2010年3月11日木曜日

福沢諭吉を読んで考えたこと

日本にいる師匠から薦められて、昨年福沢諭吉の『学問のすすめ』を、旧正月休みに『福翁自伝』を紐解きました。

そして最近神保町へ行ったときに、小林秀雄の『考えるヒント』が何故かふと目に入り、何気なく買って読んでみたところ、偶然にも「福沢諭吉」という項がありました。

小林秀雄という評論の大家は、福沢諭吉という啓蒙の大河から、あたかも砂金をすくい上げたかのようにうまくエッセンスを取り出し、かつ私のような物分りの悪い人間にも分かり良く語ってくれています。

小林秀雄を通して、私の目からまさに鱗が落ち、(受験国語によって植え付けられた?)福沢諭吉の堅いイメージは遠のき、彼の言っていることが非常に明快であると感じられ始めました。

おこがましいですが、以下は私流の福沢諭吉解釈のひとつです。

・・・ 国家が独立するための必要条件は、各個人の「独立の丹心」にある。

更に十分条件については、色々あると思われるが、最も重要なものは各個人の「瘠我慢」である。

「瘠我慢」についての基本は、「富貴は怨の府に非ず、貧賎は不平の源に非ず」という命題を各個人が肝に命じることである。 ・・・

今日の日本では、個人の自立心が益々希薄になるばかりであることは議論の余地はないかと思います。

更に言えば、「瘠我慢」もせずに、貧賎への不平、すなわち自分の生活について大声で不平を言って、子供手当等の政策を支持しています。

このことは、今の日本人が国家財政よりも、個人の我儘を優先していることを端的に表しているように思われてなりません。

日本人より遥かに高水準の「独立の丹心」をもつ台湾の人々も、残念ながら「瘠我慢」は忘れていて、今すぐお金を稼ぐために中国経済にハイスピードで擦り寄り、一体化してきているように感じます。

このアプローチとスピードには、日本人の私ですら危険な何かを感じずにはいられません。

したがって日本人はまず、自分らしさを保持しながら、「独立の丹心」を醸成する必要があると思います。

次に日本人にも台湾人にも必要なことは、隣国の金銭的豊かさの成長に惑わされず、自己の陥った金銭的貧しさへの不平を一旦抑えて「瘠我慢」することです。

これらの上で、より長期的かつ我儘から離れた公的な広い視野でもって、次の一手を考えていくべきではないでしょうか。

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2 件のコメント:

  1. これまで、日本人は会社にぶら下がってきた。景気が悪くなって、会社もぶらさがり難くなった。そこで、今度は国にぶらさがろうとしているのではないでしょうかね。

    敗戦によって180度思想転換し、国家は忌まわしいものになった。それからずーっと60数年国家意識が稀薄だった。今でも国家概念はぼやけています。その間、国家でなく会社に忠誠を誓って会社に依存してきた。しかし、不景気で会社がままならないとなると、依存する先として国が出現してきた。

    調子がいいですね。まさに「独立の丹心」の欠如ですね。「痩我慢」せずに、一億総「滅公奉私」の社会ですね(国じゃないから社会です)。

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  2. コメント有難うございます。

    現在の日本では「国家」と言葉にしただけで右だと白目で見られ、「日本文化」や「日本の伝統」を言葉にすれば時代遅れと蔑まれると思います。

    そんなことをする日本人かどうか分からないような人でも、ムニュムニュの権利やら平等を盾に日本国に甘えようとするのは、不可解な自己矛盾です。

    私個人の感じ方では、調子が良いを超えて悪質です。

    更には「独立の丹心の欠如」はおろか、もはや「悪性他人依存症」と言ってももはや言い過ぎではないかもしれないと思わざるを得ません。。。

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起業、大学院での活動、在台日本人の生活等を通して色々な角度から見た台湾について、そして台湾から見た日本について、皆さんとお話していきたいと思っています。