住所、電話番号等)を記入し、真ん中に所得をリストアップします。

私の場合、台湾の給与、日本の給与、そして台湾の銀行からの受取利息がこれに該当します。

(↑クリックすると拡大表示します。)

2枚目ですが、まず配偶者があれば、配偶者の所得明細を上に記載します。

真ん中には、控除項目(寄付金、保険料、医療費、住宅ローン、家賃等)を列挙します。

色々と苦労した割に、出来上がってみると単純なものですね。。。

この申告書をもって、国税局へ行く前に銀行で税金の支払いをして領収書をもらいます。

ここでは自分が使っている外資系の銀行では税金の支払が出来ないことが判明、34度の炎天下の下、台湾のローカルバンクへ銀行をはしごするハメになるのでした。あいややや。

来年はこの苦労をいかすためにも、会計士さんに頼まずに自分でやってみようと決意するのでした!

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2010年5月24日月曜日

台プラ ステーキ

台湾大学EMBAの5月の炉端会が開催されました。

今回は台湾プラスチック(通称「台プラ」)の先輩より、台プラの接待所に招待して頂きました。

台プラグループは、プラスチックだけではなく、DRAM、マザーボード、病院等色々な企業を傘下にもつ、台湾でも最も大きな企業集団の一つです。

台プラの接待所の名物は「台プラ ステーキ」です(中国語は「台塑牛排」)。

一頭の牛から6切れしか取れない部位を使って、1時間半弱火で焼き、その後また120度の高温で焼いてようやく出来上がり、という独特のステーキです。

外では台プラグループが経営する「王品」というお店で頂くことができます。

台プラの接待所は外国人の訪問者も多いため、お客に応じて色々な国の料理が準備されているとのことです。

なんだか『大使館の料理人』みたいですね。

実際、本日は私がいたためか、2品和風の料理も出てきました。

(台湾で初めて「もろみ味噌」にお目にかかり、感動しました。)

さて、台プラの創始者といえば王永慶さんと呼ばれるカリスマ経営者で、「台湾の経営の父」と呼ばれています。

この会食では、台プラのアシスタントバイスプレジデントである先輩は、会食の間、淡々と一般に公開されていない王永慶の経営理念、人となりや色々なエピソード等を話されました。

参加者は当然王永慶さんのことは知っていますし、中には王永慶さんの同級生がいて(王永慶は台湾大学EMBAの第一期生)、ずっと彼の話に耳を傾けます。

一般のレストランとは違い、元々静かな台プラの接待所がより一層静かに感じられました。

気がつくと、彼は恐らく2時間近く話されたと思います。

この先輩が台プラにいる時間は8年そこそこで、恐らく王永慶さんに接していらした期間はほんの短い期間であったと思います。

その彼をして王永慶さんのことを2時間も語らしめるということは、王永慶さんのリーダーシップたるや相当強烈なものであったに違いありません。

王永慶さんはつい最近2008年に91歳でお亡くなりになられる直前までご活躍されていました。

王永慶さんを「台湾の松下幸之助」と呼ぶ人もいるようですが、最近の日本には彼のようなリーダーシップをもつ人はいないように感じます。

少々皮肉に感じるのは、彼は1917年(大正6年)の生まれで、苦学の上に15歳の1932年(昭和7年)に小学校を卒業していますが、この期間は日本統治時代にあたります。

そして、王永慶さんだけではなく、新光グループ(三越の合弁相手)の創立者である呉火獅、その他多くの台湾を代表する経営者が日本統治時代の小学校のみを卒業し、その後実業界で活躍しているのです。

台湾の経営者たちは、当時の日本の教育から一体何を学び取ったのでしょうか。

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2010年5月23日日曜日

友人の結婚式で

アメリカの大学時代の後輩M君が遂に結婚しました。

3年前に私がクライアントを連れてアメリカに出張したときに、テキサスからの帰り道、フライトの遅れによりLAの空港で足止めを食らいました。

そのときに卒業以来10年以上会っていないにもかかわらず、電話をすると彼ともう1人の後輩が空港まで迎えに来てくれてマンハッタンビーチを案内してくれました。

クライアントも2人の後輩も台湾人で、マンハッタンビーチのカフェで北京語と台湾語でお喋りし、なんだか変な気もしたのですが、楽しい時間を過ごしました。

その後M君は台湾で某日系企業F社に勤める女性と知り合い、LAから台湾へ帰省するときには、彼女や他の台湾にいる後輩と私と一緒にちょこちょこ会ったものです。

今回M君の挙式は、桃園(台北国際空港があり、日本で言えば千葉のようなところです)で行われ、料理はすべて精進で、かつ参加者は700人以上と台北とは異なる趣のもので、私自身楽しまさせれました。

さて、日本語では「郷に入っては郷に従え」、中国語では「入郷隨俗」と言いますが、私自身敢えてそうしないことが1つあります。

それは台湾の結婚式でも、中華特有の真っ赤な袋を使わずに、故郷金沢の「津田水引」さんで買った祝儀袋を使うことです。

「津田」さんは金沢で100年以上も続く加賀水引の名店で、ここの水引や封筒はやはり伝統に裏打ちされた美しさがあります。

はじめはなんとなく恐る恐る使ってみたのですが、「あの水引はずっととってあるよ」「私が結婚したときも是非」等台湾でもかなり好評なので、今や習慣となっています。

自己満足かもしれませんが、自分が誇りに思って、そして外国の人にも気に入ってもらえる伝統をもつ故郷があることは幸せなことですね。

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2010年5月22日土曜日

やはり恐るべし台湾の出し物

(注:本写真は筆者の個人としての活動におけるものであり、ibgとは一切関係ございません。)

台湾大学EMBAのオリエンテーションキャンプがありました。

ここでは勿論、教授が今後正式な授業の開始に当たっての心構えや、どのようなコースが開催されどのように選択するか、または先輩方の経験の共有、そしてチームビルディングなどのゲームがありました。

しかしながら、ここで一番の焦点となったのは、各クラス対抗の出し物です。

本年の台湾大学EMBAにはABC班という3つのクラスがあり、5分間で出し物を行い、教授たちが審査員となって得点を付け、優勝を争うと言うものでした。

我々B班もこの出し物のために夜間や週末に集まり、出し物の内容の設計、プロの振付師を呼んでの踊りや歌の練習、スタジオでの歌の録音、衣装のアレンジ、バックグラウンドに流れる映像の作成等等、数々の作業のためここ2週間おおわらわでした。

何の因果か、私は前の会社の忘年会の時のように女装、今回は日本の芸者役を仰せつかったのでした。

(前の会社の忘年会の話はこちらをご参照下さいね: http://kabu-taiwan-kikou.blogspot.com/2010/02/emba-emba-sm-sm.html

冒頭の写真は、メイクさんに化粧をしてもらった後に撮ったものです。

本来であれば、私の写真なんかではなく、我々の出し物のときの映像をお見せしたいところです。

でも、なんでも昨年、出し物の映像を誰かがYouTubeにアップロードしたところ、とある会社の株主総会で「あんたのところの董事長はあんなアホなことをやっていて、経営に支障をきたすのではないか」と我々の先輩が責められるという事件が起きたため、出し物の映像は一般公開できません。悪しからず。。。

後日談ですが、この出し物の後に台湾人の友人に「なんで台湾人はこんなに出し物好きなの?」と聞いたところ、彼の目がキラリと光り、電光石火の速さで答えました。

「日本統治時代に日本人が台湾人に教えた伝統だけど、なんか文句ある?」

私はちびまる子ちゃんのおじいさんのように、頭に何本も縦線を浮かべながら絶句するのでした。。。

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2010年5月20日木曜日

台湾大学院受験奮闘記 8 ~ 政治大学の書類審査受付締切!認証事件発生!!

台湾への留学に興味がある方々へのご参考のため、引き続き昨年大学院受験の際に書いていました日記をご紹介したいと思います。

政治大学の書類審査受付締切!認証事件発生!!(2009年10月18日)

915日にドラフトを渡したというのに、予備校に代筆して貰っている政治大学の書類が出てきたのは1016日(金)の真夜中でした。ドラフトを渡したときには二週間ぐらいでできますと言っていたのに・・・・・・・。

東京、北京と出張の連続で疲れが出てきた日曜日(1017日)の気だるい午後、締切が明日なので気を取り直してレビューしました。細かい間違いも、改善点も出して何とか夕方には完了しました。

それから直ぐに「在籍証明書」を作って、会社印と会社代表社印を捺印します。

私の会社は「一人公司」なので、自分でフォームを作って自分で捺印するので、少々変な感じです。

そうそう、髪型を丸坊主にして、周りからはやくざのアニキみたいだと言われていましたが、眼鏡をかけて誤魔化して受験票用の写真も撮りました。

翌月曜日(1118日)の朝一番で、この在籍証明書と写真と推薦状を予備校へもって行き、私の担当であるVICKYに渡しました。VICKYに「もうこれで政治大学はOKだよね?」と聞くと、「ええ、インターネットでのデータ打ち込みは終わっているので、あとはこれらを含むハードコピーを学校へもっていけばそれで完了!」との答えでした。

「あ、そうだ!」

私は一つ思い出しましたことがあり、続けて聞きます。

「卒業証明と成績証明に『認証』が必要って募集要項に書いてあるけれども、僕の場合本当に必要ないんだよね?」

「もう、あなたはいつから台湾人になったの、外国人は要らないといっているでしょう!」

実は台湾大学の説明会に行ったときに、この予備校の別の方に出くわした際に、彼が成績表の認証が必要かも、VICKYと詳しい話をしてね、と言っていたのでこのように確認したのでした。

「本当だよね?」

「本当です、心配しないで!」

突然北京語ではなく台湾語でVICKYは言いました。私はではよろしく、と言って自宅に戻ったのでした。

自宅付近のコンビニでコーヒーを買っていると突如携帯が鳴りました。VICKYからです。

「念のため政治大学へ電話をすると、外国人でも卒業証明と成績証明には認証が必要との事です。。。」

私はやっぱり、と思いながら彼女に聞きました。

「で、その認証はどうやって取得するのですか。」

彼女は答えます。

「大学側が言うには、あなたは日本人ですので日本の在外公館になるそうです。」

私はすかさず聞きました。

「交流協会(在台北日本大使館に相応)にはそんなサービスはないはず、聞いたこともないよ。交流協会だけではなく、日本の他の国にある大使館でもそんなサービスはないと思う。」

「じゃあ、また政治大学に聞いてみるね。」

VICKYは言い、一旦電話を切りました。

しばらくすると電話があり、

「政治大学によると、学校がアメリカなので、在アメリカ日本大使館で認証をもらわなければいけないんだって。認証できるかどうか、確認してもらえる?」

「うーん、交流協会と同じでないと思うけど、分かった、時差があるから、今晩ダメもとで確認するよ。」

その晩、ワシントンDCの在米日本大使館に連絡して問い合わせたところ、

「申し訳ございませんが、それは日本政府が発行した文書ではないので、こちらでは認証しかねます。」

という予想通りの回答で、ごもっともというより他にありません。

この認証問題、なんだかややっこしいことになりそうです。。。

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本ブログの概要

起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。